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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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ビデオに至るまでの前説ブログ

日本より動物を取り巻く状況がずっと進んでる諸外国でさえ、
アニマルシェルターでは、収容地の不足や人手不足を理由に、
ある一定の期間を過ぎて里子にもらわれなければ、
健康でも殺処分されてしまうそうです。

それが、ほんとに短い期間だったり、
今は凶暴だけれど、時間をかければ家庭で幸せになる適性を持っている子でも、
タイムアップで殺処分せざるを得ないスタッフさんの苦しみなども、
ブログで拝見することがあります。

セレブを巻き込みアピールじょうずな戦略派・アメリカのPETAでも、
多くの犬猫を譲渡せずに殺処分していたと後ろ暗いニュースがありました。
これはショックです。

強靭な精神力の持ち主、代表のイングリット・ニューカークさん、わたし尊敬しておりますが、
組織って、大きくなると本当に志を維持するの難しいのだと思います。人もですね。
私はでも、好きですよ、動物を救おうと活動する人や団体は。

でも、大きい組織だし、影響力もありますから、
批判されるのも当たり前だし、されずに許されてしまう方が怖いですね。
動物のために勝ち得てきた功績にこれ以上泥を塗らぬよう、なんかもう、がんばってほしい。

この前の養豚場を隠し撮りしたヒューマンソサエティのシェルター(ネバダの支部なのかな?)は、
2007年、保護した動物たちを1匹も殺さず、初めてノーキルを為し得たそうです。
すばらしい。

そのヒューマンソサエティの作ったビデオがまたすてきで。ホゥ。
次の記事に載せるから、ちょっと寄ってってちょうだい

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EVERYBODY'S SOMEBODY'S BABY.

アメリカの愛護団体Humane Societyが、豚の飼育場を潜入調査しました。

以下ベグブロさんから転載させていただきます。

YouTubeHumane Society

↑こちらから動画見られます

Wyoming Premium Farms’ (WPF)は日本企業伊藤ハム㈱の米子会社(イトウハム・アメリカ社)所有です。
WPFはwheatland地方で平均11,000-13,800匹の雌豚と子豚を所有、他に3つの農場がワイオミング州にあり、全てイトウハム・アメリカ社の所有です。年間売上は最高で14億円。



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職員が子豚の(切り取った)睾丸を投げ合い、
"面白がって"母親に食べさせているのを潜入調査員は見た。




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真 板の間から落ちてぶら下がって死ぬ多くの子豚のうちの2匹、下は糞尿溜め。
ピンクの矢印部分にあかちゃんが首つり状態になっています。

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1日分の子豚の死骸




 交配をさせようとした職員が子宮でなく直腸に入れたため、
肛門脱出と子宮脱出を引き起こした。
主任はこの話を潜入調査員に笑いながら語った。
脱出症の妊娠豚は他にも見られた。

まる 紫施設は不潔だった。ミイラ化した子豚の死骸、掃除されてない妊娠檻で生まれた子豚たち、
そして通路には切った尾、睾丸、糞、壊れた電球、プラスチックや金属ゴミ、カビた餌があった。
調査員はこれらのプラスチックや金属が入ったゴミを全部はいて集め、妊娠豚舎の豚に餌として与えるように言われた。
まる 紫誰かが不注意で水の栓を止めてしまったため、母豚が何日も水が飲めず死んだ。
まる 紫離乳日に子豚を取り返そうとして母豚が骨折した。
まる 紫地上から2.5mはあるパイプの上に子豚を乗せて楽しむ職員達。
まる 紫病気もしくは障害で動けない母豚の状態を調査員が知らせたにも関わらず、獣医診療されずにおそらく脱水と餓えで死んだ。
まる 紫産まれたばかりの子豚が糞尿で満たされた浅いくぼみに落ちて体がアンモニアで焼けており、
調査員が主任にどうしたらこのようなケガと死を避けられるか助言したが実行されなかった。



HSUSはタイソンフーズ(米食肉大手)に肉を供給しているWyoming養豚場(伊藤ハムの米子会社所有)で隠し撮り調査を実行しました。
そして地方当局に結果を通知ました。

撮影したのは2012年4月ワイオミング州にある養豚場です。
映像には、職員が子豚をサッカーボールのように蹴り、子豚の足をもって弧を描いて振り、ゲンコツで母豚を殴り、子供と離れるのを抵抗する母豚を何度も暴力的に蹴っています。

ある時は、後ろ足を骨折した母豚のおしりの上に体重のある職員が座ったり乗って跳ね、母豚は痛さに悲鳴をあげます。

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骨折した母豚の上に乗った職員

また膿瘍(うんだできもの)や直腸脱出、子宮脱出のケアをされていない豚、ミイラ化した子豚の死体、
細い床板から落ちた赤ちゃん子豚はぶら下がって死んでいるか、糞尿プールに落ちているのを調査員は見つけました。

HSUSはPlatte郡保安官事務所へ調査証拠を渡し、正当ならば刑事告訴をするように求めました。

HSUSのCEOはこう言っています。
なぜ多くのアメリカ人が養豚産業の改善を求めるかは、この養豚場でのショッキングな虐待が示しています。
またタイソン・フードと他の会社がこの地獄のような恐ろしい場所から豚を購入していれば大きな動揺を招きます。
これらの企業間のつながりは明日にも終わらせてほしい。」

「妊娠豚用檻は生涯豚を拘束します。もはやアメリカの公衆に受け入れられません。」

転載ここまで

 
繁殖用の雌豚は妊娠中の約3か月もの間ストールとよばれるこの枠に拘束され、
向きを変えることもできない
 


多くの母親がそうであるように、豚の母も非常に愛情深いのです。

「(近代的な集約型養豚場で)彼女は巣をつくるために、あるはずもない藁を探していた。
だがこの母豚が、生まれてくる子供たちを手元に置いて育てる日は決して来ない」


豚の母のかわりにアクションを。こちらから抗議の意見を送れます。

日本の企業だから身近さに実感がわきやすいとは思うけれど、
もし企業的にも輸入などの関係もまったくないとしても、
肉を食べる以上、動物を食べモノとして扱う以上、無関係ではありません。

「食事が終わったところですね。
屠殺場が遠く離れた場所に、どんなに周到に品よく隠されているとしても、
しかし あなたもそこに繋がっているのですよ。」

ラルフ・エマーソン

そしてこの世界で生きている以上、ベジタリアンであろうとも関係のある話なのです。
わたし達は、豚が痛みを、悲しみを喜びを、感じることを知っている。
彼らに、豊かな心があることを知っている。
心が引き裂かれるようです。



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ぶたれたら痛いのにね、
人も豚も犬も猫も。
わかってて、
なぜぶつのかしら?










あなたの心もきっと痛みを感じて、この残酷な行為に「NO」と言っているのではないでしょうか。
わたし達は、この虐待にもちろん「NO」と言えます。

そしてどうか、肉を食べることについても、ぜひ考えてみてほしいのです。
彼らがこんな目にあわされることだけでなく、
彼らが肉として扱われること自体に、「NO」と言ってほしいのです。

彼らが暴力を振るわれたことだけでなく、肉を欲する人がいる以上、
彼らが感じうる幸福さからとても遠いところに追いやられていることに、目を向けてみてほしいのです。
わたし達は、ただ彼らが幸福に暮らすことに(食べられるためでなく!)、
「YES!」と言えるのですから。





 
 

残された動物たち

みなさまおばんでございます。いかがお過ごしですか?
私はほのかに感じる湿気に、熱帯の国にいる気分。お得なタイプの女です。

ブログにアニマルのこと、嬢のこと、
先日キャッシュで衝動買いしてしまったクルーザーのこと(ウソ)、
またはヒミツの王国から招待されたヒミツの舞踏会のこと(ウソ)、
いろいろ書きたいチーモであり、書こうにも頭がとっ散らかりすぎのチーモでもあります。
春だから、って言い訳してますが、割といつもとっ散らかっておるのを思い出しました。
でも春だから。ていうかもう初夏だから。いやいやむしろ熱帯だから。

ねこまるさんの猫とヴィーガンな生活さんから、転載させていただきます。



見る事は知ること。そして知る事は背負うこと。〟

これは、野口健さんの言葉です。
以下は、とても辛い写真ですが、野口さんが福島第一原発の20キロ圏内で見た光景です(写真、文面から抜粋)。


●福島第一原発、20キロ圏内の世界
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html
(2011.7.30)


6月20日早朝、私は高邑勉議員(民主党・衆院議員)と福島原発20キロ圏内(警戒区域)に向かった。

 
まず向かったのが豚舎。豚舎の入口に車を止め、降車したその瞬間にツーンとした臭い。豚舎から数十メートル離れているにも関わらずこの異臭。ギギギと音を立てながら開いたドア。中は薄暗くそして目が沁みるような強烈な腐敗臭。中を歩くとプチプチと音がする。足元を見ると地面は一面がウジ。そのウジを踏みつぶしながら歩いていたのだ。
3番目 豚の死骸だらけの豚舎の中
豚の死骸だらけの豚舎の中


4番目 ウジだらけの豚の死骸
ウジだらけの豚の死骸
 
6番目 驚いたのは豚舎の檻の中に生きている豚がいた事だ。
驚いたのは豚舎の檻の中に生きている豚がいた事だ。
そして檻の中へと目線を移すとそこは豚の死骸の山。顔面がウジだらけの豚や肉の間から肋骨などの骨が露出している豚の遺体が。多くの豚は餓死していたが、それでも生き延びている豚たちもいた。3カ月間、水も食糧も与えられずにそれでも生存してきたのは、豚が豚の死骸を食べていたからだ。糞尿にまみれ、また腐敗しドロドロになったウジだらけの死骸を食べている豚の姿に、吐き気に襲われ豚舎から出て胃液を吐きだしていた。腐敗臭が身体に染みつき臭いが離れようとしない。ここはまるで戦場だ。生き延びている豚たちがジッと我々を見つめてくる。言葉は発しないが、しかし彼らの寂しげな眼差しが「助けてほしい」と私たちに訴えかけているようだった。檻から放すわけでもなく、かといって殺処分するわけでもない。彼らが餓死するまで放置される。死を迎えるその瞬間までまさに生き地獄。なんとかならないものかと、ただただ呆然とし、言葉を失っていた。



5番目 まるで虐殺現場のようだった
まるで虐殺現場のようだった

7番目 餓死していた牛たち(牛舎の中にて)
餓死していた牛たち(牛舎の中にて)


そして次に向かったのが牛舎。やはり豚舎と同じで何頭もの牛が首を固定されたまま餓死し横たわっていた。乳牛は餌を与えられる時には首を固定されるのだそうだ。そのままの状態で人は避難し身動きとれないまま死んでいった牛たち。彼らの亡骸があまりに無残でありその表情から無念さが伝わってきた。
 
8番目 首を固定されたまま餓死死していた乳牛
首を固定されたまま餓死死していた乳牛
 
9番目
 
 
10番目
 痩せこけた牛が一頭、ポツンと牛舎の中で・・・何を待っているのだろうか?
牛舎を後にし、再び車移動中、豚舎や牛舎から脱走、または放されていた牛や豚を発見。車を降りたら何頭もの豚や牛達が集まってくるではないか。彼らは人間に飼われてきた動物だ。ひょっとすると人間が恋しかったのかもしれない。また餌が欲しかったのかもしれない。豚たちはシッポをプルプルと振りながら、また牛たちは我々一行を囲み頭を擦りつけてきた。



11番目 牛に囲まれて
牛に囲まれて

しかし、政府は5月12日に殺処分の方針を決定。農林水産省によれば「原発が収束しても出荷できない」が理由とのこと。

それが目の前で現実の事になるとは・・・。再び次の現場へと車に乗り込み複数の牧場を視察した後、先程、豚たちと出会った広場の横を車で移動していたら防護服に身を包んだ何十人もの人たちが豚を囲み用意された囲いの中に入れていた。話を聞きにいったらこれから殺処分が始まるとのこと。つい先ほど、彼らと出会い、生きている彼らに感謝していたにも関わらず今まさに殺処分が始まろうとしていたのだ。豚を囲むのを手伝いながらも心の中で「逃げてほしい」と叫んでいた。



12番目 
豚舎から逃げ出し生き延びていた豚たち。しかしこの数時間後には・・・。
 
最近ではこの「殺処分」という表現を「安楽死」に変えているとのこと。しかし、いくら表現を変えようとも同じ事だ。殺処分される豚を眺めながら人間とはつくづく勝手な生き物だと、本当に申し訳ない気持ちで胸が押しつぶされそうになった。

震災前、この警戒地域内には牛は約3500頭、豚は約3万頭いたが、しかし5月の調査では牛が1300頭、豚が200頭と餓死によって減少していた。そして生き残った動物達を今度は殺処分。


13番目 生き延びていた牛に「生きていて有難う!」と
生き延びていた牛に「生きていて有難う!」と


今まで様々な現場に訪れてきたが、この現場は特に辛かった。正直、気持ちが折れかけた。しかし、気持が折れてもそこに意味はない。嘆いている時間とエネルギーがあるのならば、何かをしたほうがいい。


2011年7月29日 野口健


 【転載 ここまで】

==================




目を逸らし、見ない、聞こえない、知らないふりをし続けるよりも、辛い思いをしながらも、何かをしたほうがいい。


生きものを苦しめないという選択を…


★ ★ ★ ★ ★ ★

ねこまるさんのところから、転載ここまでです。
野口さん教えてくれてありがとうございます。
ねこまるさんも、いつも色々ありがとうございます・・・!

★ ★ ★ ★ ★ ★

 
この記事をねこまるさんとこで見たとき、平静なつもりでした。
でも、数日後夜中に目覚めて、すんごい泣いちゃった。

こんなふうに、殺されていった動物たち。
人だって、愛する動物家族を、おいてこなきゃいけなかった人もいる。
すぐ戻れるって泣き泣き行ったのに、自分のおうちなのに帰れなくって。
迎えに行かせてもらえなくって。

自分だったら、生きていかれないかもしれない。
嬢をおいて、そもそも逃げられない。って思うのは、
ああ、一回離れたら自分ちなのに、自分の家族なのに、迎えにも帰してもらえないんだって知ったから。

どれだけの苦しみだろう。置いてきて戻れないって。
そしてそれを、味わってる人がいる。
国には犬猫でも、その人には家族だよ?なんだそりゃ。あんまりにあんまりじゃないか。



警戒区域の写真集で、
水を求めた牛が、沼に何頭も浮かんでいるのを見たときも、

餓死した猫の上にボランティアさんが手向けた花束を見たときも、

飼い主さんが作ってくれた小屋の中で、飼い主を待ったまんま死んでた犬を見たときも、

泣いてなんになる。なんになるのだ。
悲しみすぎても、自分を責めすぎてもいけない。

と、バランスをとろうとして、そう思ったのでした。

泣くの我慢って、バランスとろうとしすぎてなんだか逆にいびつな感じになってますが、
泣かない方が頑張れる時もあるよね。
そのときは、そうだったんだ。奥歯をギュッとしたんだ。

目覚めた真夜中も、バランスをとろうとして、でももう、どうしようもなかったのです。
そういう時は、泣くのがいいのです。好きなだけ泣けばいいのです。

この記事の始めの文章も、なんだかふざけてます。
不謹慎って怒られちゃうね。
でも、あ、チーモ我慢してる、我慢して変なテンションになってるバカだから・・・って、わかってくれる人もきっといる。あたし信じてるわ。
たとえみんなに怒られても大丈夫、チーモは知ってるよ、チーモちゃんのこと。(人格が分裂しちゃった)


私は、悲しい。言葉ってなんて、かんたんだろう。本当に悲しい。
動物の、飼い主さんの、わたし達の、悲しみを表す言葉は、きっとない。

誰かの大事な誰かが、こんなふうに死ぬのは嫌だ。
人間を支えるって名目でずいぶんと利用されてる子らを、こんなふうに見殺すのは嫌だ。


シンドラーのリストで、主人公が慟哭しながら後悔するシーンを思い出す。


「努力をすれば、もっと救えた。

車を売れば、10人救えた。


バッチを売れば2人、
もしかしたら1人だとしても、

人間1人だぞ。


努力すれば、もう1人救えた。

でも、それをしなかった--。」




終わった悲惨さを見つめる大事さは、重々わかるけれど、
心が痛むのが、つらくなるのが、元気をなくすのがわかっているくせに、
わざわざ見つめることないとおっしゃる御仁もありましょう。


なぜ見るのか。知ろうとするのか。

それは、終わった悲惨さではないからです。
何も解決していない、悲惨さなのです。

さらには、好き好んでみているのではないのです。
知らんふり見ないふりで生きていけるなら、どんなによかったか。
いやいや、でも、見てみぬふりに幸せがあるとは思えない。から、見るのです。
あ、ごめん、見てみぬふりをするのがいやで見てるので、
好き好んでみてるのではないけれど、結局は私、したくてそうしてるのですわ。


今は、仕方ないことと言われておりますね。動物が、特に家畜が犠牲になるのは。
奴隷が犠牲になるのは仕方なく、当然でもあるのだ、と言われた時代があったように。

いつか、必ず変わってゆく。変える気さえあれば。

そのために、こんな荷物しょえない・・・って思っても、とりあえずしょってみます。
渦中にいる当事者に比べたら、こんな荷物、こんなものあってなきが如しですよ!

とか言いつつ転んじゃうし泣いちゃうんだけど、まあベソベソしつつもその内立ち上がる。
みんなできる子。あなたもチーモもできる子。がんばる。だいすき。


わしは、白人に汽車の中から撃たれて、
そのまま大草原に放置されて腐ったバッファローの死体を何千と見た。


彼らは、生きるためにだけバッファローを殺す我々を野
蛮人だと言う。
煙を吐く
鉄の馬の方がずっと大切だということが
野蛮人だから理解できないのだと言う。


同胞よ、動物がいなくなって、何が人間だというのか?
もし、すべての動物が
地上からいなくなってしまったら、
人間は魂のひどい孤独感で死んでしまうだ
ろう。

動物に起こったことは、いずれ人間にも起こる。

すべての命は、
つながっているのだから。


(インディアンの言葉)

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ボーダーレス

そういう習性でない熊を多頭で飼育し、しかもコンクリートで囲う。
そしてそこから出ていけば、撃ち殺す。

安全のためという。仕方ないことという。

彼らが殺されたことも、世界には囲いの中の動物が、まだ他にもいることを、
仕方ないって、思わないで。
思考することを止めないで。
仕方なくなんかない。

一体何のために囲うの。
彼らの習性を無視し、自然に反する場所に閉じ込めなければならない理由が、どこにあるの。

熊に、牧場なんて関係ない。熊は、逃げ出したんじゃない。
熊が望むように、ただ歩いて行っただけ。

檻を越えたとき、一体どんな気持ちがしただろう。

見慣れたコンクリ以外の広がりに、光が見えたろうか、風を感じたろうか。
その胸は、楽しかったんだろうか、うれしかったんだろうか。

鼻の奥が、ツンとする。
いつでも動物を見られる場所が欲しいんじゃない。
命に敬意を抱く世界が欲しいんだよ。


犠牲となった熊と人の安らぎを心の底から祈ります。

岩佐さんの獣医学科

前回の記事でのインタビュー、岩佐明子さん。
獣医学科を卒業されています。

大学での「論文を書くための研究や実験」については
今でも疑問に思うことがとても多いという岩佐さん。
当時、獣医学科で勉強をしながら、感覚的・倫理的におかしくなってしまっている
教授や学生がずいぶん周囲にいたのを感じていたそうです。
 
きれいな女性の先輩が、
「実験で切り落とした猫の腕を顕微鏡の脇にいつも吊るし、
「かわいいでしょ」なんていいながらそれが腐るまでスタンプとして使っていました。
周囲の人々もそれを見ていながら、注意する人など誰もいませんでした。」

 
文化祭では牛一頭バーベキュー大会というのがあったそうです。
頸動脈を切ってその場で殺し、バーベキューにして食べるという。
 
「牛を食べるためにはどうしたって殺さなくちゃならないのだから、
これはもうどうしようもありません。
けれど文化祭の余興として、大勢でわいわい騒いで、
お祭り気分でやっていいことでしょうか。

そこには何かが欠けているように思われます。
牛一頭を殺してバーベキューにする大会が毎年のようにその大学の文化祭で行われているのだと思うと、わたしはいまでもゾッとします。」

 
 
同じ動物でありながら、経済動物は例外などという表現が当たり前に使われる獣医学科。
 
けれど牛や馬や豚だって喜怒哀楽はあるはずです。
尊い命に分け隔てはないはずです。

そうした面への配慮など全くないカリキュラムで獣医学科と言えるでしょうか。」

 
私は今でも、牛の充血した眼に涙が流れていた光景を
忘れることができません。

その牛は立ったまま部分麻酔をされただけで腹部を切開されていました。
全身麻酔をしてしまうと横に倒れてしまい、それでは体験講義に差し支えるから部分麻酔なんです。
その体験とは立ったまま血が噴き出している牛の傷口に手を入れ、内臓の具合を手で触って学習するというものでした。
わたしも学生の一人としてそれをやりました。
 
けれどいま、わたしが覚えているのは牛の内臓をさわった感覚ではなく、
牛が涙を流して痛みに耐えていたことです
。」

 
 
 
「(一殺千生の)スローガンも鎮魂祭もまったく気持ちの通っていない建前、
ただの儀式になっているとしかわたしには思えませんでした。
犠牲となった犬に少しでも感謝の念があるのならば、
生ゴミを焼くみたいにして死体を焼却炉に放り込むようなことは絶対にしないと思うのです。」


 
獣医学科での学生による、ゾッとするような動物の扱いを、目や耳にすることがあります。
 
岩佐さんもおっしゃってますが、誠実な人がおられるのももちろん事実だと思います。
でも、この人獣医目指しちゃダメでしょう、って人がいるのも、事実なんですよね。
そしてそれをふるいにかけたり、教育する機会がないというのは、恐ろしいことだと思います。
特に生死に関わる医学に関して、知識や技術だけでは、
誰かを幸せにすることはできないのではないでしょうか。
専門職における、血の通った誠実な使命感というのは、社会全体に影響するものでしょう。
 
著者自身も動物実験をしていた経験を持ち、のちに反対運動に身を投じ、
動物実験を医学的見地からも糾弾している本で、
「(動物を残酷に扱うことに関して)最初は抵抗し、そのうちに慣れ、麻痺してゆく」
ということが書かれていました。
 
それはきっと人間の、防御本能でもあるのだと思う。
当事者によらない監査機能と、倫理的な教育は、絶対に必要だと思います。
とにもかくにも愛護法が改正されねばね。
 
 
 

走り回るこぶたたち



ウッドストックサンクチュアリにレスキューされた彼らの名前は、
ネモ(ニーモ?)、ピンキー、エバ、ウォリー。
ど、どの子がピンキーでどの子がエバちゃんやら。
まとめてコブーちゃん(子豚ちゃんの変化形)でよろしいかしら。

コブー達の出自は、他に兄弟8頭いたそうだったり、
しかも最初のオーナーがいやな感じの人だったり・・・。

歯切れが悪いのはほら、英語の説明だから、
まあ、大体こんな感じ・・・?みたいな理解なものだから、ごめんなさいね。
まあそんなわけで、コブー達は色々大変だったと聞けばやっぱりムッとするんですけど、でも・・・

コブー達は楽しそうに走る、走る、走る!
弾丸のようです。見てるとクスクスとおかしくなってきます。
子供って、理由などないパワーに満ちていますね。私、ムッとしたのも忘れてしまう。
赤ちゃんの笑い声にも、同じパワーを感じます。聞いてると意味もなく、こっちまで笑けてしまう。
妙にくすぐったいパワー。いいわー。

ミス・ピギーとピーターさん



こちらもウッドストックサンクチュアリにレスキューされた二頭の豚さん。ミス・ピギーとピーターさん。
画像に出てるのはピーターさん。

ミス・ピギーは、トラックから落ちてるとこをレスキューされたようです。
サンクチュアリに到着したピギーさんをお部屋に誘導するとき、
ピギーさんのお尻を撫ぜたり、やさしくたたいたりしてる人がいるんです。
うらやましい・・・私もピギーさんのお尻、さわりたい。

ピーターさんは、豚なので菜食主義だけれども、
飼い主によってミートボールピザや、ドーナッツなどの偏った食事を与えられたので、
太って歩けなくなってしまったのですって。筋肉もとても弱っちゃったのね。
でもサンクチュアリに着いて、ゆっくり休んで、
次の日ピーターさんは芝生の上をよちよち歩いて、
そのあと土をホジホジしてそこに体をコテンと倒しました。
泥に体を横たえるのは、体温調節と寄生虫退治してるんですって。

ピーターさん、ずっとコンクリ暮らしだったんだろうけれど、
ピーターさんはちゃんと知ってるんだ、豚は土をほじること、そこに体を横たえること。
ピーターさん、この時どういう気持ちがしたかしら。

豚って「豚のようなやつ」って言われたり、汚いとか、いいイメージで言われないけど、
すごく清潔好きなんだよね。人に対しても、愛情深く、知的。
人間にぶたれても、また人間を愛するんだよ。
強くないと赦すことはできないとゆうよ、豚の心は強く美しいのね。


「(私と暮らす豚の)クリスが食べたり、太陽のもとで眠ったり、
なでられてうれしそうな声をあげたりするときの、その清らかな喜びを見たいのです。
クリスは混じりけのない無上の喜びを見せてくれます。
うれしいときは体全体で生きる喜びを感じ、我を忘れて夢中で食べ、
何かに一心に取り組んでいるときは、まるで創作に打ち込んでいる芸術家を見ているようです。
日光を浴びているときは、目を閉じて喜びに浸ります。
誰かにかわいがってもらっているときは、心から愛をこめてかわいらしい声をあげるのです」

サイ・モンゴメリー・作家

「豚」でなく、私のニャンコ、私のワンコ、私のベイビーを見るときとおんなじ、
なんのフィルターもない視線、そんな目で見たら、誰もみなきっと、
サイ・モンゴメリーさんの気持ちになるんじゃないかなぁ。

踊るエルヴィス



ウッドストックサンクチュアリーにて、歌に合わせて踊るエルヴィス。

ちょっと~エルヴィス、なかなか踊りがじょうずじゃない~。
でもチーモのがダンスはじょうずかなぁ。(いちいち張り合う大人げない私)
エルヴィス・ダンスもいいけど、エルヴィス、あなたの角!
あなたの角、すごい格好いいのねぇ。
「男の牛は、角で他の牛をチッチク・チッチクしちまうから、取っちまうだ!」って
人間用の牛は角とられちゃってるよね。削られてるっていうか。
でもエルヴィスは、他の牛をチッチクなんかしないんでしょ。
ううん、他の牛だって、牛らしく生きてたらそうそうチッチクなんてしないわよね。
そりゃ、たまには闘う時もあるかもしんないけどさぁ!

ヘイ、ウェンディ―帰ってきたんだね

♪もうやってられないわってこの町を出てから
あっという間に戻ってきたんだね
歓迎はできないさ 僕は正直しかめっつら
 
もちろんそうさ 君の自由さ 出ていくのも 戻るのだって
 
だけど かわいいキミが ずいぶん残酷なこと してるって聞いたよ
そんなことはやめておくれよヘイ ウェンディ ヘイ♪

 
(↑カントリーっぽく歌ってね、やや物悲しいメロディでお願いします)
 
しかし歌っていてもウェンディは帰ってくれないわね。
さらには、フォアグラを使ったハンバーガーを発売しています。
ウェンディは一体、まったく何をしているのやら。

ウェンディ、ピーターパンが言ってるよ、子供の心を忘れたの?って。
まあ、あなたはそのウェンディとは違う子かもしれないけど。

PETAのサイトにのってた日本のウェンディーズのフォアグラバーガーの記事に、
「えー、私の好きなビーガンレストランでもあるウェンディーズがー・・・?信じられないー・・・」みたいなコメントがついてて、私も、えー!?でした。
ウェンディーズ、キミィ、本国じゃベジメニューあるのかい?
なぜに、なぜに再上陸が、ベジメニューでなくフォアグラなのだい?


フォアグラって?
 
フォアグラっていったら、あなた・・・
 
華やかで、高級な、その響き・・・。
選ばれしものが選ばれし時にいただける、
そんなイメージの、泣く子も黙る高級食材ですよ!!

そして、とても残酷な。


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ガチョウとアヒルたちはみうごきできぬほどの狭い檻の中に閉じ込められ、
無理やり強制給仕する「フィーダー(給餌人)」と機械化された給餌マシーンから逃げるすべはありません。
 
口を無理に開けさせ、50cmもある鉄の棒を鳥の口に突き刺され、(愛護団体の抗議を受けゴムに変えてるとこもあるそうです。変えるのはいいこと、でもそういうことでは・・・だよね、)
彼らの体の1/4~1/3もの量のとうもろこしの粉と油の混合物を胃に押し込まれます。
胃に直接流し込まれたため、胃を痙攣させますが、吐き出せません。
この工程を一日3回、3~4週間続けます。
 
フォアグラ畜産場の死亡率は、従来の因習的なアヒル畜産場の死亡率より何倍も高く、
20倍にも上る場合もあり、金属の給餌パイプが彼らの首を傷つけたり、
肝不全に関係した慢性の病気であったり、または強制給餌のとき、
窒息するまで詰め込みすぎることなどにより死亡しています。
 

 
「フォアグラ畜産場のアヒルが、彼らの不自由な片足がもはや自分自身さえ支えることができないため翼を使って自己顕示するかのように、立って喘ぎ、もがき苦闘している姿が観測された。
動こうともがくことで、彼らの飛節(脚)と竜骨(胸部)の感染しそうに傷が開いた床ずれを、いっそう膿み、ただれさせる。
 
この状態では、鳥たちはもはや通常の羽づくろいはできない。
また、実際に、彼らは本能的な行動である普通に水を飲むことすらできない。」


動画を見るとですね、強制給仕という言葉が、とてもマイルドに感じます。

実際、虐待なので、フォアグラに関する法律もあり、
現在、少なくとも14カ国の法律が、フォアグラを生産するためにアヒルとガチョウに
強制食餌を施すことを禁止しているそうです。
いくつかの国では、法律で明確にアヒルとガチョウの強制食餌を施すことを禁止しており、
いくつかの国では、一般的な動物福祉法の中で、禁止しています。

以下の国/州は、強制食餌を禁じる法令を制定。

* カリフォルニア
* オーストリア(9州のうち6州)
* チェコ共和国(1992年)
* デンマーク(1991年)
* フィンランド(1996年)
* ドイツ(1936年と1993年)
* イタリア(2004年)
* ルクセンブルク(1965年)
* ノルウェー(1974年)
* ポーランド(1999年)
* トルコ
 
以下の国では、動物福祉法でフォアグラ生産のために動物の強制食餌を禁止すると解釈されている。
* オランダ
* イスラエル
* スウェーデン
* スイス
* イギリス
EU(既に子牛のクレートや妊娠クレートなどの非倫理的な畜産業の手法を禁止している)は、
フォアグラへの禁止令を検討中である。

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フォアグラがお皿に乗るということは、
数週間のうちに10倍に肥大した肝臓に肺や他の臓器を圧迫され、
満足な息もできずに、苦しみながら死んでいった鳥がいるということ。

そして、わたしたちがフォアグラを食べるなら、わたしたちのために虐待が行われたということ。

嫌な言い方だね。でも、事実なのね。
そして一番大事なことがあるのね、私たちはそれを拒否できるということ。

img00_1.jpg
















華やかで、ゴージャス。でもそれはイメージです。あるともないともいえないような。
生き物が苦しめられる現実の前に、とても空しいイメージ。

イメージより、鳥たちが彼ららしく生きられる、リアルが欲しいわ。
 
goose-goose-ducks.jpg











フォアグラに、「NO」を。

 フォアグラ、ノーサンキュウです。
それよりも彼らへの思いやりと敬意と、もいっちょ愛をオーダーしますわ。
 

2012 化粧品の動物実験反対デモ

昨日は渋谷で化粧品の動物実験反対デモがありました。

お天気はあいにくの雨・・・あいにくの・・・?

いえいえ、これは、涙が出にくいために目に入れた薬品が流れないという理由で、
実験に使われるうさぎの、実験のためでなく、
ただ彼らの世界を見るための美しいその目が、
涙のような雨できよらに癒されますようという願いが届いたものでしょう。

でかした雨、うさぎの瞳を洗い流せ!
でも雨だと歩いてる人がやっぱり少ないかな!
来年は晴れがいいかな、頼むぞ雨!

160名ほどが集まったようです。
みなさんはりきって歩いてきましたよ。
リキリキ!
そうそう、岡本夏生さんがいらしてました。
被災地にもいかれてるんですよね、継続して。

チビチビと彼氏も参加してて、彼らに貢いでもらったウサギの耳をくっつけて歩きました。
来年も使おう、これ。
サリタさんとご一緒させていただいたのですが、サリタさんめちゃめちゃウサギ耳似合ってた・・・。

懇親会も参加しました。定員は50人で、10人ずつのグループになり、
日本での化粧品の動物実験廃止を実現するためにはどうしたらいいのか、お話をしました。
やっぱりこういう交流は実り多いですね。刺激になります。

実験してる化粧品会社に「実験しないで」と電話すると、
「国に義務付けられているから」とか言われることがあるようですが、それは違う、と。
新成分を申請するときの話ですよね、それは。

でもよく知らない状態でそう言われてしまったら、説得力があるように感じますよね。
だから、事実はどうなのか、知識を得ることは重要なんだというお話も、ほんとだよな、と思いました。

あと同じグループになった方が、
「今ツイッターでデモを検索かけてみたら、今自分たちがしたデモを見てた人が、
『実験してないものは怖い』ってツイートしてる人がいました」っておっしゃってて、
なるほど言わんとすることはすごくわかる。動物実験は安全のため、ということだものね。
でもそれも、ほんとは違うんですよね。

アメリカでの実験によると、
ラットを使った毒性試験からヒトに対する有害な作用を予測できる率は7%にすぎず、
ラットやイヌでおきないのに、ヒトにだけ起きる副作用が54%もあるそうです。

ヒトとラットでは種差があるためです。
ヒトとイヌでももちろん、同じ生きもの同士でも、異なっているのですね。

マウスは実験にものすごい数が使われていますが、
マウスには日周リズムあるため、内臓器を取り出した時間が違うだけで、実験の結果も異なるそうです。
人間にまんま当てはめるのは非常に不確実で、説得力にかけます。
そのために、殺されてしまっているのにね。

人間の培養細胞を使った実験の研究を進める方が、有意義ではないでしょうか。
倫理的な面から見ても。

動物の権利とかいうと、感情的って見られるけれど、
それだけじゃなくて、種差のことや、薬害のこと、
正直、倫理観が皆無に思われる研究者の、まったくサディズム的好奇心としか思われない実験が、
公的なお金を受け取りながら行われているとか、
知ってもらったらまた違うよね。

化粧品会社にする電話一本だって、無駄ということはない。

実際そうなんですってね、コールセンターへの電話はちゃんと集計されて、上に報告するんだそうです。
資生堂が(外部に発注してるとはいえ)、自社での実験やめたのは、
外からの働きかけがあったからだものね。


☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★ 


最近、「何かを選ぶ」ことは、「選ばない何かを生む」ことなんだなあと、思っていて。
こういうね、だからなんだよってことを、立ち止まり立ち止まり、考える私。割と面倒くさいタイプ。

でも、なんか、いいやって。
そう思いました。

そもそも、完璧ってなんなのか。
外的にいうと、多分生きてる間には成し遂げないものでしょう。
そして内的に見れば、今この瞬間、心の中で得られるものでもありましょう。

ああ、この文章だけ読んでも、一体、何を言ってるのかチーモはって感じですよね、ごめんね。
具体的にどうこうじゃないんです。

いや、具体的には、動物の、こういうことを書きたいとかいろいろあるんだけど、
結局考え1つ、言葉一つにも、自分というものが必ずにじみ出ると思ったら、
自分が何かを選ぶってことが、大変なことだねこりゃ、って気になって。

生きたり、考えたりって、おもちろいね。ウフフ。
考え続けたことが、昇華されるような、思考が一瞬で止まって解放されるような、
そういう時がまた、たまらないのよね。

だって今は、自分が何かを選ぶことの一体何が、大変なことだねこりゃ、なのかわからない。

清くも汚くもなれない。
何を選んだって、チーモはチーモなんですもの。

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