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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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気持ちを伝えましょ

ねこまるさんのところで知りました。
三重県みどり町の自治会が、
猫を捕獲して保健所に持ち込む、という旨の回覧をまわしていたということなのですね。
ネット上で、中止の要請を呼びかけられていました。

虐待法にはあたらない、敷地内に毒餌を撒くのも効果的、
猫は容赦なく駆除するに限るなどの文面が。

三重県亀山市みどり町の猫は、保護団体が引き取ることになったのですが、
(上記のリンク先のねこまるさんの記事でくわしくお知らせしてくださっています)

これ、ほんとに回覧で回ったなら、書いた人は色んな認識がだいぶアレだなーと思っていたのですが、
今朝管轄の鈴鹿保健所に電話で確認したところ、
私がお話した方は最初警戒する風情でしたが、(理不尽な罵倒などもされてるのでしょうか)
丁寧に熱心にお話してくださいました。
やはりねこまるさんのところでお知らせしてくださっている通りでした。

まず野良猫がいるのは事実なこと。
捕獲の予定を知らせる回覧が回ったのも事実。
しかし、毒餌云々に関しては、そういう意見もあるという例として、
二度目の回覧として、回したとのこと。


自治会の意見ではない、ということなんだと思いますが、しかし軽率です。
誤解でした、で済まないですよ、実行する人が現れなかったとも限りません。

鈴鹿保健所としては、これらを知ったのは二度の回覧が回された後であったこと。
事実確認後、自治会に静粛を求めたこと。
どうもこの文面は、猫を虐待しようという趣旨の集まり(?)が言っている内容と非常に似ていることから、そういった団体(?)から流れたものではないか。ということでした。


そして、職員さんは、
「こうなる前に自分たちにできることもあったと思います」とポツリとおっしゃいました。

私は、

殺処分以外の道を拓かれた、熊本の保健所のことはご存じだと思います。
あれは殺してもらって、それでおしまい。というわからない人に、
こんこんとお話をされた職員さんなどの大変な努力によるところが大きいと思うんです。

今回、こうした形で保護団体に引き取られることになりましたが、
こうして明るみに出なければ、毒餌云々というのはなかったとしても、
捕獲されるのは事実である以上、結局保健所で殺処分という形を迎えることになってたわけですよね。

本当に大変なことだとは思いますが、そういった形でない道を、
どうか作っていただけるよう、頑張ってくださいお願いします、と伝えました。


どんな形であろうと、
迷惑な生き物がいなくなればそれでいいのだ、と思うなら、
それを許すなら、

いうまでもなく、私たちは、駆除を企画した人の言うところの
「獣」にすら遠く及びません。

人が人であるのは、その叡智によってではないでしょうか。

こういったときは、お電話しましょう。お手紙ファックス、したためましょう。
声をあげましょう。

自分は社会の認識の一端であるという、認識を持ち、
あなたがお感じになったこと、それを伝えましょう。

「自分よくわかんないすけど、ひどくないですかね」、とかでもいいんです。
正直、じゃあどのように具体的に形作っていくのか、って意見は専門家に丸投げでもいいんです。

できないんだったら言うなっていうのは、
専門的な知識や実行力がなかったら、意見できないことになってしまいます。

国民みんながみんな、政治家でなくてもいいんです、
実行力じゃなくて、意見を提供する人だって必要ですもの。

私たちが人間であるように、相手も人間なので、なるべくこちらの気持ちがそのまま伝わるように、
話し合いの土台を自ら壊すことないよう、
心を配りながら、訴えましょう。
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やさしいけがわ

実は、毛皮を肯定する毛皮好きの方々が喜びそうで、
お知らせしたくなかったんですが・・・
 
アニマルウェルフェアにのっとって管理され、最善の注意を払われて、
苦しみなきよう毛皮製造への工程を踏む、毛皮のための動物を飼育されてる施設が、
世界には、あることはあるのです。
 
(アニマルライツは動物の権利自体を訴えるものですが、
アニマルウェルフェアは、搾取されることが前提といえ、
苦痛がないよう扱われるべきであるという、動物福祉のことです。)
 
そんな先進的な施設の、一部です。

fox.jpg










アニマルウェルフェアにのっとり、大切にされた動物たち。

アニマルウェルフェアとか、意味ありますかね・・・。
 
いや!意味がないことはもちろんありません。
極論を言うのは避けましょう。
チーモったらいけません、結論を急いだり、わかりやすい極論を求めては。
 
でも。
この画像を見てのアニマルウェルフェアって、
あなたにとって、どんな意味を持たれましたか?

どんなに大切に、思いやりを持って育てられたとしたって、
そもそもが私たちに、なんの必要もない毛皮のために。
彼らは、殺されなきゃならなかったんでしょうか。

見た瞬間のあなたの心の動きを、忘れないでほしいんです。
覚えておいてほしいんです。

以上、チモッキタイムスがお送りしました。
ということは、もちろんねつ造です・・・。
(画像は本物です。)
 
何度もねつ造しやがってこの恥知らずが、と、
どうか私をののしってください。
 
しかも、こんなひどい画像まで載せやがって!とおっしゃる?
おっと、それについては、こちらにも異論がありますぞ。
 
こんな画像、わたしだって載せたくないよ!
 
・・・・・・・・・シーン。
 
うそです。私は、載せたかった。
 
見てほしかった。
 
言葉では届かないもので、
あなたの心に、何かを訴えてくれると思ったのです。
 
ちなみにアニマルウェルフェアにのっとった毛皮工場の存在を、
未だかつて、一度も聞いたことがありません。
非常に残酷なことですが、存在しないと思います。


 
私は、どんな生きものにも生きててほしいです。できる限り。
 
生きものを包む山が、生きものを抱く海が、
生きものを放つ空が、わたし達とともにある。
お日さまが、やわらかく輝いてる。
私たちのほほに風が吹いて、大地では花が揺れてますよ。
 
こんな素晴らしい世界で、生まれた以上、
死はいつか、誰にでも平等に、ちゃんと訪れるのだから、
 
少しでも、それぞれの生を楽しめるように、
お互いの生を思いやって、
助け合いながら生きられる方が、
私はずっとずっと、いい世界だと思うんです。
  
世界を形作ってる「替わりがあろうとなかろうと、奪うことは罪じゃない」という言葉が先行して、
時々わからなくなってしまうことがあるけれど、
心の奥底で私たちは、ほんとはちゃんと、知ってるんだと思う。

わたし達の幸せが、どんな形をしているかを。

より遠い未来について考えれば考えるほど、
それを実現するためのより良い決断を、今、下すことができるのです。

ブライアン・トレイシー

町に出ると

今日は仕事関係のセミナーがあったのでした。
朝まですっかり忘れてて、普通に出勤のしたくしてたら、
ザワザワと胸騒ぎがしたので、思い出したのでした。

あぶない!毛玉だらけの服着てくとこだったわぁ。
急いで、イソイソと毛玉が少なめの服に着替えることができました。
(毛玉のついてない服はないのかい)

ボレロを探してたのです、最近。
でも私の行く、町の洋品店にはないものですから、
セミナー帰りにこれ幸いと、デパートをのぞいたら、
すごいのね、ファーたくさん。

知ってたはずなんですが、あんなにたくさん売られてるの見ると、
あらたにショックな感じがするってのは、不思議なことです。
知ってることと、本当に理解してることは、違うんだなーと思った。

毛皮きる人も、きっとそうなんだよね。
知らないから着られるんだ、と信じてるのだ。

一体何を思って、暮らしただろう。
どんな性格で、何をするのが好きだったろう。
一生のなかで、一番嬉しかったことはなんだろう。

いまこそ、信じるのだ。
辛いときに、信じることができれば、
大抵のことは、乗り越えられる。

いつか、

「むかし、毛皮が売られてた時があったんだって。」
「ええ!それってほんとう?
どういう人が着てたの?
だれもなにも、いわなかったの?
いったいどうして?」

って、子供たちが、言う時が来るわ。

どんなにかわいく、きれいに売られてて、 
どんなに言葉で取り繕うことができても、

この社会で暮らす私たちにとって、
毛皮は、まったく無意味で残酷なことです。

そうは思いませんか。

毛皮デモ、毎日でもしたいと思った日でした。


平和のために戦ってはいけません。

平和のために立ち上がるのです。

平和を考え、

平和を行動し、

そして平和を広めましょう。

書いて、

声を出して、

アピールするのです。


オノ・ヨーコ


ちょっとまって
あなたのコートの残りを忘れてるわよ

sophie_ellis_bextor_fur_coat.jpg


















あわわ・・・ヨーコ!
ショックのせいか、平和とは違う感じのアピールするチーモをゆるして。
 

一緒に渋谷を練り歩かないか!?

「今までなんとなく使ってきたけど、毛皮って残酷なんだ・・・」と気づきつつある、
心ある者たちよ、フハハハハ!(おごそかさを演出)

無力さに打ちひしがれるなかれ、
わたし達にできること、色々あります。

毛皮牧場に忍び込んで、動物を逃がす、という手もありますが、
なかなかこれは難しい・・・。
逮捕される覚悟も、求められます。

アニマルライツ支持者が、みんな逮捕されちゃうのは困るので、
皆が皆、逮捕覚悟で活動することはないと思うんです。
いや、当たり前ですね。

逮捕されるようなことは、いけないと言われてるので、なるべくいけません。(なるべくってあんた)
でも、人の倫理観で変化する法律や、間違った法律も存在する以上、
私の心は支持してます。その覚悟を。
実刑食らえばしばらく活動ができないとか、
制裁は、自分で受けてるわけだし。

そういう人たちが明るみにしたことで、
動物の悪環境に対して、変化が促されたという面も、
矛盾するようだけど、あるわけです。

残酷に動物を取り扱った研究者を拉致して拷問しちゃう、とかではなくてね。支持してるのは。


毎日の生活の中で、わたし達にできることは、

毛皮を買わない。
回りに現実を教える。
毛皮を取り扱うメーカーに、消費者の希望を伝える。


もっと簡単なのがこちら、

デモに参加する。です。

今年も東京で毛皮デモがあります。
10月23日(日曜)
14時~

こちらに詳しく。
アニマルライツセンター 毛皮反対デモ行進2011


デモって参加したことあります?
デモって、敷居が高い気がしませんか。なんか、本気な感じが?
やる気のある人たちが、集まってるんだろうな・・・みたいな。

でも、あなたが、毛皮っていやだなって、
どうにかならないのかなって、ちょっとでも思う人なら、
あなたも私も、すでに本気の人なのですよ~!
もちろん、いい意味でですよ~!

毛皮を使ってるお友達に、毛皮の真実を知らせるよりずっと簡単です。
電車に乗り、集合して、出発。
毛皮はんたーい!って言いながら歩く。
それだけ!

ここに集まったたくさんのこの人たちは、
毛皮に反対してる人たちなのだと、ご自分の目で見てみませんか?

なんでそんなことを言うかというと、
すごく勇気がでるんです。

もっともっと数が増えて、いろんな人が知っていって、
必ず終わる、って信じられます。

道をゆく人へのアピールだけではないんです、
自分へまでも、元気をくれるものです。

1人でも多い方がいい。
あなたも、私も、その場にいられたら、うれしい。

あら、その日は空いてるわって方、
万障繰り合わせれば何とか行けそう?って方、

お散歩気分でも、ウォーキング気分でも、気軽にひとまずこの日は街へ出て、

一緒に声を上げましょうよー!

591553cf.png








美しさって
他の誰かの皮を着ることじゃないわ

BY キム・ベイシンガー


 

共に歩こう

「皮をはがされた犬の死体が公園に放置。
捜査の結果、皮を剥がされていた時点で犬には意識があったことが確認されている。
警察は、動物虐待とみて捜査している」


というニュース。ひどい・・・だれがこんなことを・・・。よくもそんなことが・・・。

大丈夫、これはチーモタイムスのねつ造記事です。

でも、いやな気分になったよね、ねつ造してごめんね。
やさしい人ですね、あなたは。え?ウソじゃないわよ、マジだわよー。

そんなこころやさしいお友達よ、マイフレンドよ、
今年のファッションのお買いものはどんなにしましょうか。
やっぱり買い物は女の楽しみよねー、キャッキャ。
ほんとはチーモ、ファッションより本買ってる時のがイキイキしてるけどー!

素敵に見えるファッション。
心ときめく小物達。
楽しい楽しいお買いもの。

でも、お願い。
どんなに小さくても、どうか毛皮のついた商品を買わないで。


記事はねつ造だけど、事実なんです。
あれは毛皮の作り方。

犬や猫の毛皮もね、作られてます。
てことは、売られてるということです。
日本でもたくさん輸入、されてるんです。

「ファッションを求めてるんじゃないわ、
毛皮の温かさや自然さが好きなの」っていう人も、
どうかどうか、ぜひ考えてみてほしい。

目の前に、リアルファーがあるから、買うんですよね。

毛皮が流行っていない時も、どうしても毛皮でなければって、
リアルファーのついてるものをわざわざ探されましたか?

たぶん、探してないと思うんです。
その時手に入る、気に入ったものをピックアップしてるんだと思うんです。
あなたは、毛皮が必要なわけではなく、
目の前にあるから手にとっているので、
売ってなかったら、それはそれで暮してたと思うんです。
毛皮のあったかさなしでも、凍死もせずに、ちゃんと越冬してきましたよね。

その程度のものだと思うんです。
その程度のために、殺されてしまう生き物がいて、
自分の選択で、その生き物を殺さないこともできるって考えると、
あったかさの意味とか、少し変わりませんか。

ほんの数年、もしかしてワンシーズン。
ちょっぴり気張って数万円。
みんながつけてる、ファーのシュシュは何百円。

リアルでもフェイクでも、
どちらでも自由に選べる私たちの、ほんの軽い選択に、
命がかかってる生き物がいるんです。

毛皮が自然かどうかって人は、
それはまぁ・・・自然と思うなら、今日のところはそれでいいと思うんだ、おら。
長くなりそうだから。夕飯まだ食べてないんだ。グー。

「毛皮は自然、でも戦争で子供が死んでいくことは自然でない」という意見であれば、
ちょっと話を詳しく聞いてみたいけど。
私たちの人間性において、戦争より簡単に防げる残酷さだぞ。
知恵を使えば、毛皮より「モア・あったかい」も可だぞ。

毛皮にされる動物たちのために、
血の出るような努力や、たくさんのお金、手ごわい敵との攻防も、
わたし達に求められてません。
ほんの少し意識するだけで、私たちはフェイクファーを選ぶことができます。

残酷さを言葉で取り繕うのはいったんストップして、
素直に、バカみたいに単純に、残酷さのない方を選択してみない?

毛皮反対デモについて書こうと思っていたんでした。
それはまた次回聞いてくらはい。

あなたは何を思う



30年ぶりに太陽を見たチンパンジーたち。

ご安心を!短くて、ショッキングなシーンはまったくナッシング。
ただただ、彼らの純粋な喜びが映っています。
外に出られると知って、抱擁する2頭のチンパンジー。

彼らがこんなに喜んでいると、伝わるのがつらいと言えるかもしれません。
世界には、ここにたどりつかなかった彼らが、
どれだけいるのだと、改めて思わされます。

怒りや悲しみは、取扱要注意だけれど、
使いようでとても強いエネルギー。
だから、大切にしてるんです。
怒りも、悲しみも。

でもいまは、彼らの喜びを、ただともに感じたい。




実はこのチンパンジーたちはエイズワクチンを作る実験のために、
子どもの頃アフリカのジャングルから連れてこられたチンパンジーで、
いわば30年間人間のために生きてきたのです。
そして残酷なことに、彼らの母親は人間の手によって殺されたらしく、
もはや帰る場所も彼らにはありません。

実験のなかではエイズウイルスを体内に打たれ、
その多くが発狂もしくはそれ以上の苦しみに打ちひしがれました。
そしてついに、環境保護者マイケル・アウフハウザーさんの多大な努力などによりその閉ざされた檻での生活に終止符が打たれ、
今週の9月6日生き残っている38頭のチンパンジーが、
オーストリアの保護区域に放たれることとなったのです。

苦しい実験の日々から解放されたチンパンジーたちは、
今まで檻を通してでしか見れなかった仲間たちと触れ合えるようになり、
久しぶりの愛をその肌で感じました。
そしてついに、外の光を目にするその瞬間が来たのです。

その時の様子を捉えた動画には、外に出るドアのところで恐る恐る周りを見渡すチンパンジーたちが映し出されており、
彼らにとって外の世界がもはや「非日常」になっていることが見て取れます。
そして自分たちがついに自由の身となり、自然に帰れることに気付いたのか、
2頭のチンパンジーが喜びの抱擁をする様子がしっかりと映っています。
今回チンパンジーたちに自由を取り戻したアウフハウザーさんは、
あるチンパンジーが外に出た時の様子について次のように語っています。

「うっとりしながら、ちょうちょを見つめている1頭のチンパンジーがいました。
きっと彼は子どもの頃、ジャングルで見たことがあったのでしょう。
これから彼は、またその蝶の姿を見られるようになったのです」

そして動画を見た海外ユーザーからは
「ビデオを見ている間、かなり泣きました。動物を使った実験は残酷で、やめるべきです」、「これは本当の話ですか? ガンジーが言ったこの言葉を忘れないで下さい:『国家の偉大さとモラルの高さはその国の動物に対する扱い方で判断できる』」など様々な声が上がっており、このビデオは人々に感動だけでなく、
人間と動物のあり方などたくさんのメッセージも届けているようです。


ポーチさんより転載
http://youpouch.com/2011/09/09/110030/



空、光、風、そしてちょうちょに。

わたしたちのいとしい仲間に、HUG,HUG,HUG.
世界中に、HUG。

法律を変えるのはなんだ

パブリックコメント、業者の票もかなりありそうですかね。
おのれ、おのれ、もうゆるさんぞ、と思うのですよ。一瞬ね!ほんの一瞬よ!
でも考えたら、当然ですかね。
改正反対の意見を送れって、業界が活気づくのは。(おのれ!)

改正されて自分たちがそのまんま変わる気ないんなら
(動物売ってなりわってく気なら、それは不可能だし)
おまんまの食い上げって言うんですか、そういう人もいるんだものね。
 
5年前、一般からの200も少ないけど、業界側だって9500だよ?
それが、今回はすごく増えてるようなのです。
ものすごく、必死だったんですね。業界側も。
 
しかし・・・これは、いい流れです。来てます、来てますぞ。
5年前と、必死さが違う。
そこに注がれる視線が、熱量が、全然違う。
 
業界の組織票も増えたかもしらんが、一般の意見だって、増えたはず。
次はもっと、増えるはず。

もちろん、動物好きさんにも、好きの種類はいろいろだから、
「赤ちゃんのがかわいいから、8週以内のほしい」っていう人だっているわけだけれども、

でも、正直そんな、なんにも考えてないような人が(おっと失礼!)、
反対のために積極的にアクションを起こすとはあまり考えられないし、

そうすると、いつかは業界側に、限界が来る。
その時、また少し、世界は変わるのだ。
始まったうねりは止まない。
 
今回初めて知った、という人の中には、ここから枝分かれし、
畜産にも目を向ける人がいるかもしれない。
 
ペットと畜産って、別物のような感じがしますが
(私はしてました。変だなと思いながらも)、
いや、同じことだ。むしろもっと、残酷なことだ、と、
気づく人もいるかもしれない。
 
奥さん、人は、知ったことは忘れないんですってよ。
銭婆(千と千尋の神隠し)も言ってますよ、大好きなセリフなんですけど、
「1度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」って。
 
今回改正されなかったら、無力感を感じて、関心が薄れる人もいるかもしれない。
でも、知ったことは忘れないとしたら、ある日思い出して、
ああ、なかったことにはできない、と、
いつかこの問題に、戻ってくるかもしれない。
 
ジェフリー・M・マッソンさんも言ってます。
 

私たち自身のために、家畜化によって隷従を強いられてきた動物のために、
未来の世代のために、今こそ考えを改め、行動を見つめなおすべきだ。
人間であれ、動物であれ、隣人が筆舌に尽くしがたい苦しみの中で生きていると知った以上、彼らの苦痛が少しでも和らぐように全力を尽くさない限り、
あなたに安らかな眠りは訪れない。
安らぎに包まれたその眠りは、何物にも代えられない価値観を持っている。
苦しみから目をそらせば、その代償は破壊的なものになる。
あなたは公平で、思いやりにあふれ、分別を持った人のはずだ。
そして、それに勝るものはないのだから。

 

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豚は月夜に歌うからの抜粋です。
これは、家畜の感情世界に関する本ですが、
彼が訴えたい点に関して、
ペットと畜産動物に、垣根はないはず。
 








パブコメは投票ではないので、同じ内容をコピーした大量のコメントって
パブリックコメントの趣旨からはずれるけれど、
業者さんと国民、それぞれのコメントの質が違うってことは、審査に影響するんでは?と思ってます。
審査するのも、人だから。
国民のコメントの方が本質に近いですよね。
うーん、甘いかしら。

でもさ、黒人奴隷が解放されたのも、憤った人がいたからでしょ。
こげんたちゃんのことも、みんなが怒って訴えて。
(充分な量刑とまったく思わないけど、
今までより重い罪が課されて、前進ではあった。
何があろうと、よしとしたくはないけれど。)
 
世界がよりよく変わるとき、
その流れの1番の最初に動いたのはどこかと遡ったら、
それは人の気持ちに決まってると、おら思ってんだ。



 

チモ子のベジベジ相談室

と思ったら、アップできたよ。
ブログの精ったら、きまぐれね。

はい、こんにちは。
チモ子のベジベジ相談室にこんなご相談が寄せられたんでございますよ。

「チモ子さん、こんにちは。

彼氏とアニマルライツについて、罵り合いになりました。
(んまぁまぁ、いきなりですね。チモ子びっくりよ)

その後、彼氏が歩み寄ってくれたのですが、
やはり今後、私が直接情報を提示すると、おそらく感情的な反応があるように思います。
何か映像を見て、二人で学ぶという形をとって、
理解してもらうのがいいでしょうか。
その場合、おすすめの映像はありますか?」

これはチャンスですね、素晴らしい好機ですね。

彼氏はもちろん、彼女も
きっかけさえあればヴィーガンになる人だから。

それ言ったら世界中の誰もがそうだけど、
そうじゃなくて、本人は知らないだろうけど、
もうすでに、きっと準備ができてる人だから。

アニマルライツに関心が高いのです、彼女。
でも、ヴィーガンになるには一歩が踏み込めないみたい。

ネットもせず、本も読まず。
そういう情報なしで、私のつたない呼びかけだけで、
アニマルライツの感覚にしっくりきてる人なので、、
あとは、実感するだけなんだと思う。

映像は最適ですよね。

今まですすめ続け、しかし拒否されてきましたが・・・
ああ、タイム・イズ・カミングなんじゃないですか、これって。

この世にヴィーガンが、仲間が増えるかもしれない。
そう思うと、叫びたいくらいうれしい。


祝砲を上げよー!ブブー!(オナラ)
キャーッキャッキャ!(自分でうけてる)

ま、ま、ま、なるときはなるし、
ならないときはならないし、
私が力まなくていいのよ、
むしろ、我欲を出してはいけない。
落ち着くなりー、落ち着くなりー、と言い聞かせつつ。

最上の道って、どれかしらね。

やっぱり私の好きなリバー・フェニックスの弟、
ホアキン・フェニックスがナレーションを務める、
アースリングスでしょうか。


イマジネーションを使う、新しいドアが開く

時々シュールな精進日和さんに、興味深い記事貼ってありましたぞ。
なるほどー。

こちらの記事。ロケットニュースだって。
「犬猫の虐待は「かわいそう」と思うのに食用の牛豚を「かわいそう」と思わない理由が判明


多くの人が肉食する限り、犬猫の虐待もおそらくなくならないだろうと、
うーん、私はそう思います。
 
なにより残念ですが、肉食という行為を通して、
わたし達は家畜を虐待しているのです。

これね、誰かがこう書いているのを
自分が最初に読んだとき、言いすぎだ、と思いました。
だーから極端なんだよなー、ベジタリアンって思いました。

虐待って。虐待なんかしてないよ、わたし動物好きなのに。
食べるためだもん、生きるためだもん、虐待じゃないよ。
そう思いました。不愉快でした。

でもね、他に食べるものがあり、それで健康に生きていける世界で、
それでも動物を殺して食べる、その理由はなんでしょう。

「今夜ぜひご馳走します。
おいしい犬が手に入ったので」


そう言われたら、肉食は弱肉強食だから。
感謝して。
いただきます。
と、わたし達言えるでしょうか。

わたし達が共に暮らす犬や猫を食べられないのは、なぜでしょう。
逆に、わたし達が、牛や豚を食べるのに、特に深く考えることがないのは、
牛や豚は、犬や猫とは違うと、きっとどこかで思っているからです。
 
そして動物を虐待する人はたぶん、
犬や猫は、人とは違うと思っているのです。
だから、虐待できるのです。

泣き、苦しみ、懇願する犬や猫を、
時には楽しんで、死に追いやることができるのです。

動物を虐待する人はさらにエスカレートして、
人間に危害を加える確率が高いことが立証されています。

ボーダーがなくなってしまうのです。
想像力と共感が、彼らにはないのです。


食べるのと虐待するのとは、違いますか。
確かに違います。全然違います。
虐待者が、動物に感謝をしているかと言ったら、たぶんしてないでしょう。
でも、感謝してたらいいでしょうか。

人が肉を食べるのは弱肉強食。
そう言われますが、弱肉強食は、肉食の是正だけではなく、
その流れがあることで、環境が破たんすることなく廻ることです。

残念ながら現代の肉食の仕組みは、
すでに弱肉強食とは言えないのです。

私たちの肉食は、環境を破壊し、飢餓を生み、
途方もない数の動物を不必要に苦しめています。

弱肉強食に、肉食が含まれるのはこの世の理で、
人がどうこうできるものではないですよね。
ですが、いかなる場合も、肉食は必ず弱肉強食だとは言えないのです。

週に一度でも、肉食をやめてみませんか。
これが本当に必要だろうかと、自分の胸に聞いてみませんか。


 多くの人は犬や猫を食べることに、抵抗を感じるその理由に、
殺される犬猫、彼らの抵抗が、苦しみが、悲しみが、
容易に想像できることだと思います。

やめてくれ、そんな必要はない、
犬や猫を、彼らを食べる必要はないと、思う人が多いはずです。

胸が痛む。それって、自然で、正常な感覚です。

そしてそれこそが、私たちが肉食は自然なことだと、本当は感じていない証です。

犬猫が食べられなくて、牛豚が食べられる。
それは当たり前なんです。
多くの人は、牛や豚に、私たちと共通するものを身近に見たことはない。

肉食は不可欠なものだと教育されていても、
そもそも、誰も積極的に見せたがらない、語りたがらない。

屠殺場はもちろん、いろんな情報さえクローズされがちで、
どこかぼんやりと、実体のつかめないことです。

この前知人がね、私が
「屠殺される牛の放血がすごい勢いで・・・」と言ったら、
「ほうけつ?ほうけつってなに?」と言いました。

説明すると、何かに思い当たったような目をして、

「そうだよね、私、殺されるのは牛って知ってるし、
床に血が流れてるのも想像できるのに、
その血が牛の首から飛び出すのが、抜け落ちてる・・・」


と言っていました。

そういう仕組みなのです。

想像ができないのです。
する必要も、なかったのです。
実感できなくて、当たり前なのです。

悪い人だから、冷たい人だから、肉を食べられるんではないんです。
ここがごっちゃになるから、
ベジVSアンチベジの間で論争になるんではないかしら。
議論が極端になりやすいというか。
個人的な悪者を必要としてしまうというか。

ぜひ、想像と共感を胸に、
家畜と言われる生き物を見てみてください。

彼らの暮しを、気持ちを、想像してみてください。
彼らの喜びを、楽しみを、苦しみを、悲しみを、恐怖を。

それを自分の愛する人に、犬に、猫に、
味わわせられるだろうかと。

味わわせることに抵抗を感じたら、
それを牛や豚にさせることは、それしか道のないことなのだろうかと。


彼らが犬や猫と、そしてわたし達とも、何も変わらない感情を持つ命で、
私たちの選択に、彼らの命がかかっていると気づいたとき。

世界を救う偉大な指導者や、
活発に活動する愛護団体や、
尊敬できる平和主義者ではなく、

家畜と同じ命、たった一つの命を持ち、
毎日を精いっぱい生きてるあなたと私の心から。
平和な世界は、そこから広がるんだと、私は思います。

5万通の

8月27日締め切りのパブリックコメント、
5万通を超えるメールがあったそうです。
(反対意見も含みますが)

また2回目のパブリックコメント募集もあり、
(2011年中に、虐待の防止、多頭飼育の適正化、自治体等の収容施設、特定動物、実験動物の福祉、産業動物の福祉、罰則の引き上げ等についての意見募集が行われる予定)

パブリックコメントを参考にしつつ、審議会が行われるのですね・・・

個人の力ではどうにもならないことって、たくさんありますよね。

虐待現場を見かけたとしても、どうすることがいいのかわからない人がほとんどだと思う。
どこへ連絡を?いったい何をしてくれるのか?

理不尽な状況の動物を見ても、
個人で力を尽くせないなら、手を出すべきでないみたいな風潮ってありますがー、
そもそもそんなのおかしいんですよね。

もちろん、捨て猫捨て犬、迷子の動物に対して、
個人が負担しなきゃいけない覚悟ってあると思いますが、
満足な受け皿も用意されてないのに、
助けたければ、助けたい人が犠牲や負担を伴って当たり前、という精神論だけで語られる部分が多かったんではないかと思います。

それは、しり込みするよね、多くの人は。
泣く泣く、捨て猫をそのままにしてきたことがあるって人だって、
どこかに受け皿がきちんとあれば、
それが広く認知されていれば、そんなことはしなくて済んだかもしれない。

もちろん個人の力が大事だけれど、国がフォローしてくれれば、
そういった活動に積極的に関わろうという人も、現れるでしょう。

法律の力って、やっぱりすごいんですね。
法律が変わったって、人の心が変わらなかったらしかたないって、たまに見かける意見、
私はやっぱりそうは思わないな。

受け皿が整えば、人々の認識が変わる。
認識が変われば、選択する行動も変わる。

5年前とは違う。

私たちは、それを望んでいて、
形作っていく気持ちがあるんだもの。

願いは少しずつでも、ちゃんと形になっていくんだ、と、今すごくそう思います。

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