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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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討論!雑談!交流会!・・・の回

討論!雑談!交流会!に参加、
アニマルライツセンターの理事の方と、
30年間ベジタリアンの方のお話を伺いました。
 
フー、行ってよかったですねぇ。
 
「動物愛護論者は感情的だ」との意見に対し、
「共感は人間に有用だから発達したのであり、
感情から訴えることはなんら悪いことではない」
って、本で読んだりするのとはまた違って、人の声だとさらに胸に迫るものがあります。
 
そうなんだよね、
「教育を受けることは幸せなことだから、動物にも教育を」
「動物も質のいい服を着たいだろう」・・・とか言ってるんであれば、
感情的って言われるのもわかりますが。

いや、これは感情的とは違うかもですが。
 
生まれた仔牛と引き離されるのは、牛にとって辛いだろう。
豚が麻酔なく、去勢されるのは辛いだろう。
 
そう思うのは、そもそも感情的なのか?とかね。
 
動物だから、実際どう感じてるかはわからないって言われますが、
自分ちの犬や猫をつねってその反応を見れば(いえ、つねりませんよ)、
喜んでるか嫌がってるかは、わかりますよね。
 
ところが犬猫に行えば犯罪なことも、家畜だと動物好きな人も「仕方ない」とどこかで思う。
 
これは、何が原因なのかなーと思うに、情報が少ないからだと思う。徹底的に少ないからだと。
 
動物が好きで、動物虐待には心を痛める人が、
牛の屠殺映像を見てたあとで、
動物を食べなくても生きていける、という選択肢が提示されたら、
ベジタリアンになる人増えると思います。
 
でも、見たいものではないですよね。
私もです。未だに見られないです。
 
「肉を買うことによって動物の殺害を要求する人々は、
自分たちが買う肉の生産の様々な側面に目や耳をふさぐ権利を持っていない。
もし人間にとって家畜の悲惨な生活について考えることが不愉快なら、
実際に経験することは、家畜たちにとってどんな体験なのであろう。」
ピーター・シンガー
 
この言葉で、ベジタリアンへの道に背中を押してもらったの大きい。
私見られない。
見られないのに、自然なことだからって肉を食べること、私にはできないのですよ。
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肉だけ・・・の回

初めは、肉さえ食べなければ・・・と思っていたので、

「乳牛の一生は肉牛より悲惨」と言われる意味がピンと来ませんでした。
逆じゃ?と思うよね。

ウールとかは感謝して使えばいい、命は奪ってないもん、とも。

違ったんですね。違ったんですよ。

今まで思ってきた事と現実のあまりの違いに、 まるで悪夢を見ているようだと思いました。

「苦痛を少なく配慮し、感謝をしていただく」
そういうレベルでなく、

「われわれは、動物に対する無意識の残虐性と戦わねばならない。」
(アルベルト・シュバイツァー)

というレベルの話でした。


家畜のことを調べるうちに、ウールもひどいだろうと
他の家畜に対する扱いから想像がつきましたが、
この前Natsumiさんのマンガで詳しく知りました。

人間に都合よく改良を加えられた結果、 あの毛皮に蛆がわいてしまうのだそうで、
それを防ぐため、金具の機械に両足を固定し、
無麻酔で臀部の皮をハサミで剥ぎ取るのです。

ミュージングというこの行為。
それが元で死ぬ羊もおり、もちろん断尾・去勢も無麻酔。
そして、最後はたどり着くまでに何頭も絶命する、過酷な船旅です。
生きてたどり着いた先で、食肉です。

どこら辺に、感謝があるのかな。
感謝より効率なんだよね。
私達が生きるために仕方ないって、どこらへんがだろうか。
ぐるぐる考えます。


「われわれは、動物に対する・・・」と言ったシュバイツァーは、 菜食主義者であったそうです。
彼の言葉は、このように続きます。

「動物もわれわれと同じように苦しみます。
真の人間性は、動物に苦痛を与えることを赦すものではありません。
われわれはこのことを悟るのが遅すぎました。
全世界にこのことを認めさせるのが、われわれの義務であります」

私は、この言葉が好きです。
エエイおくさん、今日は大サービスだ  もっと持ってってくんな!


「理想と思う世界の変化に、自分がなりなさい」   マハトマ・ガンジー

「できることから、コツコツよ」 チーモ

おや?


肉食と飢餓…の回

肉食は、人それぞれの思想・嗜好なので、「個人的な問題」ととらえられがちですが、
世界の飢餓や環境破壊とも密接に関わっています。

世界で生産される大豆の80%が家畜を育てるために消費されており、
これは、現在飢餓状態にある約8億5千万人の人の餓えを癒せる量だとご存知ですか?

地球温暖化の原因である温室効果ガスのうち、畜産業が排出しているのが18%で、
温暖化に大きく影響しているイメージを持つ自動車や飛行機などから排出される総量よりも
多いってご存知でしたか?

また世界中では毎秒(!)、サッカー場7個分に当たる森林が、
家畜の放牧や飼料のために伐採されています。
木を切り倒せば、木々が蓄えてくれていた二酸化炭素が大気中に放出されます。

1キロの米を生産するために1,900リットルの水を使うのに対して、
牛肉を1キロ生産するのには15,000リットルもの水が必要です。
屠殺場でも大量の水が使われます。
また牛一頭の総量すべてが食用にされているわけではなく、
食肉になるのは確か三分の二から半分程だったように記憶しています。
(資料が手元にありません。はっきりしたらまた書きます)

肉食をやめて菜食にしませんか、と声をあげたことのあるベジタリアンが、
特に畜産問題などに関心を持って調べたことはなかった、というごく普通の善意の人から、
あなたの考えは偏っている、と言われた経験があるかも。


「動物は感謝すれば、食べてもいいのだ。
そもそも肉を食べなければ、栄養バランスが崩れる。」

私たちは、そのように教育されてきたもの。
偏りがあると感じるのも無理はないのだと思います。

でも、上に挙げた数字や現象が表すこれらは極端な思想などではなく、ただの現実です。

環境を破壊し、動物を自然から引き離し、多くのものを犠牲にして、

それでも肉は、一部の人の口にしか入りません。

アメリカ人が週にたった一度の食事を菜食料理にするだけで、
50万台以上の車が消えたのと同じだけの二酸化炭素排出削減ができるのですって。

環境破壊を止めるにはベジタリアンになることが望ましい、との国連による報告がされていて、
実際、「週に一度、菜食にしよう」という試みが、欧州のいくつかの都市ではすでに始まっています。

肉食は太古から続く自然なことと言われるけれど、日本で今のような食生活になったのは戦後からです。
同時に成人病が爆発的に増えていて、これは肉や乳製品のとりすぎが原因と言われています。

自分の好きなように、自分の好きなものを食べるのも愛だと思う。
自分への愛だって大事です。

ちょっぴり視点を変えてみて、地球への、動物への、飢えて死んでゆく子供たちへの。
私達のテーブルからできることがあるなんて、すてきです。
「週に一度」、いかが?

スピリチャル・・・の回

動物を食べることって、魂とかそういうことから 見るとどうなんですかねー?と
子供の頃から疑問だったという知人、 (いわゆるスピリチャルな人ではない)

ある日テレビで霊能力者が
「自然の法則ですから、動物さんに感謝して ありがたくいただきましょう」と
言ってるのを聞いて、 霊能力者が言うなら真実だろうとずっと納得していたと、
先日一緒にご飯食べた時、 聞かせてくれました。かなり頷く私。

昔、霊能力者=人格高潔、私、勝手に思っていて。
たまーに霊能力者って人の言動に 「え?」って思うこともありましたが、

「霊能力の高さと人間性と霊性は、 一致するわけではない」

らしいと知り、長年の疑問に目からうろこでした。

・・・知ってました?私は知らなかった~。

勝手に「この世の理を知ってる、全部わかってる人」って思ってた。
でも多くの人はそう思っちゃわない?

今は、なんというか、
「その人(霊能力者)がそう言うんなら、
その人にはそうなんじゃないんですか」って感じです。

心の底から、素で。
誠心誠意、素で。
皮肉じゃなく、そう思います。

その人がそう思ったり感じたりするんなら、 それはもう、真実そうなんじゃないですか、って。
(なぜ2回言ったのだろう)

「私」はどう感じるかってことが、 ずっとずっと大事なんだと思う。(自戒を込めて思う)
霊能力者がそう言うことより。

私は肉食に関してはシルバーバーチの言うことが、
すべてではないけど1番しっくり来ます。


魂の話って、ずっと否定してたのです。
リアリストでいたいし、 魂の立場から動物の話を訴えても、
「ファンシーな人が何か言ってますね」くらいで、
真剣に聞いてもらえないだろうと思っていたし。

でも、魂はあるってどっかで感じてるのに、
否定し続ける方が私には難しかったですなー。

でも誰彼かまわず、スピリッチャルの話をしたりは、ね、 ・・・しませんよキャ!!
今、こうして書いてるのは、あなたに知って欲しくって、
わたしのことキャ、はずかしい・・・!
おっと、昔から1人遊びが得意でした。

いわゆるスピリチャル、好きではないのです。
いい訳めいてる?そうよね、でも、好きじゃないの。
そんで、そういう人、多いと思う。

「家畜はそれを学びに来てる」から、
「我々は感謝して肉をいただく」
とかになりがちな理論も、控えめに言って好きじゃないのです。

地球に生まれてきた人間が、 よーく見て知って、考えなきゃいけないことが、
スピリチュアルな視点がからむと、 なんとなく納得できるような、
わかったような気になってしまうのが、

生理的にイヤ。
そして、すごくこわいことだ、と感じます。

この世に無駄なことはない、と私もそう思います。
人が殺されて死ぬことさえも、意味があるのだろうと思うのです。
それが、その人の学びなのかもしれません。

でも、その人が殺されそうな時、
「その人はそれを学びに来てる」から、「そこから私達は何かを学ぼう」・・・
(はい、ここから大事。テストならがっちり出ます。
テストにはなりませんから出ませんが、とにかくそのくらい大事です。)

「だから、仕方ないことなのだ。黙って殺されるところを見ていよう」

って、お、思わないでしょ。

(私は一生懸命話したあとで、「今の話、たとえ話がいらなかったね」ってよく人に言われるので、
これもいまいち読む人のお心に私の思うとおりにお届けできてない自信ありですが)

上の状態で言えば、まず、殺されるのを止めようとするし、
その事実に少なからず他人でも動揺するよね、殺されることが不変の運命でも。

誰かがどんな理由でも殺される運命にあることと、

それに対して私達が、それを受け入れるかどうか、
それが本当に必要かどうかは、まったく別のこと。

肉体と魂の両方で生きてるのに、
この地球で犠牲を少なくするよう心がける生活には注視せず、
「すべての命は同じ命である」ってスピリチュアル、

私には、

豚の日光浴のことも、牛の親子の鳴き合いのことも、
真っ赤に実るリンゴのことも、
人間が生きていくのに充分な実りをくれる大豆のことも、

この地球に生きながら、何も見ていない気がする。
わたしには、そういう気がする。

わたしがそう感じるだけなので、
皆が感じなくても、もちろんおかしくないのです。

すべての命は同じ命であるというのは、同感です。

ベジタリアンって、「植物の命を食べるのに、動物の命を食べることをどうこう言うな」って、
言われること多いと思います。

私の命と、植物の命は、まったく同じ命です。

でも、私が子供を連れ去られたら、悲しみに打ちひしがれる。
私が殺される時は、必死になって抵抗し、とてつもない苦しみを味わう。 

私と植物は同じじゃありません。
そこを見つめるのが、人間じゃないでしょうか。

私たちの毎日の生活の中で、それは、本当に必要な犠牲だったのか。

たましいの話だけじゃなくって、きちんと自分が住んでる時代や、
地球の現状を知って、判断する。

そこまで考えるスピリチュアルを、私は支持します。

ここまで書いて、なんかスピリチャルは あんま関係ないって気づいてしまいましたが、
今まで書いた自分のために、 しっかりアップ。
恥をかいて、人は大きくなるのです。

ですが、自分の設置した文章ゴールにいつまでたっても辿り着けないなら、
市で開催してる作文教室とかを探してみるのもありかもしれませんよ?(自分へのアドバイス)

フゥ、私が読んできたブログってすごかったんだなぁ。
「シンプルであることの難解さ」という宮本輝氏の言葉が
今日ほどしみる日が今までのチーモにあったかしら。

サンクチュアリ…の回

「時々シュールな精進日和」さんで紹介されていた写真たちです。
こちらで紹介する許可を快くいただきました。

Natsumiさま、ありがとうございます。ムフー!

洪水により飼育工場が水没。
水没以前に多くの豚は屠殺、残りの豚は、おしこめられた
狭い狭いケージから逃げることもできず、ほとんどが溺死。
わずかに生き残ったそのうちの一頭のお母さん豚は、
水位が上がった時に高いところに逃げ込み出産し、
しっかりと子供を守っていました。

レスキューされ、ファームサンクチュアリに到着したぶた達。
(写真大きくして見てみて下さい。可愛いから)

(・・・大きく写真を載せる方法がわからなかったの)
(ごめんね)
(皆さんにはお手数かけます)



 (ご到着!)

この写真を見て、ベジタリアンになろうと決めたときを思い出しました。


(さぁさぁ、いらっしゃいな)

このぶた達は、この先二度と、無関心や暴力に搾取されずにすむ。   
 

(大変だったね)


私たち一部の恵まれた人間のように、感情があると認められ、
傷つけられるのは許されず、
豚らしく生きる権利があるものとして扱われる。


 (おつかれさま)

(もう大丈夫)

この事実が私に与える喜びったら、言葉で表せない。

                (こども達も到着したよ)

環境のこと、倫理的な問題、健康のこと、
動機付けは色々あるけど本当は、そうじゃなくて、

 


食べなくて済むなら、食べなくていい。


 

生きてることを喜び合いたい。
ただ、それだけ。

このぶた達となんら変わらぬ、仲間や人間へさえも愛を持つぶた達が、
人間の食品になるために今日も殺されています。

その圧倒的な数に比べ、この数頭のぶた達の命が助かったことは、本当にささやかなことです。


 


それでも、数多いるぶた達の中で、
屠殺場への死のレールから外れ、彼らが救い出されたことに、


喜びを感じた方。
ホッとした方。

今のあなたが、肉を食べる人だとしても、

今のあなたが、肉食は神が許した自然なことだという考えの人でも、

そんなことは関係なく、
あなたは、きっとベジタリアンの種を持って生まれた人。


あなたが、屠殺される豚の瞳を見たくないと感じる心の持ち主なら、

あなたが、仔牛と引き離される母牛の悲痛な泣き声を聞きたくないと思うなら、

あなたが肉を食べることは、彼らへ加えられる本当は不必要な暴力に、
あなたも加担することなのだと、罪なき無知ゆえに知らないだけなら、




あなたはベジタリアンとして生きる方が、
ずっとずっと幸せになれると、私は確信します。  

 
 
 

毛皮デモ…の回

10/24、参加してきました。
400名以上だったそうで、年々人数がどんどん増えているわね・・・
このままだと近い将来、国民全員がデモに参加することになりますね!(興奮)

毛皮反対デモは「反対」だから参加しない、とブログされている方がいました。
スピリチュアルなことに興味お持ちになってる方だと思います。
プラスなことをイメージする、という意味ですよね。私もそう思います。
プラスにこそ関わるべきですよ、人は! ほんと、そうっすよ!それしかないっす!!

でも、デモには参加する。 (でもでもには・・・だって。くす)
反対と叫びながら希望を持ち続けることが、私達にはできると思うから。

どんな悲惨なことを目にして心を傷めても、
そこからまた、明るい方を目指そうとすることが、私達には絶対できるから。

化粧品の動物実験などでも、EUでは日本よりはるかに先を行っているけど、
そこにはやはり、実際に人間が行動した力というものも大きいと思うし。

当日は、自宅から1人、アピールTシャツを見せびらかして歩きました。
私と同じ電車に私が乗ってたら・・・
「あなた鼻たれてる! 着なよ、手に持ってる小粋なトレンチコート!」
って思ったと思う。
いやー、寒くってさー。
鼻は出てたけどホラー、メッセージびよりじゃない?(お金持ちマダム風)

Please, think before you eat . GO VEGETARIAN
 後ろは、ブーちゃんテーシャツ。 すごい見づらい写真で失礼。
「GO VEGETARIAN」て言葉、この世で10番目(適当)くらいに好き。
 


なんか、なんか・・・もっとボインじゃない・・・?わたし。
あとこんなに胴長い?ロンTだから・・・?
(写真が鮮やかに切り取った現実を受け入れられぬ悲しい人間を・・・
あなたは、今目撃しているのです)
 


懇親会にも参加しました。
畜産と環境について、アニマルライツセンターの岡田代表がお話してくださりました。

私、倫理的な観念から動物を食べないのです。
菜食は地球にもいい、というのは知っていましたが、具体的にはピンときてなかった。
しかし、具体的にも地球環境にすごい貢献していることがわかり、
菜食してきて初めて、わ、わたし!こんなことしてたんだ!と思いましたよ。
刺激になります。


アニマルライツ支持者でもそうでなくても、考えややり方は異なるわけで、
共感できる人、嫌な意味じゃなくて、自分とは考えが違う人。いろんな人がいます。

相手の考えが自分とは違っても、別に悪いことじゃない。相手を受け入れる、という人間関係の基本。

この人は、動物のために、私とは違うやり方で頑張っているんだ、と。
胸が熱くなりますな・・・。
みんな自分なりの、正しさを持っているからね。
それでいいんですよな。

それぞれの異なる考えを持ち寄って、話し合いましょう、おんなじテーブルで。
と思いました。
そしたら、いろんな知恵が集まって、もっとすてきな世界になる。絶対なる。

なんでもそうだけど、
ねぇ、そのやり方ちがくない?って批判だけするのって、この世で一番簡単なことですわね。

そういう批判を見たり聞いたりするのって気分のよろしいものじゃなくて、
つい「あなたはどうなの?」とか思うときもありますが、

自分も、誰かを批判しそうになったら・・・

ボランティアに行く。 とか。
誰かの肩をもみもみする。とか。

簡単じゃない方。

どんな小さなことでもいいから、誰かの、何かのためになる方。
そっちを選び続けたいな、と思いますた。
 
 あの日一緒に歩けた方、どうもありがとうございました。
「気持ちはあったけど行けなかった」という方、来年ご一緒できますように。
今この瞬間、「全然知らない。毛皮デモも、毛皮の生産過程も」って方、
いつの日か、一緒に歩けますように。

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