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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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ヘミングウェイの飼ってた猫は指が一本多いらしいよ

海からの贈り物は見つかりませんでしたのよ・・・。

縁があればまた会える、キリッ(遠くを見つめながら)(その前に本を整理しよう)

ああ、でもあの夕焼けの瞬間に読みたかったなあ。
叶えられなかった思いを胸に、ムンムンと熱い気持ちになったチーモ、
夏の終わりの締めくくりに読む本だって、もう決めた。

ヘミングウェイの「白い像のような山並み」

初めて読んだのは14のころ。
??キョトン?て感じだった。

この小説の中で何が起きてるか、14ながらそれはわかるんだけど、
なんでわざわざ、このやりとりを小説にする意味がわからなかった。
ていうか短編集だったんだけど、全体的にそんな感じの印象で、
ヘミングウェイたいしたことねぇな、っておもった。

いまはわかる。

あ、中絶を取り扱った小説ですけど、チーモが今そういった問題に対してるとか、
そういうことはございませんのよ。

チーモ、親も(妊娠?)って心配するくらい、おなかが出てるけど(食べ過ぎ)。

やだ最近のわたしのお腹って、ビーナス誕生の絵みたいじゃん?って思って画像検索したら、
ハッ(鼻で笑ってる)、ビーナスよりわたしのお腹のが出てて、
仕方なくわたしのお腹にそっくりな画像をさがしてたら、
みつかったのがハンプティダンプティだったとか、
そういうトラブルはありますけど、ホホホ。
だって、ご飯がおいしくて。(無邪気)

まあひとまずよしよし、今日が夏の終わりだという日に読もうと、
ご満悦顔で思っていたんですが、
ネットで検索したら、なんてこった、
読めちゃうんだよ。読んじゃったよ。
白い像のような山並み
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本探し

お盆ヌ休みも今日で終わりだす。

ほんとの夏の終わりの1冊は、また考えるとして、
とりあえずわたしの休暇の終わりに読む本として、
リンドバーグ夫人の 海からの贈り物 を読みたいと思いました。
これしかないよね!という確信を抱くほど、今の気持ちに、空気に、ぴったりだわ。

夜は友達と会う。
それまでの、夕方の3時間。
わたしの夏の第一部を閉じてゆく、しめくくりのこの貴重な瞬間。

なのにさぁ、文庫本が見つからないってどゆこと。ええ、一体どうなってる。
押入れなのか、本棚なのか。それとも誰かに貸したのか、あげたのか。

一時、文庫をおけつのポッケにつっこんで、
嬢とお散歩に出てた記憶はあるのだが。
庭で読みながら、静かに胸に響かせていた記憶はあるのだが・・・その後が。

汗まみれで探してます。
誰か知りませんか。

猫と短歌で秋の夜

♪秋ーの 夜ー長ー
♪おお たむ・たむ オータム・タム

秋の夜長、いかがお過ごしでございましょう?

neco.jpgわたしはこの本を、
本箱から発掘して読んだりしてますよ。

短歌っていいよね・・・
いいよね・・・。












昔獣医の先生が、
「たとえば病院でも、里親募集かけたら来た希望者が、実は全然里親じゃなくてどっかの撮影スタッフで、
もらってったネコを撮影で使って捨ててっちゃうことがある」
って聞いてから、こういうの見ると、「あ、あ、あんたたちは大丈夫でしょうね!?」とハラハラしてましたが、
この本の写真のネコつんたちは、「誰かさんちの何とかちゃん」が多くて、まだ安心なのです。
(しかしほんとう、ろくでもないことをしおる輩がおるんですね。
猫の気持ちや、あげた人の気持ちとか、想像力ってないのですか。
その仕事を通して、世の中に何を提供してるおつもりか。)

短歌作るってすごい。

昔チビチビが見てた韓流のドラマ、
時代とか、流行とかがやはり日本とは違ってて、出てる俳優さんのズボンが、
ものすっごい裾広がりのパンタロンだったことに、チビチビはえらい衝撃をうけたらしくて。

どのくらいの衝撃って、思わず短歌を作っちゃうほどだったそうです。

「あなたのズボンのすそがふわふわすると私の心もふわふわするわ」

みたいな短歌を作ってて、すごいな、と思いました。
ほんと驚いたよね、コイツ天才だな、と。

短歌って、わたし作れないんです。
じゃあ何なら作れるのって、フ、おじょうさん、キミはかわいいことを言うものだ。
僕は何にも作れないさ!コイン(石けり)

文や言葉を、削ぎ落とすってのができない。
だからいつも、無駄に長い。文章。
なのに必要な主語とかぬけてて、あとで読み返した時、意味わからないことしょっちゅうです。

逢いたくなっちゃだめなんだって。
今、特に、誰に遭いたいって思ってなかったけど、
こんな、まだ肉球が半透明っぽい子(表紙の子)に言われたら、だれかに遭いたくなっちゃうな。キュン。

・・・あ、おいおいちょっと、「あいたい」の字が途中から全然まちがってるじゃん、
これ、「遭難に遭う」の方の「遭う」じゃん。全然恋じゃないじゃん。
不吉さに胸がキュンとした。そんなのヤダ。

とにかくこの本は、
あかちゃんねこの証、「まだお耳がおめめの真横についてるんです」ちゃんたちが、
お腹やその他もろもろを丸見せで、ひっくり返ったりしてかわいいのです。キュンキュン。
大人ねこの、見透かすような、自立しきったような、
だからこその、甘い、きれいな瞳もたくさんうつってるんです。オイラの心臓はもつのか。

短歌もいっぱいなんです。
でも恋の歌だから、やっぱりキュンとして、ちょっと疲れる。
つまり、心臓に負担がかかる本、と言えます。(どんな感想か)



夜中のスパゲテー

茨木のり子さんの詩集が読みたくて、夜中だけど、
衣装ケースにしまってる本を、汗かきかき発掘してたら、
思潮社の現代詩文庫のビニールカバーの表紙がやっと見つかった。

あったあった!と喜んで引っ張り出したら、表紙には「石垣りん詩集」ってありました。

なんでか、石垣りんさんと、茨木のり子さんがごっちゃになるのです。
たぶん、いえ確実にアホなのです。
今回も、何か思い違いをしていたようです。
こんな夜に・・・バカ。

茨木さんは売ってしまったのだろうか・・・。
どうして大事な本を、今は読みたくないという理由で手放すのだろうか・・・。
どうして長い目で大事にしないのだろうか・・・。
どうして愛されるより愛したいのだろうか・・・。
女は愛されて幸せになるというけれど、
愛されることより愛することに幸せを感じる女はどうしたらいいのだろうか・・・。
あといま、お腹ぺっこぺこだから夜中だけどご飯食べてもいいだろうか・・・。
きっといいのではないだろうか・・・。
ペペロンチーノがいいのではないだろうか・・・。

と、ずいぶん遠くの方にまで意識が飛んでしまいました。

いいの、読みたかった「ムーミンパパの思い出」が発掘されたので良しとします。

ところで衣装ケースから出した本が、衣装ケースに戻りきりません。
なんでかしら?おかしいわね。ケースがちぢんだの?
これたぶん、涼しくなるまで戻せません。自信があります。

しかし衣装ケースのせいにはできませんよ。
のり子さんも言ってるじゃない、そうよ自分の衣装ケースくらい・・・!

自分の感受性くらい

茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


 

いじわるばあさん


マンガ・いじわるばあさんを読みました。

いじわるばあさんって、この人が繰り広げているこの行為を、単に「いじわる」って言っていいのか、
そもそもこの人を「人間」って言っていいのか、というような気持ちになります。
ひたすらいじわるしてる。いじわるっていうか、時々犯罪も犯してる。

赤の他人に、自分が食べた食事代を勝手につけるなんてのは序の口、
人をマンホールに落としてみたり、たまに自分が井戸に落ちちゃって、ガリガリになって救出されたり(でも憎まれ口叩いてる)、
いじわるするために変装したり、小道具使ったり、他人はおろか、
自分自身の子供へも容赦なく、一体このばあさん、なんでこんな風になってしまったんだろうかと、
ばあさんの成育歴にまで思いを馳せてしまう暴れぶりです。

家族で旅行に行くからという理由で、自分の犬を隣家に預ける回があるんですが、
犬は雨戸のしまった自分の家に向かってフーンフーンと鳴くのです。
おとなりさんは「やっぱりおばあちゃんが恋しいのね」って思うのですが、
実はばあさんは、旅行に行ってなくて雨戸を閉め切った家に1人でいて、
「見栄ってもんがあらあな。(家族旅行に)誘ってもらえなかったなんて言えますか」ってふてくされているのです。

あんた・・・いつもいじわるばっかりしてるから・・・って激しく脱力しました。
いじわるやめればいいのに。

って思っていましたら、我らがいじわるばあさん、
「元旦位はいじわるを止めるよ」って言い出して、
みんなのためにニコニコおもち焼いたり、お茶を入れたりしてるんですが、3コマ目で突然倒れちゃって、
4コマ目では、気絶したまま布団に寝かされてるばあさんを診察したお医者さんが、
「潜在性欲求不満ショック発作でしょう」みたいなことを言ってた・・・。

このばあさんは、いじわるしないと卒倒するほどのストレスを感じてしまうんだよ・・・!

すごい笑った。
これ読んだとき、いじわるしなきゃいいのにとか、普通なこと思ってばあさんに申し訳なかったな、と思いました。

そんないじわるばあさんを生み出した長谷川町子さんは動物がお好きで、犬をひどい飼い方してるおうちに抗議の電話するくだりが、たしかサザエさんについてたエッセイマンガにありました。
いや、選り抜き長谷川町子みたいな本だったかしら?(どれだけ町子が好きなのか)

かわいいからどうぶつ好きっていうだけでなく、生きているもの自体に慈しみを感じる人なんだろうなーってのが端々で伝わるマンガだった。

サザエさんも面白いし、長谷川町子さんてすごい天才だったんですな。




本カバー

買ったけれど読まないでいた本を読もうキャンペーン開催中です。
カラーパープルなどは、2年くらい寝かせてたんじゃないかしら。
(この記事の本タイトルの太字部分、アマゾンにリンクしてます)

「神さまは祭壇になんかいない。白いひげで青い眼なんかじゃない。
わたしを喜ばすこの世のすべてに、神さまはいる。」


わたしもそう思うわ、セリー。

沈黙の春、そういえば読んだことなかったの。
一昨日買ったんですけど、これもしばらく熟成させる予感がします。

物事には、し時が、本には読み時があると思うの。という言い訳。

CIMG1073.JPG包装紙や、通販のお買い物の段ボール内で、梱包材?として使われてた紙などをたたんでとっときます。
これが奥さま、カバーをかけるのになかなかなのであります。
今日は15冊くらいかけました。フーゥ。

チョビチョビと作った、50音はんこでタイトルを押します。
ひらがなだけで、間は抜けるけれど(からーぱーぷる、ちんもくのはる)、私らしいと言える。かもしれない。

先日買ったぼくが肉を食べないわけ」は、500円だった・・・。安すぎじゃない?
大分汚れてるけど、内容と釣り合い取れてないんじゃないかしら?せめて1000円でしょう!?
前半の栄養やホルモン剤についてを読み終わり、これから食肉にまつわる世界で動物が、
どのように扱われてるかの章に進みます。深呼吸です。


本はいいですね。ああ、大好きです。

わたし、本をどこにでも持っていくし、汚してしまうので、
現実的な対策としてのカバーかけだったんですが、

カバーをたまに外すと、まあ、きれいなまんまで、
ああ、こんな表紙だったっけ、買ったときすごい嬉しかったんだ、とか、
妙に懐かしかったりして、精神的にも一石二鳥です。

カバーかけ楽しかったのでもっとしたくて、家族の集うリビングを
「えー、本のカバーかけ屋でございます、ご用は、ご用はありませんかー」とふらふらしたけれど、
誰にも呼び止められなかった。
むしろ、いまテレビ見てるから。うるさいから。みたく言われて、ちょっと不満を感じたものです。


私のかけたカバー外れないのよ。
頼まれればいつでもかけたげる。むしろかけさせて。


 

「わたし、菜食と出会う」


CIMG1014.JPG














わたしのかわいいプーちゃん、おプーちゃん。
おまえはほんとに、かわいいプン太郎だ。プンプン。

本メインで撮るつもりが嬢メインになってしまう、私の親バカ。
見ようによってはオレンジページ編集長の山本洋子さん(手前)を強調したがってるようにも見えますね。

「食べることを選ぶ」ただそれだけで出来る、
豊かで自由な生き方があります。


さすがいいこと言います、山本さん。


「わたし、菜食と出会う」

ヴィーガンの人たちへのインタビューと、おとぎ話風の読み物が載っております。
ルポタージュアートブックシリーズの第3弾で、
1,2は、捨て犬を引き取った人たちへのインタビュー集「わたし、捨て犬と出会う」。

捨て犬と出会うシリーズの中で知り合ったうちの一人がヴィーガンであったことから生まれた
「菜食と出会う」、「ヴィーガンと出会う」があります。
初めて読んだのはベジタリアンになる前で、心がブリンブリンしました、響いちゃってねえ、あーた。

どうしてヴィーガンになったの?とか、どうして動物の保護活動に関わってるのですか?とか、
人の話を聞くのが好きなのです。
なんでかなーって考えてみたら。

めっちゃオープンマインドだったり、ドライだったり、涙ぐみやすかったり、
ぶっきらぼうだったり、色んな人がいるけれど、
ぜったいに、愛の話が聞けるんだよ。
その人の持ってる、他者への愛の話が。

チーモ、もう、そういうの聞くと、心に、ダイレクトにエネルギーを注入されてしまうのです。
そのエネルギーを元に、フルマラソン走ったり、そういうことはできません。
でも、とても幸せになれる。

そういうエネルギーがつまった本なんですよ。
そりゃあ、ブリンブリンしちゃいます。



京都ベジ&ピース・フェスティバルなどを企画・主催され、
京都でベジレストラン「カフェ・ピース」をなさってた(ご出産を機に今は閉店)、
元・獣医師の岩佐明子さんのインタビュー。


ご実家のご家業の事情から獣医さんのお仕事をパートタイムに切り替え、
その流れで、海外で雑貨の買い付けをなさっていた岩佐さん。

クスコでの買い付け旅行の最後の夜、山の上のレストランでの出来事でした。

「わたしの左右にはそれぞれ5,6人の観光団体がいました。
ひとつは一見してアメリカ人観光客団体で、かなりうるさく騒いでいました。
もうひとつはヨーロッパからの観光客団体だと思うのですが、
わたしのわからない言語でした。
多分スペイン語ではないかと思うのですが、よくわかりません。

そのアメリカン人たちが現地の名物料理「ギニアピッグ」を2皿、オーダーしたようでした。
するとしばらくして厨房の方から何とも言えない動物の悲鳴が聞こえてきました。
断末魔の苦しみの悲鳴、とでもいうのでしょうか。
しかもその悲鳴がなかなか終わらないのです。

わたしは理由がうすうすわかっていました。
本当におぞましい話なのですが、殺すのに際し、
「苦しめば苦しむほど肉の味がよくなる」という
ばかげた風習が現地にはあるらしいのです。

この店の厨房で行われている「ギニアピッグ料理」は、
まさにそれを信じているとしか思えないような行為をしているのでした。
わたしは食事中でしたが、涙が止まらなくなりました。

わたしはガイドブックでこの料理については少し知識がありました。
肉の味については「食えたものではない」ということも知っていました。
案の定というか、しばらくして2匹のギニアピッグが丸焼き状態で運ばれてきたのですが、
アメリカ人たちは少し食べて顔をしかめました。
あとはもう見向きもしない状態で記念写真だけをとり、放置状態にしていました。

見捨てておけばよいものを、とわかっていました。
わたしには何の関係もないことでした。
わたしはただクスコでの最後の夜をひとりでゆっくりと食事をして
楽しみたかっただけなのです。
けれどもどうにも我慢ができなくなりました。
「この2匹は食べるためにいま殺されたのです」とわたしはアメリカ人たちに言いました。
「食べてあげるべきじゃないでしょうか」

私の意見を聞き、当然ながらアメリカ人たちは気分を害しました。
その場の楽しい観光気分をぶち壊しにしてしまったわたしを口々にののしりました。

するとそのとき意外なことが起こりました。
もう一つのグループ、ヨーロッパから来た人々が何と私の意見に同意してくれたのです。
わたしを挟んで2つのグループは大騒ぎの口論となりました。
とてもその場にいることはできませんでした。
私はその喧騒を逃れるようにして席を立ち、
お勘定を払い、泣きながら安宿に帰りました。」



部屋に戻ってからも泣き続けた岩佐さんは、
夜遅くではありましたが、24時間営業のインターネットカフェに出かけていきます。

「わたしは無性に情報が欲しかったのです。
肉食をしなくとも生きていける情報が欲しかったのです。
そこで「ベジタリアン」で検索し、画面に出てきた英文を懸命に読みました。
そこに出てきた情報はわたしにとって「目からうろこ」でした。

どうして今まで知らなかったのだろう。
これこそはわたしが欲しかった知識じゃないか。


そう思いました。
この時私が今まで当たり前のように信じてきた「5大栄養素」も簡単にくつがえされました。それは本当にわたしにとってショックでした。
私は食べなくても生きていけるものをそうとは全然知らず、
今まで無理を重ねて食べてきたのです
。」



岩佐さん、帰りの飛行機ではダメもとでベジタリアンミールをオーダーされたそうです。
フッフッフ、もちろんご用意されてますとも!アハ、アハッ、アーハッハッハ!(笑いが止まらない)

岩佐さん・・・
ネットで情報を得たとき、飛行機でベジミールが提供されたとき、
どんなにうれしかったでしょう。

そのお気持ちを思うと、わたくし泣きそうになります、幸せで。

多くのベジタリアンがたぶんそうだったんじゃないかなぁ、と思うのですが、
やっぱり最初は戸惑いや、悲しみや、そういうのってあると思うんですわね。

戸惑いながらも色んな情報に納得したり、たまに反発を覚えたり。

お肉大好き。お肉はおいしい。
でも、ほんとは体に良くないこと、地球に厳しいこと、
誰かの分の食糧を、家畜に食べさせて、そして肉としてわたし達の口に入ること。
何より動物が、目を疑うような残酷さの中で生かされていること。
知らなかった。

肉食べない人生って、どんなか少し不安。
肉食べないなんて選択、自分、間違ってるかなあ?
わたしの気持ちが弱いから、肉生産の側面に耐えられないのかなあ・・・とかね。
でも、そうじゃなかった。

動物の苦しみは人の苦しみであるという気持ちを、
世界はちゃんと、大切に汲んでいる証明のように、
ベジタリアンは理にかない、非常に人間的で、心豊かな道であると知った時、
ほんと、光が降り注いだような気がしました。

そしてそれって、個人の幸福だけでなく、
人の未来や幸福にも、密接してること。

他者の苦しみは自分の苦しみで、
他者の喜びは自分の喜びで、
おおげさみたいだけど、幸福というものを思う時、
それって、シンプルに普通のことなんだよね。

最初読んだとき、他の人のインタビューも読みながら、
わたし「フグッ」「ウグッ」ってずっと言ってました。
頭より、ダイレクトに心にこみ上げちまってよう。涙のやつがよう。

「飽食の時代やグルメの時代とまでいわれるいまの日本社会に属しながら、
なぜあえて肉を口にしない人々がいるのか。
いかなる主義が、いかなる精神が、あるいはいかなる宗教が、
あえて食材や食事の種類を大幅に限定させるのか。

それはストイックな行為なのか、何かを祈願する行為なのか、
あるいは喜びを伴う行為となりうるのか。」

「ベジタリアンは今の時代において、まだまだ少数派です。
しかし少数派こそ誤解や偏見を受けながら時代の矛盾に挑み、
真理追求の先駆者となってきた事実は、常に時代が証明するところです。」

「取材したベジタリアンたちがみな一様に抱いていた「愛」に気がつかれたでしょうか。
食に対する愛、動物に対する愛、人間に対する愛、地球に対する愛。
多くのベジタリアンには愛がありました。
愛なくして菜食を語ることはできず、愛なくして地球を救うことはできない。
この本をつくることによって、私はそう確信した次第です。」


北野玲


作者の北野玲さんは、ポートレイトデッサンも引き受けてくれますわ。

1枚2000円のなかから、
日本ユネスコ協会連盟に寄付されたり、
展覧会などで反戦を訴える資金にされています。

チーモも以前、母と叔母を描いていただきました。
いつかは嬢をお願いしようと思っております。

動物保護運動の虚像。読みました。

クジラなどの保護運動の活発化は、
動物保護とは関係のない一部のブリッシュメント(アメリカ東部の支配階級)の思惑に端を発している、
などなどの内容で興味深く読みました。
 
なるほど、そういうことあるかもね。
私もうっすらと、クジラやイルカに関してのジャパンバッシングの底辺には、
人種差別(レイシズム)というものもあるだろうと思っていました。

(けれどイルカクジラ保護活動に反対ではないです、賛成です。
差別に対しては毅然と抗議しないとなりませんが、保護活動自体がおかしいとは思いません。
マーブル模様のアイスのようにハッキリ分けられないものを、
差別だから活動をやめろ、とはいかないと思います。

そして種差別(スピーシーシズム)がそうであるように、差別というのは、
自分がしていながらそれに気づかない、という面があるように思います。
たとえば、中国の毛皮生産に関して、中国人自体を揶揄する発言を見かけることがありますが、
動物の解放を訴えながら、中国人を差別するのは、
自分につばをかけるようなものだと常々思います。
スピーシーシズムに反対しながら、レイシズムを自分が行っちゃうのは、悲しいことです。
だから、自分の気持ちや発言には、気をつけたいなあとよく思う。)
 
クジラの保護運動の始まりが、
動物保護とは関係のない人々の目的から始まっているというのが、
とても詳しく書かれてて、裏付けも説得力があって勉強になるんですが、
でも、動物実験反対運動が、医学の発展を抑えるため、というのは、どうなんでしょうか。
ロックフェラーは製薬会社からものすごい利益を得てますよね・・・?投資もしてますよね・・・?
 
あと、「アメリカの連続爆弾魔ユナボマーが、環境保護団体から支援を受けていた」と、
におわすような記述もあったのですが、経済的な支援をしていたのはユナボマーを通報した実の弟であったと聞いたことがあります。

ユナボマーに何の興味もない私が知っているくらいなので、
調べたらその辺もわかったんじゃないかなあ。
「誰かが援助しなければどうやって暮らしていたのか」みたいなことを書いてありましたが、
ユナボマー世捨て人同然に山で自給自足していたんですよね、確か。

うーん、弟の援助した額で爆弾が作れるのかはわからないですが。
うん、わからないんだよね。

はっきりしないことを「事実でないことを、感情に訴えて保護運動を展開している」と、
保護活動を批判されてる著者が、同じことをしてるんではないかなーと、
感じる点がいくつかあって、そこが残念だと思いました。

保護団体の指導的な立場の活動家を「表面的には純菜食主義者」って書いてあったりするのも、
うーん、表面的というその根拠が私は知りたい。
それは、「そういう団体って政治的な絡みもあるから」ってだけでは、
やや客観性に欠けるんではないかしら。
 
あと、動物重視の偏りをたまに指摘していますが、
動物に対する倫理的な観点がほとんど語られていなかったので、
保護団体が動物に偏りすぎるのと同じだけ、
著者も人間に偏りすぎている部分もあるのでは、と思いました。
 
いや、この本の言わんとすることと、私の指摘が微妙にずれてるのは薄々気づいております、
何も言わないで!

内容の些細な表現が気になって、私の見方がややあげあし取り気味なのは、
私がベジだからってのもあると思います。
 
ねこまるさんがご紹介なさってて、
保護活動を考えるときに知っておきたいことが書かれているとのことだったのですが、確かにです。

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お風呂で読書(猫は脱衣所で待機)

レベッカ・ブラウンの小説、好きです。
どういう話って言われたら、「え・・・わかんない」と答えざるを得ない。
うまく伝えられず、君には本当にすまないと思ってる。この通りだ。
しかしこれだけはわかってほしい。きみを愛してるのだ・・・
 
・・・・・・。
 
ハイハイ気はすんだかな?お芝居はこのくらいにして、話に戻りましょうネ。
 
「私たちがやったこと」は、
「安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。こうすれば私たちはいつも一緒にいるはずだ。二人ともそれぞれ、相手が持っていないもの、相手が必要としているものを持っているのであり、二人ともそれぞれ、相手に何が必要なのか、相手をどう世話したらいいかが完璧にわかっているのだ」
 
と、このように始まります。なにそれ残酷物語!?
いえいえ、2人が「やったこと」自体は、さして重要ではないのです。
淡々と、あくまでも淡々と乾いたまま、リズミックな文章が、つるつると紡がれます。
すこーしずつ、すこーしずつ、自分たちの思惑とはずれていく2人。
そのリズムにぴたりとはまると、なんか、涙が出るのですよねぇ。
 
ああ、なんて伝えたらいいんでしょう。
たとえば、昔の恋人とのことを考えてみる、2人は出会い、付き合い、別れたと。
恋人のことだけじゃなくて、今までの人間関係すべて。
でも、本当に何が起きたのか、はっきりとわかる?
本当に2人だけのことだったのか。自分と相手の心に起きてたのは、なんだったのか。
 
わたし、わからない。
どうして、いろんな人と出会って、それぞれの経験をどこかで血肉として、
今自分がこうしているのか。
 
そのわからないことが、書かれてるような気がするのです、レベッカさんの本には。
書かれてるのは自分の気がするし、自分の知ってる誰かの気がする。
 
そうすると、その気持ちを、リズムのいい文章でなぞるだけでいっぱいになって、
どういう話なのか、どこに着地するのかが、どうでもよくなってしまうのだった。

いつかの自分の気持ちを、もう一度なぞってる。
少し距離を持って、だからこそ客観的に。

そうするともう一度、自分と誰かの終わったはずの関係が、
勝手に新しく生まれ変わってしまうのだった。
 
だから、共感できない話にはまったくできず、おいおいなんだよこの話、って思うときもあります。
 
よき友、という話がよかった。
レベッカ・ブラウンさんは同性愛者なのだそうで、多分に私小説みたいなとこがあるのだと思う。
エイズの男友達が死を迎えるまでの話です。
 
これを読んで、以前、チーモに好意があるという、
宗教の教える神さまを信じる人と話してた時、
「私はセックスは神さまがくれた素晴らしいものだと思うし、
同性愛はいけないなんてこと、ないと思う」と私が言ったときの、
彼の眉間によった一瞬のしわを思い出しました。
 
すごくいい人だった。
でもやっぱり、付き合うことはできなかった、と思いました。

 もしも彼と付き合っていたら、彼は、自分は罪を犯してる、と思いながら、もしくは感じながら、
チーモを抱いたんだろうか。
それって悲しいわ。よよよ。

彼らは、男を愛する男として、女を愛する女として生まれて、
私は男を愛する女として生まれた。
彼らも私も、自分以外のものをも愛しく思うものとして、ただここに生まれただけ。
何の罪も穢れもありません。
 
皆が、「お前たちは罪を犯してる」って言っても、
私たち2人は「こんな素晴らしいこと」って言いたい。
ただそれだけのことを、それだけのこととして、見たい。
世界全員の多数決じゃなくて。みんなが耳を傾ける誰かが言うからじゃなくて。
 
好きな人とは、好きなものが一緒じゃなくていいんだ、私。
嫌いなものが、一緒な人がいい。
 
そんなことを、風呂で読みながら思いましたよ。ビバノンノン。
いいハンティングの日でした。

チーモのハンティング

チーモだってしますよ、ハンティングくらい。
狩るのは、本ですよ、ワハハハハ!
あー、楽し。
 
成田美名子さんのアレクサンドライトが読みたい!とむらむらっとして、
ブックオフに行きました。
ブックオフって、新しい本多くて古い本はあまりないんですよね。
私、同じ本を何度も読むので、新しい本にあんまり詳しくなくて。
気に入った食べ物は、数年見向きもしなくなるまで食べ続けるし。
うん、それはあんま関係ないかな。
 
なくても泣かないぞ、と決めていったのに、7巻セット450円で売られてた。びっくり。
会計したら1000円くらいで、ほかにもけっこう買ってるのにそんなわけない、と思って、
チェックしてみたら、アレクサンドライト150円だった・・・。
そんな、ばかな・・・こんな名作をあんた・・・。
わかっちゃいない、大事なことがなんにもわかっちゃいないよ、あーたたち!
と、ホクホクとモヤモヤのはざまで揺れる心。
 
ジェフリー・M・マッソンの、「犬の愛にウソはない」もありましたー、あわわ。
豚は月夜に歌うの著者ですよー、あわわ。
 
うれしかったのが、レベッカ・ブラウンの「私たちがやったこと」があったこと。
レベッカ・ブラウン好きです。
 
しかし成田美名子さんの本に出てくる人たちは、みんな一生懸命でいいわね。
悪い人が出てこなくて、それが鼻につかないうちは、私大丈夫って思う。
世の中も人も、こんなきれいなもんですかって思いだしたとしたら、
その時は自分こそを見直そうと思う。
 
たまに読みたくなります。そして買い、また売り、また買う、と。
キャッチ&リリース。
私の悪癖を知る人は、あきれてものも言わん。
 
もちろんずっと大事に持ってる本がほとんどなんですが、
成田さんの本は、キャッチ&リリース組。
なぜ?
 
読みたい!と思うものを、捜して手に入れるのが好きなのです。
渇望が癒される瞬間が、私の本読みの醍醐味の一部でもあります。
成田さんの描かれる、変化することと行動することに、すごくひきつけられる。
よりリアルに味わうために、成田さんのを読む前には、
どれだけ読みたいか、そのためにどのくらい歩けるかを、経験したいんだと思う。

ふーむ、相当ヒマ人ですな。
そういうことをいちいち考え考え、動くのが好きなんだ。

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