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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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闘牛で、必ず思い出すスペインの女性


アンジェラさんからみなさんへのお願い

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

私はバルセロナ市近郊で反闘牛の活動をしている小さな市民団体の一員です。
 
バルセロナには闘牛場があって、毎日のように日本人観光客が訪れます。
その愉しそうな様子をみていると、きっと伝統的なもの、
又は芸術的な見せ物を期待しているのだと感じます。
しかし私は尊敬する日本の人たちに知ってほしいのです。
 
少なくともバルセロナでは、闘牛は伝統的なものではないことを。
地元の人は、ほとんど足を運ばないし、
それどころか闘牛に反対する声が高まっています。
なぜ開催されるのでしょうか?
それはバルセロナでは、闘牛を観光コースの一つに組みいれているからです。
 
闘牛は非常に残酷な見世物です。
雄牛は苦しみながらゆっくり死に追いやられます。
本来、牛はのんびりとした草食動物で食べ物を得るために狩りをすることもなく、
何かを追い回したり、攻撃するように「創造」されたりしてはいません。
闘牛では牛を怒らせる為、闘牛場に追い込む前にわざと負傷させています。
 
皆さんは闘牛場がなぜ円形なのか考えたことがあるでしょうか?
 
もし正方形ならば、雄牛は血生臭いゲームに加わることがイヤで隅に隠れてしまいます。
円形にすることによって、雄牛が隠れる場所を完全に奪っているのです。
雄牛の目にワセリンを塗りつけることもあります。視界を濁せ、混乱させるために。
周囲で何が起きているかもわからないまま、
雄牛は隠れる場所が全くない場所に引きずり出され、ゆっくりと殺されていくのです。
すべては人間の娯楽の為だけに。
 
闘牛士が勝利を祝って耳や尾を切り取る時、まだ生きていることもあります。
一体何のための勝利でしょうか。
 
生きたまま動物が苦しめられ公開処刑される姿を楽しむ。
良識ある人達がそんなことが出来るとは思えないのです。
 
スペインを訪れて下さることは嬉しいけれども、
皆さんは残酷な見世物を支える一人になっているのです。
 
闘牛に行かないで。
派手な宣伝に、だまされないで。
この無意味な拷問をやめさせるために、力を貸して下さい。


アンジェラ・ラファルト

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

PatriciaDeLeon-Spanish.jpg
















伝統は 残酷さの言い訳ではありません
この残酷な見世物を支持しないで!



 
 
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Comment

無題

  • Yukio Shingu
  • 2012-08-12 00:55
  • edit
残酷な闘牛の禁止を

Yukio Shinguさん♪

  • チーモ
  • 2012-08-12 18:25
  • edit
Yukio Shinguさんとまったく同じ気持ちです。
この蛮行が、眉をひそめて語られる過去のものとなりますように。

何をすれば

  • 名無権兵衛
  • 2016-09-19 08:40
  • edit
具体的には
どうしたらいいの?

名無権兵衛さん♪

  • チーモ
  • 2016-09-19 10:31
  • edit
まずは闘牛に行かないこと!
・署名募集サイト(https://www.change.org/)をチェックしたり、
・日本だけでなく海外の動物の権利のために活動する団体のHPをのぞくこと(メーリングリストに登録すると闘牛の情報も流れてきます)
・そういう団体を支援すること
サイトを見てるうちになんとなく英語がわかってくる(気になる)というおまけつきです
・すきあらば闘牛について誰かに伝えること
・上記のことを続けること(1番大切だと思います)

そんな意味のなさそうな活動じゃなくて、もっと、一気に解決する方法を教えて!と思われるかもしれません。
非常につらいんですけど、それってないんです、少なくとも私の考えの中では。

私の好きな言葉に一つに、イエローハットの創始者である鍵山秀三郎さんのおっしゃった
「盥(たらい)に一滴の水 」というのがあります
「盥に水一滴を垂らしても、 見た目に何の変化もありません。 しかし、 一滴分の水は確実に増えます。 たとえ、 増えたことを確認できなくても、 私は 努力することにしています。」
動物問題を思うとき、私はこのことをよく思い出します。

私にお答えできることでしたら、喜んで答えます。
何かありましたら、お気軽にどうぞ。

代わりと言ってはなんですけど、お願いがあります。
どうか、名無権兵衛さんも考えてみてください。
そしてなにか素敵なアイディアが浮かんだら、私やみんなに教えてください。

すてきな1日を^^

闘牛禁止を訴えるということは

  • ファン
  • 2016-10-10 22:52
  • edit
闘牛を無くすために何をすればいいのかって?それは闘牛反対派や動物愛護(愛誤?)団体の人がスペイン中の牛を全頭買い取って自分で責任もってすべて面倒見てやればいいと思うよ。

この記事の書き込みを見て闘牛禁止を訴えることは正しいことだとか、多くの牛や動物を救うことになると思う無思慮な人間が増えるのが物凄く不快に思ったから書き込みさせてもらう。発言の権利は私にだってある!

現在スペインには1300を超える闘牛牧場「Campo de Taurino」があるといわれている。もしスペイン全土で闘牛が禁止になれば多くの失業者を出すことになるのはもちろん、
そればかりか
国中のリディア種の牛【toro de lidia 闘牛用の牛】が全頭廃棄(殺傷)処分になる可能性があることを分かっているんだろうか?
牛が生かされているのは闘牛文化のおかげ。そして
リディア牛は闘牛用に作られた牛、闘牛文化が無くなればその血統を絶たれ、滅びるだけになる。

動物愛護主義のカルト信者からすれば多くの闘牛関係者が失業することは小事かもしれない、だが結果的に多くの牛が殺傷処分されることは彼らの理念からして小事では済まされないはずだ。

以前ちーもさんは私に「あなたの好きなものは私たちの大切な命を奪っている」と批判しましたがその大切な命を奪わんとしているのは紛れもなく闘牛反対を訴える人達なのです。
彼らは動物愛護を訴える一方で自分好みの理想郷を作るためならばスペイン中の闘牛用の牛を絶滅の危機にさらされてもかまわないと思っている人達なのです。
彼らの本音を代弁するならば
「闘牛の牛さん、闘牛文化を無くすために皆さん死んで全滅してください。あなた達が死んで全滅して血統を絶たれれば闘牛文化は無くなります」
結局闘牛禁止を訴えることはまさにスペイン中の牛を皆殺しにすることなのです。
自分好みの理想郷を作るために…

無論これは闘牛に限らず、競走馬でも同じこと。競馬が無くなればその馬は利用価値が無くなり多くの競走馬が殺傷処分されることとなるでしょう。
家畜は野生動物と違って、牧場の中で人間に養われないといけない動物。だから必然的に人間に運命をゆだねなければららない。このあたり捕鯨禁止を訴えるのと闘牛禁止を訴えるのとでは次元が違うことがお分かりいただけるのではないかと思う。

ファンさんへ♪

  • チーモ
  • 2016-10-11 10:25
  • edit
ファンさん、こんにちは

発言の自由はどなたにもありますとも、もちろんファンさんにも
ただ、ディベートをなさりたくてコメントをくださるのであれば(今後もコメントをくださるおつもりであれば)、異なる様々の価値観を持つ人々が自由に意見を述べる場で(少なくともわたしのブログでは)最低限のお行儀を持たない人にはそれなりの対応をさせていただくつもりです
今後はそのおつもりでいらしてくださいね

例えば私が闘牛が好きな方のブログのコメント欄で、闘牛を止めさせたいという熱意をもって、お行儀悪く「動物虐待見て喜ぶ変態ども!」と狭い主観だけを述べるとどうなると思いますか
ああ、これだから動物愛護のカルト集団は!と思われるだけで、何の説得力も持たなくなるのです
同じことが、ファンさんにも言えると思いますよ

さて、いただいたコメントについてすべてにお答えできるかわかりませんが、私の考えを

闘牛愛ゆえでしょうか、それとも少しお酒を召し上がっているのでしょうか(思い込み)
ファンさんは少し極端ですね

闘牛がなくなれば、闘牛種のすべてが絶滅するとおっしゃいますが、私はそうは思いません
ある日突然闘牛を全廃することなど不可能です
ですので、いきなり全頭殺処分ということもあり得ません
ファンさんの意見は現実的でなく、あくまでも机上の論理のように思います

もし闘牛が全廃する場合、おそらく今後さらに反対する人々が増えることにより、闘牛自体が下火になり、闘牛場が閉鎖されていくことにより、供給される闘牛用の牛も徐々に減っていくという推移をたどることでしょう

そもそも闘牛用の牛が「作られた」のであれば、それこそが不自然なことで、
闘牛がなくなることで再びなくなっていくとすれば自然なことです
(できる限り穏やかな推移であってほしいですし、そう努力はするでしょうが)

闘牛の存続と闘牛種の保存は、全く問題が違うということです
「闘牛反対するせいで闘牛用の牛が殺処分されるがいいのか」というのは論点が大幅にずれているように思います
本当に闘牛が文化的なものであると思われるのであれば、たとえ時流によって闘牛自体がなくなったとしてもそれとは別のこととして闘牛種を保存しようとするのは、闘牛が文化であると考える人側の務めではないかと思うのですが

けれど、血統文化という価値を重んじる流れがあり人々がいるので(私はいわゆる血統に何の価値も見出していません)、必ず闘牛用の牛の血統を残しておこうとする人がいるはずです、闘牛がなくなったとしてもね
それまでは、闘牛好きな方たちが増やしては殺していくことでしょう
闘牛がなくなって殺処分されてもいいのかって言われますが、闘牛が存続する以上、殺される牛の数はそれ以上ですね

また闘牛によって生計を立てている人が~ということに関してですが、
イギリスで奴隷制度が廃止されるまでにも、奴隷商人が仕事を失うという危機感から、何度も法案の成立がくじけたことがあります
でも今、イギリスに奴隷はいるでしょうか
ファンさんは、奴隷商人の仕事を保護するために、奴隷は解放するべきでなかったと思われますか
動物と人は違うとおっしゃるかもしれません
けれど、違うことが権利がないということにはなりません
動物に意見があるか(闘牛を嫌がっているかどうか)はわからないともおっしゃるかもしれませんね
そこ、ぜひもっと深く考えてみてほしいところです
闘牛についてどう思っているかわからない生き物を、逃げ場なく痛めつけ殺しているのが闘牛です
そこにファンさんたち愛好家が物語を見ているから成り立っています

牛もプライドを持って闘っているという物語を見るのであれば、檻も柵も無く牛たちが自由に行き来できて、それでも闘牛場に闘牛をしに来る牛がいたら、その牛は闘うことに意味を感じているのかなと少し考える余地もありますが、
おそらくそうでないのは、そうでなければ闘牛は成り立たないからです
自分の意志で、闘牛場に赴く牛はいないはずだからです
闘わざるを得ないだけで(闘っているとも私は思いませんが)、選択肢がないのです

意思を持って闘うというのは、闘牛場の中でのことではないですよ
彼らが自由に野原などで生きている状態だとして、自発的に闘牛場にやってくるか、ですよ
それならファンさんおっしゃる「牛が生かされているのは、闘牛文化のおかげ」と「牛が」ありがたく思っているんだろうなと思います
たとえ最後は「自分の意思とは関係なく虐待され殺される」のだとしてもね

またその頭数ですね
一体何頭が自発的に、「生きる」という生き物のもっとも強い欲求に抗って、彼らに何のメリットもない闘牛に参加するでしょうか
そうでない場合、彼らを闘牛に参加させることが文化的でしょうか

全頭飼うっていいですねぇ
もしファンさんのおっしゃるような形で闘牛が全廃されるとなったら、世界中のどうぶつの権利のために働く団体が動くはずです
おそらく実現可能に近い、かなりの額の寄付が集まるんではないかと思います
でもそれはあくまでも夢のような話で、いきなりそのような形になるとは考えにくいですね

>「以前ちーもさんは私に「あなたの好きなものは私たちの大切な命を奪っている」と批判しましたがその大切な命を奪わんとしているのは紛れもなく闘牛反対を訴える人達なのです。
彼らは動物愛護を訴える一方で自分好みの理想郷を作るためならばスペイン中の闘牛用の牛を絶滅の危機にさらされてもかまわないと思っている人達なのです。
彼らの本音を代弁するならば
「闘牛の牛さん、闘牛文化を無くすために皆さん死んで全滅してください。あなた達が死んで全滅して血統を絶たれれば闘牛文化は無くなります」
結局闘牛禁止を訴えることはまさにスペイン中の牛を皆殺しにすることなのです。」

ファンさん、なにか代弁していただいているようですが、それは少なくとも私の本音でもないですし、申し訳ないですがだいぶ的外れです

じゃあどんな?ってことかというと、もう今までのコメントでもお伝えしていますし、私の言葉が足りないせいであれば丁寧にお伝えしたくもあるのですが、私たちの意見や立場をカルト的であると断言なさってはばからないファンさんに、私も忙しいし、わざわざお伝えすることもないかなあとも思いますが、
簡単に言うと、虐待用に存続させることの是非に論点を当てず、絶滅を避けるために闘牛を存続させる理由にするというのは、闘牛が反対されてる理由から見ても本末転倒です
牛を殺しているのも闘牛反対者ではないですね
殺しているのは闘牛を支持する人々です、その一人がファンさんです

>「この記事の書き込みを見て闘牛禁止を訴えることは正しいことだとか、
多くの牛や動物を救うことになると思う無思慮な人間が増えるのが物凄く不快に思った
から書き込みさせてもらう。発言の権利は私にだってある!」

私は、闘牛禁止を訴えることをずっと変わらず正しいと思ってますし、
またそのことを無遠慮だとは思いませんが、それについては、第三者(この場合ファンさん)がそのように判断なさるのであればそれでいいですし、どうでもいいことです
ただ、ファンさんが不愉快になったご自分の気持ちをぶつけるためだけにコメントくださるのであれば、もうお相手することはありません
そうではない、伝えたいものがあるのだということであれば、違う立場のものを恥ずかしげなくののしる、まるで子供みたいな物言いはやめて、なるほどな、私とは異なるがファンさんのご意見は理解できるな、と思えるような客観性をもって伝えていただけるとわかりやすいです

以前も、確かお伝えしたことあると思います
好きなら好きでいいんじゃないでしょうか?と
ファンさんがお好きなのは自由です
私たちが、強く強く反対して活動する価値観を、不愉快に思われるのも自由ですね
でも、どれだけ不愉快であろうと、私たちを止めさせることはファンさんにはできませんね
それはもう、価値観ですから

そもそも不愉快に思う必要なんかないんですよ
闘牛反対ブログをまわってコメント残すより、闘牛がお好きなら、存続を望まれるのなら、そういう活動をなさる方がいいかと思います
ファンさんが、闘牛愛好ブログを始めるとか、街頭に立って闘牛の素晴らしさを訴えるとか、できることいっぱいありますね
私たちはそうしています
不愉快だ-って言われても、そうですか、としかお答えできないってのが正直なところです

そして多くの牛や動物を救うことになると思っています
なぜなら、もしもいつか闘牛が廃止されることがあるのならば、それはただ「闘牛が廃止された」という表面的なことではなく、
真の意味は、動物に対する無意識の残虐に対して人々の認識が変化し、そのために今までの慣習に変革を起こしたことの表れであるので、その影響は牛だけにとどまらず、他の動物へも波及するからです

また、家畜が運命をゆだねなければいけないことと、どのような目に遭っても仕方ないこととは全く別の問題であり(でなければこの社会に福祉という考えは生まれません)、
捕鯨と闘牛も、本当にそれが必要なのか倫理的な観点から鑑みるべきであるという次元では全く同じことです

とりあえずそんな感じです
時間なくあわてて書いたので、言葉が抜け落ちているところなどあるかもしれません

それではファンさん、よい1日を
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