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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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グーグー

大島弓子さんと猫との生活がつづられたマンガ、グーグーだって猫である。
 
初めて読んだのは、1、2巻がブックオフで売られていて、
それをぱらっと立ち読みしたのでした。
一冊600円だったんだよ。買おうかどうしようかと思って。
 
すると、前の猫のサバを火葬したときの回想で、
「サバはケンカでその永久歯のキバを半分に折ってしまったが
火葬場でその歯が灰といっしょにそのまま出てきたので
これはサバなのだとしみじみ思った」
 
という文が目に入って、買うことにしたんでした。
その頃、BBが死んだんだよね、たしか。
だから、買うことにしたのだ。
 
応援したいとか、その人自体が好きとか、
そういう人の本は、定価で買うという私の本のルール。
ブックオフも好きだけど、うーん、
やっぱり何でもかんでも安ければいいというのは、いやだな。
作家さんがご飯食べられないと、私も困るんだ、すごく。
それまでも定価グループではあったけど、特に意識はしてなかった大島さん。
グーグー以後、定価グループ確定です。
 
最終巻の6巻では、グーグーが死んだのです。
そうか、そりゃそうか、と思いつつ、しんみり。 
心の付箋がたくさんついてます、このマンガ。
 
サバ亡き後やってきたグーグー。
 
「二度目の猫はトクである 死んだ猫の分まで大切にされる
ということは サバがグーグーを守っているのだ」

 
と、1巻に書いてあるんです。
これわからなかった。意味が。実感を伴わなかった。嬢が来るまでは。
 
死んだ後に初めて、ご飯のこと、暮らしのこと、
もっとこうしてやればよかったって出てくることってあって、
それって絶対、次の子にはちゃんとそうするんですよね。
 
BBにしてやれなかったことを、罪滅ぼしや身代わりというと、
BBにも嬢にも失礼だし、そういうつもりや感覚ではなく、
自然とそうなるんですよね。
BBに対して無知だったことを、嬢にはするまいと。
連綿と、小さなことを重ねてつながって、私たちは生きているんだなーと思います。
 
あとは、がんの手術をなさった大島さんが、
病院内の桜の花がくるくると回転しながら降り注ぐ庭を
「なんやこれ てんごくやんか そや てんごくやてんごく」と
なぜかかあいらしい大阪弁で喜びながら独り占めで散策してると、
小さな碑を見つけるのです。
それは、実験動物の慰霊碑でした。
 
「一生針が刺さったまま死んだやつもいるだろう
一生苦しい思いをして 死んだやつもいるだろう」
 
「てんごくなんか
なかった
ぢごくだねぢごく
ぢごくだったね」

 
と碑を抱きしめる絵も印象深い。
 
その後少し回復された大島さんの、
 
「いっきに超人ハルクになったような気分になったわたしは
まっしぐらに実験動物舎に走って行き
彼らのケージを壊し 針やチューブを抜き
抱きしめて解放する想像をしてた」
 

にいたっては、ね、あなた。
そうだよな、もし自分がそれをできるとしたら、絶対に抱きしめる。
抱きしめて、ごめんねと、ありがとうをその耳に吹き込んで、
そうして解放する。
 
「抱きしめて」にわたし、癒されたのです。
人の気持ちの機微をちゃんと覚えているし、それを的確に表せる人。大島さん。
 
大島さんちは、猫が次々やってきて大所帯。
どの新入りにも、やさしかったグーグー。
グーグーは、穏やかに亡くなっていきました。
大島さんを見つめ、肉球で大島さんの指を握り返し、そうして亡くなったそうです。
 
 
あんまりに普通に、幸せに亡くなっていって、
私はお風呂で読んでて、やっぱり泣きました。
 
普通。普通。穏やかに、普通。
 
たくさん愛されて、たくさん愛して、
幸せに生きて、幸せに死んで、よかったね、グーグー。
やさしいグーグー。
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グーグー求めて三千里


「グーグーだって猫である」の6巻が、22日発売といいながら、店頭になかっただ。

おかしいなと思いながら、ネットで調べてみたら、
セブンアンドワイで27日発売ってあったから、ああ、変更になったんだな、
本屋さん3軒もまわってオラ、どんだけ必死なんだ、てへへ、と頭をかいて、
27日を楽しみにしてたら、おめぇ・・・ すでに出てただよ!(目を見開いて)

セブンアンドワイの誤情報!ばっきゃろーぅ!と吠えてみました。

ううんウソウソ、ウソよ、セブンアンドワイ。いつもありがとう。
バカって言ってごめんね?
でもあなた、過剰包装すぎ。これはほんとう。。

うもー、マンガ1冊を段ボールであんなに厳重に包み隠さんでも。
たとえば、「エロ本なので隠してください」って人は、希望制にすればいいと思うんだー。
そうしたら、隠してあると、ああ、見られたくないんだ、きっとエロ本なんだなって思われちゃうけど、
別にいいじゃない。性欲を恥じるなよ。 

てこてこ歩いて、買いに行きました。
そしたらどこも売り切れで、もう泣いちゃう。
執念で手に入れました。やれやれ。

「グーグーだって猫である」
大島弓子さんの猫エッセイマンガ。
そのグーグーが亡くなったそうです。グーグーが。グーグーが。

最終巻を迎えるにあたり、1巻から5巻まで読み直す。

マンガには大島さんが関わった子猫が亡くなったことも、
外猫が亡くなったことも描かれてるんですが、

死ぬことって、私そんなに悲しくなくて、
ほんとに悲しいと思うのは、死ぬことよりもっと、別の何かなんですが、
なんだろ、一部挙げますと、その子が、お腹すいたとか、怖い思いをしたとか、
それを誰かが見ないふりをしたとか、そういうことなんですよね。

だから、死ぬことに関しては、悲しいけど、素直に受け止めるんだけど、
でも今回、すごく胸にしんしんと来て、何度も泣いたのだ。

悲しみと喜びはイコールなんだけれど、

悲しいことは悲しいことで、切り離して幸せに結びつけなくていいし、
悲しみの性質自体を、喜びに変換させることもないんだなーと。

死ぬって、悲しいことかな。
私はそう、思わない。
死ぬってことは、あっちの世界に生まれていくことだと、父が言ったのです。
BBが死んだとき、あっちの世界に生まれていったんだって。
ああそうかって思ったんです。

でも、
死ぬってことは、ああ、ほんとに、死んでいくってことなんだ。
と、知ってるくせに胸にこみ上げて、

悲しいことは悲しいことで分立したままで、独立させたままで、
それって悲しいという気持ちをつくづく味わうことで悲しいんだけど、
それでも生きるって、出会うって、愛するって、悲しい思いをするって幸せなことなんだと、
悲しい気持ちとうれしい気持ちが、
ないまぜにならないごっちゃのまま、そう思いました。

読む前にずいぶん、盛り上がってあれですが、6巻は未見です。
これから読みます。

パエトーン

ねこまるさんのところで、ご紹介されていた本
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欲しいものリストにチェック。
欲しいものたくさん。動物の解放もほしい。グーグーだって猫であるの最終巻も出る。

こちらのねこまるさんの記事で、内容が少し読めます。
すっごくわかりやすいです。 

「ー私の書いたいちばん長い手紙」とありますが、まさに手紙みたいです。
伝わりますようにと、心を込めて書かれたんだろうな。

知ることって大事だなーと年を追うごとに思います。
自分が何にも知らないんだってことも、年を追うほど思います。
 
自分でも、これはたくさんの人に知ってほしいってことを、伝えようとするとき、
実際、細かいことうるさいなーって言われることもあるし(ヒャア)、
思われてるだろうなと思うけど。
(実際うるさいなーと思うものね、自分でも。てへへ)
 
これは私、大人の責任だと思ってるのです。
大人がうるさくて、何が悪いのか。
大人が黙ってたら、誰が子供を守りますのか。

私、子供ぜんぜん好きじゃないんだけれども!むしろ、苦手なんだけれども!
うるさいし、バカだし、すぐ調子のるし・・・
おお、いやだわ。その汚い手で私のドレスに触らないでちょうだい。つーん。

しかし、私もそんな子供だったわけですよ・・・!
うるさく、バカで、すぐ調子に乗り、しかも鼻たれで。
そして、色々、一生懸命考えてた。
きっと今の子たちもそうでしょう。
 
原発もほかのいろんなことも、いろんな人がいろんなことを言うし、
でも、先に誰かにとって都合のいい結論があって、そこにたどり着くために、
理論を肉付けするのはまずいと思います。

子どものころから知ってたんだよ。パエトーン読んだし。
でも、安全って言うんだから、安全なんだ、よね?と思ってた。
しかたないんだ、よね?と。

子供ながらに信じてたんだよ。
今胸がきゅんとしたわ。そう、信じてたんだよ。

地震が想定外って言うなら、何を想定してたのか。
戦争でミサイルぶっつけられることも、想定してるんだと思ってた。
それでも大丈夫って言ってるんだと。

・・・私アホでしょ。でも、そう思った私が、アホな子供だったのか。
ほんとに、アホは私だったのか。
 
今回の原発の後で、福島の子が、広島で被爆した経験を持つ人の講演を聞いて、
「30歳を過ぎても、生きられるかもしれないと思って安心しました」って、
感想を言ってたという子がいたそうで、なんていうか、もう。
ほんと、言葉もありません。
ああ。勉強しないと、いろんなこと。まずは大人が。
 
無知は罪ではないけれど、
問題があると気づきつつ、無知でいようとすることは、罪だと思う。

・・・じゃないかな、どうかな。
「ハッ、偉そうに言えるほど、私勉強してないじゃないか、いろんなこと」って、我に返って急に謙虚。
 
山岸涼子さんのパエトーン、無料公開しております。マンガです。読んでみてみて。
 

マスターキートン

マスターキートン大好きです。
心地よい秋風に吹かれながら再読中。

日本人の父とイギリス人の母を持つ、平賀=KEATON・太一は、
大学で考古学の講師をしながら、保険のオプ(調査員)をしている。
また、英国軍のSAS(英国特殊空挺部隊)で、サバイバル術の教官をしていたという経歴を持つ。
そんなキートンの夢は、考古学者として、幻のドナウ文明を発掘すること。
異色の探偵、ここに登場!!


だそうです。アマゾンの説明はわかりやすいなー。

何度このマンガに、涙を搾り取られたことか。
ほんと「ンガー・・・」って言って泣いちゃう。
いつか好きなセリフランキングとかやりたい。
ご存知の人もたくさんいると思いますが、今回もしびれたセリフの一つ。2巻から。
 
「いいえ、ウサギだって追いつめられれば勇敢に戦うのよ」

(こんな仕事をして自分は虫けらだって気づいたのよ、と自分の仕事を嫌って、
マフィアから逃げた娼婦が、
「すぐに狩られちまうウサギは哀れな生き物だ」という潜伏先の宿屋の主人に、
物語の最後で言うセリフ)

あーん、これだけだと、ずいぶん強気で明瞭な物語なのかって印象ですが、
そんなことなくってですね、中盤に、
この娼婦を助けようとする軍隊学校の元教官(キートンの教官だった)の、

「子供のころ、よく狩りに行った。最初の獲物はウサギだった。
私の撃った弾はウサギの後ろ足にあたった。
ウサギは足を引きずって逃げて行った。
走れなくなったウサギは、生きているより不幸だ。

だが、私は何もしなかった。

手当をすべきだったのか・・・
とどめを刺すべきだったのか・・・

未だにわからない」


というセリフがあったりするんです。

教官のセリフを先に読んでるからこそ、
最後の娼婦のセリフも、弱さも失敗も持ち合わせた人が胸に抱く、
立ち向かおうとする強さが、にじんで見えませんか。
私には、ウック、見えるんです・・・ヒック。
 
経歴は華やかなのに、気弱でさえない大学講師。
おそらく見限られる格好でバツイチ。
考古学をやりたいけれど仕事がなく、バイトで始めた保険の調査員で、
様々な事件に巻き込まれるも、軍隊にいた経験と元々のサバイバルスキルが生かされて大活躍。
でも、本人は不本意。
 
キートンに憧れる甥が「順調にいっていたのに、なぜ除隊したのか」ってキートンに問うと、
キートンは「軍隊はあまりに現実すぎた」って。
強いのに、キートン強いのに。キュンキューン。
 
男の人のマンガによくある「力の強さ賛美」じゃなくて、
そこに力だけで説き伏せることを恥じる知力があるとこが、
このマンガに流れる奥深い魅力ではないでしょうか?
とろけきっておりますこのチーモは、一体全体どうしたらいいんでしょう。
 
キートン・・・結婚したいでございます。
(2次元と3次元が限りなく近い世界で生きている、
私を自由なティンカーベルって呼んでもいいですよ。ほらつかまえて)
 
男性に関して、弱さと優しさの違いが時々わからなくなり、
またこのことに関して感じる自分の心の内を、
言葉で説明するのは大変な困難を伴います。難しいよね?
 
佐野洋子さんも、「やさしいって優柔不断なのよ。「優しい」がなんなのかわかるのに、
一生かかる」って書いてた。
 
でも、マスターキートンが、やさしいってことはわかる。
弱くってやさしくって、タフ。
ふー、人間かくありたいものだ。

ニャンコ先生

私はムーミンを愛しているのですが、
ストラップつけようとか、ぬいぐるみ集めようとか、
そういう気持ちではないのです。
生活に、キャラクターものがあるのがあまり好きでなくて。

む、むしろ行きたい、ムーミン谷に。
なりたい、ムーミンママに。
憧れの女性の1人。

ムーミンママって、すごいんです。

パパが似合わない帽子をかぶって「似合うかね?」とママに聞いてきたとき(ムチャぶり!)、
明らかに変なのに、

「あらまぁ、なかなかすてきね、新鮮ね」とじっくりじっくり見て、

「ふーむ、どうもあなたは帽子をかぶらないほうが、
うんと重みがあるように感じるわ」

って言ったの。

パパも納得。
パパを傷つけず、プライドを尊重しながら、正しい道へ導くママ。

どうですか!
私なら、「変だよ」って言っちゃう。
さらには、「センス悪いよね」って、追加することも考えられる。
それで相手がむっとしたら、私もむっとすると思う。ヒー。

エプロンいっちょで良妻賢母なママ。
私はついつい、ママがエプロンいっちょなことに、こだわってしまうけど、
ムーミンの世界では、慎み深いともいえるのかもしれませんね。
ほかのトロール族はみんな、全裸だし。

とにかくもう、人の幅や深みが私とは違うっていうか・・・
すごい女ですよ、ママは。(嘆息)

それはおいといて。
 
なので今これがかわいいんだーってマスコットなどのストラップつけたりする人を、
距離を持った気持で眺めつつ、
同時に、自分の気持ちに素直で若いんだな・・・という
うらやましさとがごっちゃになった気持ちを抱いていました。
 
そんな私が、こころ奪われたキャラクター。
 
ニャンコ先生
nyanko.JPG










 
ヤフーの広告に出てたのです。
笑ってるような目に、手足がどこにあるのやら、な体つき。
ニャンコ先生見た瞬間心を持ってかれました。
 
え、マンガなの?とさっそく調べると少女マンガでした。

あ、ニャンコ先生は、主人公じゃなかったんだ・・・と、ちょっぴりがっかり。

気分がくじけて(弱すぎだな)、ニャンコ先生とお近づきになるのをあきらめて数日過ごしていたのですが、
寝る前までニャンコ先生の体のフォルムがちらつくようになってしまいました。
それは・・・恋だね。完全に。
 
ニャンコ先生の、体つきや目つきなど、たまらなくツボです。
 
 うーん、しかしこの絵はかわいすぎる。もっとブサでないと。
いちばん最初に見た広告の、気持ち悪くて丸っこいニャンコ先生が一番かわいかった。
 ちょっと気持ち悪いぐらいの甘くなさが、かわいいんだ。
ニャンコ先生のにじみ出るかわいさを引き立てるのだ。
  
7巻まで借りてみました。お話の面白さとかより、とにかくニャンコ先生をコピーしたい、と思って。
ここまで書いてもう、自分に驚きました、コピーって。そんなにニャンコ先生のことを・・・。
コピーしてどうするつもりなのだ。まったくわからないけれども。
カバンに入れて、たまに取り出して眺めるんじゃないかな。
 
お話は、私の若く瑞々しかった、きらめきの感性はやや退化し気味ですので(加齢により)、
心を持ってかれることはなかったんですが、思ったより面白かったです。

友達は「面白いねぇ」って言ってた。
たぶん私の目が、ニャンコ先生をひたすら追っていたから、集中できなかったんだと思います。
お話に集中できたら、もっと面白かった。
だってさー・・・ほら、ニャンコ先生が愛らしすぎるから!夢中よ、コマの隅々までニャンコ先生探しに。
 
妖(あやかし)、つまり妖怪やお化けが見えてしまう男の子の話で、
ニャンコ先生は、男の子の用心棒でした。
用心棒て・・・あーた、そんな丸っこい体してもう。
 
主人公とツバメの妖の

「人を 嫌いにならないでくれてありがとう」
 
「やさしいものは好きです
 あたたかいものも好きです
 だから 人が好きです」
 
という会話や、
 
ハッピーエンドで終わるお話の、主人公の最後のモノローグ、
 
「そうだね
僕も
人が 好きだよ
 
優しいのも
あたたかいのも
 
人も
獣も
もののけも皆、
 
魅かれ合う何かを求めて
懸命に生きる
心が好きだよ」
 
なんて、泣いちゃったわ。
 
しかし、ニャンコ先生が足りない、もっとニャンコ先生を・・・と思っていたら、
5巻では、なんとニャンコ先生の書き方が指南されているという。
なんてかゆいとこに手が届く仕様でしょう。
 
嬢の頭頂部の模様は、少しニャンコ先生に似てますねぇ。


動物好きな人へ、お願い。

どうかお願い。毛皮を買わないでください。

なぜって??

日本で売られている毛皮の多くは、中国で生産されています。
毛皮にされる生き物は、わたし達が想像する以上に劣悪な環境で飼育されており、
感電死や水死、首の骨を折られたり、
あるいは、殴られ、地面にたたきつけられ、生きたままでも毛皮を剥がされて、
そうして日本に売られているのです。

タヌキ、ウサギ、キツネなど、それに猫、犬もなのです。

華やかなファッションのイメージとは真逆の、おそろしく残酷で、悲惨な生産過程。

20110522_2.jpgわたし達が買わなければ
殺されないのです。
どうか毛皮に「NO」を。

くわしくはこちら
アニマルライツセンター







showPhoto.jpg

鹿男

「鹿男おをによし」の作者さん、万城目学さんの夢を見た。
チーモの夢でお会いするの、これで2回目ですよ、学さんたら。
 
一度目の夢では、ヨーカドー的なお店の女性下着売り場で万城目さんは佇んでいました。
声をかけると、町内会の旅行の最中なんだけど、
町内会の皆さんがどこかに行ってしまった、とかなんとかおっしゃってました。
女性下着の売り場でさぞ困惑してるだろうと思いきや、
そんなこともなく普段通りな感じで好感をますます持ちました。
 
ださい茶色いスーツで、かばんを肩からななめ掛けにしてました。
多分、こういうイメージなんですね、私の中で。
 
今日の夢は忘れちゃった、おしい。ほんとにおしい。
 
万城目さんが小説を書き始めたきっかけは、
大学時代に自転車乗ってたら、気持ちのいい風が吹いて、
今の感じを文章に残そうと思った、って…
 
なにこれ、ラブトラップ?おれを好きになれってこと?
 
漱石が、I LOVE YOU」「月がきれいだね」って訳せって言ったそうだけど、
なんか、そんなにおいを感じる。
全然理屈は通らない。なのにこの説得力。
恋に落ちてしまうわ。
 
鴨川ホルモーという小説の、
神社で大学生たちが舞を奉納する場面が大好きです。
お時間あるとき読んでみてください。面白いから。
笑いのセンスにしびれます。とぼけた感じで相当きれる人だよ。
 
このインタビューの、「うっひょー、なんてこったい」ってとこがツボです。
いちいち面白いんだよな、この人。
本を読む男の人・・・わしづかみです。何をって、私の心をですよ!

そして見た

現代の蛮行を。途中まで。

有史以来、いやいや有史以前も、どれだけの蛮行を人が繰り返してきたかを考え、
現代を思うと、まだまだ未熟であるけれど、そのころとは違うという感覚って、ありませんか?

現実に、現代さえ奴隷として生きている人がいて、
でも昔と違うのは、それは間違っていると認識する人たちもいること。
動物は大切にね、命は平等よ、戦争は何も生みません、という認識が、
多く広がっているのはほんとだものね。

自分で考えれば、それは間違いだとわかることが、
その間違いがまかり通っている世界では、いつの間にか
それが自分の感覚になってしまう。
戦争して国を広げることが正しい感覚や、
負けた相手の首は野ざらしにする感覚とかと似たものが、
私たちの世界にだってまだまだあるのだと、見ながら思っていました。
わかっていたのに、忘れてないのに、思い出す。

私は、怒り続けることができない。
自分が、苦しくなってしまうから。
なんて世界に生まれちまったんだ、と感じた後に、
それでも希望を見出すって、エネルギーのいることです。
絶対に希望が必要だからこそ、エネルギーがいります。

怒りを力に変える力がないよ…って時には、
見ないで自分の心を守ることも大事だと思う。
それはほんとそうだと思う。
でも、見られるときには見る。
見られるときには、見てほしい。

こちらを見ているサルの、苦痛と悲しみと恐怖に満ちた、生きている瞳を。

ヒットラーのしたことを、
わたし達が話す時のような感覚で語られる日が、
いつか必ず来る。

科学の名の元に、これらが行われていたこと。
そしてわたしたちが、それを受け入れていたこと。
現代の蛮行。

お友達とごはん・・・の回

本日お休みデイ。お友達とおランチしてきましたゲフー。

e02fc117.jpeg








貸していた現代の蛮行 


返してくれました。
見れたらでいいから・・・でも絶対見て。と言って渡したのでした。

「見た?」と聞いたら、「見た」と。
私は、未見なんですよね。
見てないのに貸すなよって感じでしょうか。
見られるときや、見られる人は、見たらいいと思う。
見る「べき」っていうと、なんかやな感じだけど、見るべきことだと思う。

違う人に「もしよかったら・・・」と差し出したら、
表紙の動物実験という文字を、おそらく認識した瞬間、
「そんなの見せないで!」と叫び、冊子を投げられたこともありましたっけ。
お気持ちわかります。そうだよね。つらいものね。

私は残酷といわれる画像も推進派。隠してはいかんと、必要だと思っています。
自分のブログに残酷な画像だけをバンバン貼れるか、
毎日そのような画像が更新されるサイトを日参するかは別だけれど。
バランスって、むずかしいね。

子供には注意を払って、でも見てほしい。
子供に必要なのは、目を隠してあげる覆いじゃなくて、
子供がそれを見た後の、気持ちの受け皿ではないでしょうか。

私は、小学校低学年の時に、犬を使ったアルコールの実験の写真を見ました。
あなたを絶対に忘れないって動物はたくさんいるけれど、
一番最初に思い出すのはあの犬です。
つらいことを知るのはつらいことです。
でも、あの時、見れてよかった。
知らないで、生きていくよりずっとよかった。

でも、やっぱりあの衝撃を思い出すのですよね。
この冊子を前にすると、なかなか見られません。
表紙を見たり、裏表紙を見たり。
それの繰り返し。
ああ、なんだか言い訳めいているではありませんか。


CIMG0213.JPG



「CURES-FROM VIVISECTION? NO THANKS.」
(生体解剖のおかげで治る?ごめんだわ)







友達に「現実を見てください」とまっすぐに目を見て言われました。
ありがとう。

家に帰って、昼寝しました。
布団に入りながら、
「布と布に挟まって横たわるというこの行為はなんなのか、ムフームフー!」とはしたなくも大興奮。
私、布団に挟まるの好きです。私と布団は相性ばっちりに、生まれてきているのです。
そういうさだめなのです・・・。

気持ちいいなぁと、感じるのと同時に思います。

冷たいケージでもなく、コンクリの上でもなく、
わらで上手に作られた寝床、サバンナの土、ふかふかの森、木の上、きれいな水の中。
生きているものが、それぞれと1番相性の合う寝床で休める日がきますように。

WWF

こちらも、図書館で借りたもの。

世界を救う国際組織 WWF

世界のために活動する組織を紹介するシリーズです。
ほかにはアムネスティとかもありました。
アムネスティも借りたかったですが、上限がいっぱいで借りられなかった。また今度。


WWFの成り立ちや、世界の絶滅しそうな動物たちや、
人間によって手ひどく搾取されている動物たちを取り巻く環境を知らせ、
それらをどう考えたらいいか、どうしたらいいかを子供たちにわかりやすく、説明しています。

密猟者によって、象牙のためだけにころされ、捨て置かれた象。
違法にもかかわらず、需要があるために、市場で売られるサル。
棒を持った男の人の横で、猿ぐつわをはめられ、二本足で立たされ、踊りを踊る熊。
カラフルに着色され、束で売られているトカゲの手。
そういう写真もありました。

十分ショックですがショッキングすぎず、
けれど写されている彼ら動物に対し、子供の想像力をふくらますような、
そんな写真でした。

また捕鯨に関するページでは、『鯨の国』( Whale Nation)と題された本からの引用で

「宇宙から見れば、地球は青い。
宇宙から見れば、地球は人間ではなく鯨の領域だ」 
ヒースコート・ウィリアムズ(Heathcote Williams)

とあり、心を打ちました。
でもよく考えると、感情派のわたしですらも、
理屈は通っていないっていうか、ちょっと強引かしら・・・といったん思いましたので、
理論派の皆さんには、鼻で笑われちゃうかもしれませんね。
でも、わたし達を幸せにし、自覚しているかはさておいて、実は私たちが望んでいる、
進化や前進や調和や幸福の形ってのは、
理屈じゃない謙虚さとともにあるんでないかなぁと、思います。

とはいえわたくし、
「絶滅寸前のネコ科の動物の毛皮を着る恥知らずな人たちがいるのです」
という一文に、(くす・・・恥知らずだって・・)とちょっぴり胸がすいてしまったので、
かなり謙虚から遠い感じです。
まだまだ未熟でございますね。

子供のころに読んでみたかったなぁ。
絶版なんて残念。

表紙はパンダなんです。
私、パンダってちゃんと観察したことなくて、

35eefdf5.jpeg表紙を見て、
「うふ、パンダってマイタケみたいな耳してるのね・・・!」と
つい笑ったのですが、どうにも違和感、
気になって調べたら、普通に丸っこい耳なんですね。
この子はどうしたんだろうか。ケンカ?






e7caa217.jpeg


個体がどうのこうので、カットすることあるんだろうかと
調べたけど、わからなかった。






CIMG0030.jpg



しっかりとご飯を握りしめてるこの子、幸せでありますように。
ムシャー!





なぜ戦争はよくないか

テリトリーの見回りをする。

その中の一つ、図書館の児童コーナーで借りました。 
 
子供向けって(大人向けでもだけど)希望を匂わせたり抱かせたりして終わるものが多い。
私も希望は必要だと実感しているし、希望の力をとても信じている。
同時に、なんでもポジティブに美しく、希望を抱かせてまとめてしまうのが好きじゃない。
いえ、ポジティブが嫌なんじゃなくて、ポジティブは好きなんだけど、
事実から目をそらして生み出されるポジティブが、好きじゃないのです。
ネガティブより残酷で、たちが悪いと感じるのです。
そのバランスって、まだまだ自分ではとれてないのですが。
 
アリス・ウォーカーさん。
作家でアクティビスト。怒りからも前進する力をめいっぱい紡ぎだす人。
時々その怒りに、こっちの胸がいっぱいになってしまうけれど、好きです。
ウォリアーという言葉は、彼女のためにあると思う。
そんなアリスさんの絵本。
 
 
「戦争だって
じぶんの考えはもっているわ
だけど けっして知ろうとはしないのよ
じぶんがいまおそおうとしているのが
だれなのかを」
 
「子育て中の母親たちのところにも
戦争は
やってくるの
戦争は何も見ようとしない
ミルクの大切さを
なにより人間の大切さを
見つめることができないのよ
戦争は」
 
この絵本には、希望がなかった。包み隠してなかった。
いや、希望はあった。書かれていました。
世界中の「わたし」の、ただそこに生まれて、営まれる普通の生活が。
そして、音もなく近づいてきて、わたしたちを破壊する戦争のことが。

世界中のわたしたちが、そこにいて、おびやかされることなく日々を暮している。
それ以上の希望って、なんでしょうね。

最後に、暗に選択肢だけが示されて、終わります。
アリスさんは誠実な大人だと、思いました。
 

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