「グーグーだって猫である」の6巻が、22日発売といいながら、店頭になかっただ。
おかしいなと思いながら、ネットで調べてみたら、
セブンアンドワイで27日発売ってあったから、ああ、変更になったんだな、
本屋さん3軒もまわってオラ、どんだけ必死なんだ、てへへ、と頭をかいて、
27日を楽しみにしてたら、おめぇ・・・ すでに出てただよ!(目を見開いて)
セブンアンドワイの誤情報!ばっきゃろーぅ!と吠えてみました。
ううんウソウソ、ウソよ、セブンアンドワイ。いつもありがとう。
バカって言ってごめんね?
でもあなた、過剰包装すぎ。これはほんとう。。
うもー、マンガ1冊を段ボールであんなに厳重に包み隠さんでも。
たとえば、「エロ本なので隠してください」って人は、希望制にすればいいと思うんだー。
そうしたら、隠してあると、ああ、見られたくないんだ、きっとエロ本なんだなって思われちゃうけど、
別にいいじゃない。性欲を恥じるなよ。
てこてこ歩いて、買いに行きました。
そしたらどこも売り切れで、もう泣いちゃう。
執念で手に入れました。やれやれ。
「グーグーだって猫である」
大島弓子さんの猫エッセイマンガ。
そのグーグーが亡くなったそうです。グーグーが。グーグーが。
最終巻を迎えるにあたり、1巻から5巻まで読み直す。
マンガには大島さんが関わった子猫が亡くなったことも、
外猫が亡くなったことも描かれてるんですが、
死ぬことって、私そんなに悲しくなくて、
ほんとに悲しいと思うのは、死ぬことよりもっと、別の何かなんですが、
なんだろ、一部挙げますと、その子が、お腹すいたとか、怖い思いをしたとか、
それを誰かが見ないふりをしたとか、そういうことなんですよね。
だから、死ぬことに関しては、悲しいけど、素直に受け止めるんだけど、
でも今回、すごく胸にしんしんと来て、何度も泣いたのだ。
悲しみと喜びはイコールなんだけれど、
悲しいことは悲しいことで、切り離して幸せに結びつけなくていいし、
悲しみの性質自体を、喜びに変換させることもないんだなーと。
死ぬって、悲しいことかな。
私はそう、思わない。
死ぬってことは、あっちの世界に生まれていくことだと、父が言ったのです。
BBが死んだとき、あっちの世界に生まれていったんだって。
ああそうかって思ったんです。
でも、
死ぬってことは、ああ、ほんとに、死んでいくってことなんだ。
と、知ってるくせに胸にこみ上げて、
悲しいことは悲しいことで分立したままで、独立させたままで、
それって悲しいという気持ちをつくづく味わうことで悲しいんだけど、
それでも生きるって、出会うって、愛するって、悲しい思いをするって幸せなことなんだと、
悲しい気持ちとうれしい気持ちが、
ないまぜにならないごっちゃのまま、そう思いました。
読む前にずいぶん、盛り上がってあれですが、6巻は未見です。
これから読みます。
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