現代の蛮行を。途中まで。
有史以来、いやいや有史以前も、どれだけの蛮行を人が繰り返してきたかを考え、
現代を思うと、まだまだ未熟であるけれど、そのころとは違うという感覚って、ありませんか?
現実に、現代さえ奴隷として生きている人がいて、
でも昔と違うのは、それは間違っていると認識する人たちもいること。
動物は大切にね、命は平等よ、戦争は何も生みません、という認識が、
多く広がっているのはほんとだものね。
自分で考えれば、それは間違いだとわかることが、
その間違いがまかり通っている世界では、いつの間にか
それが自分の感覚になってしまう。
戦争して国を広げることが正しい感覚や、
負けた相手の首は野ざらしにする感覚とかと似たものが、
私たちの世界にだってまだまだあるのだと、見ながら思っていました。
わかっていたのに、忘れてないのに、思い出す。
私は、怒り続けることができない。
自分が、苦しくなってしまうから。
なんて世界に生まれちまったんだ、と感じた後に、
それでも希望を見出すって、エネルギーのいることです。
絶対に希望が必要だからこそ、エネルギーがいります。
怒りを力に変える力がないよ…って時には、
見ないで自分の心を守ることも大事だと思う。
それはほんとそうだと思う。
でも、見られるときには見る。
見られるときには、見てほしい。
こちらを見ているサルの、苦痛と悲しみと恐怖に満ちた、生きている瞳を。
ヒットラーのしたことを、
わたし達が話す時のような感覚で語られる日が、
いつか必ず来る。
科学の名の元に、これらが行われていたこと。
そしてわたしたちが、それを受け入れていたこと。
現代の蛮行。
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