大島弓子さんと猫との生活がつづられたマンガ、グーグーだって猫である。
初めて読んだのは、1、2巻がブックオフで売られていて、
それをぱらっと立ち読みしたのでした。
一冊600円だったんだよ。買おうかどうしようかと思って。
すると、前の猫のサバを火葬したときの回想で、
「サバはケンカでその永久歯のキバを半分に折ってしまったが
火葬場でその歯が灰といっしょにそのまま出てきたので
これはサバなのだとしみじみ思った」
という文が目に入って、買うことにしたんでした。
その頃、BBが死んだんだよね、たしか。
だから、買うことにしたのだ。
応援したいとか、その人自体が好きとか、
そういう人の本は、定価で買うという私の本のルール。
ブックオフも好きだけど、うーん、
やっぱり何でもかんでも安ければいいというのは、いやだな。
作家さんがご飯食べられないと、私も困るんだ、すごく。
それまでも定価グループではあったけど、特に意識はしてなかった大島さん。
グーグー以後、定価グループ確定です。
最終巻の6巻では、グーグーが死んだのです。
そうか、そりゃそうか、と思いつつ、しんみり。
心の付箋がたくさんついてます、このマンガ。
サバ亡き後やってきたグーグー。
「二度目の猫はトクである 死んだ猫の分まで大切にされる
ということは サバがグーグーを守っているのだ」
と、1巻に書いてあるんです。
これわからなかった。意味が。実感を伴わなかった。嬢が来るまでは。
死んだ後に初めて、ご飯のこと、暮らしのこと、
もっとこうしてやればよかったって出てくることってあって、
それって絶対、次の子にはちゃんとそうするんですよね。
BBにしてやれなかったことを、罪滅ぼしや身代わりというと、
BBにも嬢にも失礼だし、そういうつもりや感覚ではなく、
自然とそうなるんですよね。
BBに対して無知だったことを、嬢にはするまいと。
連綿と、小さなことを重ねてつながって、私たちは生きているんだなーと思います。
あとは、がんの手術をなさった大島さんが、
病院内の桜の花がくるくると回転しながら降り注ぐ庭を
「なんやこれ てんごくやんか そや てんごくやてんごく」と
なぜかかあいらしい大阪弁で喜びながら独り占めで散策してると、
小さな碑を見つけるのです。
それは、実験動物の慰霊碑でした。
「一生針が刺さったまま死んだやつもいるだろう
一生苦しい思いをして 死んだやつもいるだろう」
「てんごくなんか
なかった
ぢごくだねぢごく
ぢごくだったね」
と碑を抱きしめる絵も印象深い。
その後少し回復された大島さんの、
「いっきに超人ハルクになったような気分になったわたしは
まっしぐらに実験動物舎に走って行き
彼らのケージを壊し 針やチューブを抜き
抱きしめて解放する想像をしてた」
にいたっては、ね、あなた。
そうだよな、もし自分がそれをできるとしたら、絶対に抱きしめる。
抱きしめて、ごめんねと、ありがとうをその耳に吹き込んで、
そうして解放する。
「抱きしめて」にわたし、癒されたのです。
人の気持ちの機微をちゃんと覚えているし、それを的確に表せる人。大島さん。
大島さんちは、猫が次々やってきて大所帯。
どの新入りにも、やさしかったグーグー。
グーグーは、穏やかに亡くなっていきました。
大島さんを見つめ、肉球で大島さんの指を握り返し、そうして亡くなったそうです。
あんまりに普通に、幸せに亡くなっていって、
私はお風呂で読んでて、やっぱり泣きました。
普通。普通。穏やかに、普通。
たくさん愛されて、たくさん愛して、
幸せに生きて、幸せに死んで、よかったね、グーグー。
やさしいグーグー。
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