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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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スピリチャル・・・の回

動物を食べることって、魂とかそういうことから 見るとどうなんですかねー?と
子供の頃から疑問だったという知人、 (いわゆるスピリチャルな人ではない)

ある日テレビで霊能力者が
「自然の法則ですから、動物さんに感謝して ありがたくいただきましょう」と
言ってるのを聞いて、 霊能力者が言うなら真実だろうとずっと納得していたと、
先日一緒にご飯食べた時、 聞かせてくれました。かなり頷く私。

昔、霊能力者=人格高潔、私、勝手に思っていて。
たまーに霊能力者って人の言動に 「え?」って思うこともありましたが、

「霊能力の高さと人間性と霊性は、 一致するわけではない」

らしいと知り、長年の疑問に目からうろこでした。

・・・知ってました?私は知らなかった~。

勝手に「この世の理を知ってる、全部わかってる人」って思ってた。
でも多くの人はそう思っちゃわない?

今は、なんというか、
「その人(霊能力者)がそう言うんなら、
その人にはそうなんじゃないんですか」って感じです。

心の底から、素で。
誠心誠意、素で。
皮肉じゃなく、そう思います。

その人がそう思ったり感じたりするんなら、 それはもう、真実そうなんじゃないですか、って。
(なぜ2回言ったのだろう)

「私」はどう感じるかってことが、 ずっとずっと大事なんだと思う。(自戒を込めて思う)
霊能力者がそう言うことより。

私は肉食に関してはシルバーバーチの言うことが、
すべてではないけど1番しっくり来ます。


魂の話って、ずっと否定してたのです。
リアリストでいたいし、 魂の立場から動物の話を訴えても、
「ファンシーな人が何か言ってますね」くらいで、
真剣に聞いてもらえないだろうと思っていたし。

でも、魂はあるってどっかで感じてるのに、
否定し続ける方が私には難しかったですなー。

でも誰彼かまわず、スピリッチャルの話をしたりは、ね、 ・・・しませんよキャ!!
今、こうして書いてるのは、あなたに知って欲しくって、
わたしのことキャ、はずかしい・・・!
おっと、昔から1人遊びが得意でした。

いわゆるスピリチャル、好きではないのです。
いい訳めいてる?そうよね、でも、好きじゃないの。
そんで、そういう人、多いと思う。

「家畜はそれを学びに来てる」から、
「我々は感謝して肉をいただく」
とかになりがちな理論も、控えめに言って好きじゃないのです。

地球に生まれてきた人間が、 よーく見て知って、考えなきゃいけないことが、
スピリチュアルな視点がからむと、 なんとなく納得できるような、
わかったような気になってしまうのが、

生理的にイヤ。
そして、すごくこわいことだ、と感じます。

この世に無駄なことはない、と私もそう思います。
人が殺されて死ぬことさえも、意味があるのだろうと思うのです。
それが、その人の学びなのかもしれません。

でも、その人が殺されそうな時、
「その人はそれを学びに来てる」から、「そこから私達は何かを学ぼう」・・・
(はい、ここから大事。テストならがっちり出ます。
テストにはなりませんから出ませんが、とにかくそのくらい大事です。)

「だから、仕方ないことなのだ。黙って殺されるところを見ていよう」

って、お、思わないでしょ。

(私は一生懸命話したあとで、「今の話、たとえ話がいらなかったね」ってよく人に言われるので、
これもいまいち読む人のお心に私の思うとおりにお届けできてない自信ありですが)

上の状態で言えば、まず、殺されるのを止めようとするし、
その事実に少なからず他人でも動揺するよね、殺されることが不変の運命でも。

誰かがどんな理由でも殺される運命にあることと、

それに対して私達が、それを受け入れるかどうか、
それが本当に必要かどうかは、まったく別のこと。

肉体と魂の両方で生きてるのに、
この地球で犠牲を少なくするよう心がける生活には注視せず、
「すべての命は同じ命である」ってスピリチュアル、

私には、

豚の日光浴のことも、牛の親子の鳴き合いのことも、
真っ赤に実るリンゴのことも、
人間が生きていくのに充分な実りをくれる大豆のことも、

この地球に生きながら、何も見ていない気がする。
わたしには、そういう気がする。

わたしがそう感じるだけなので、
皆が感じなくても、もちろんおかしくないのです。

すべての命は同じ命であるというのは、同感です。

ベジタリアンって、「植物の命を食べるのに、動物の命を食べることをどうこう言うな」って、
言われること多いと思います。

私の命と、植物の命は、まったく同じ命です。

でも、私が子供を連れ去られたら、悲しみに打ちひしがれる。
私が殺される時は、必死になって抵抗し、とてつもない苦しみを味わう。 

私と植物は同じじゃありません。
そこを見つめるのが、人間じゃないでしょうか。

私たちの毎日の生活の中で、それは、本当に必要な犠牲だったのか。

たましいの話だけじゃなくって、きちんと自分が住んでる時代や、
地球の現状を知って、判断する。

そこまで考えるスピリチュアルを、私は支持します。

ここまで書いて、なんかスピリチャルは あんま関係ないって気づいてしまいましたが、
今まで書いた自分のために、 しっかりアップ。
恥をかいて、人は大きくなるのです。

ですが、自分の設置した文章ゴールにいつまでたっても辿り着けないなら、
市で開催してる作文教室とかを探してみるのもありかもしれませんよ?(自分へのアドバイス)

フゥ、私が読んできたブログってすごかったんだなぁ。
「シンプルであることの難解さ」という宮本輝氏の言葉が
今日ほどしみる日が今までのチーモにあったかしら。
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Comment

チーモさんは犬のおまわりさん?

  • vio
  • 2010-12-05 03:30
  • edit
私もでした!越智啓子さん(前世療法をされているという
精神科医のかた)の本を読んで、おなじことを感じていました。
やっぱり、「感謝していただいた」というくだりに疑問を感じてたんです。

人間性とはべつのもの、なんですね、
混乱していた迷子の気持ちが心底から、帰ってきた~~!
チーモさん、迷子の手を引いてきてくださってありがとうございます♪(*^-^)

vioさんへ

  • チーモ
  • 2010-12-05 11:01
  • edit
vioさんもだったんですね!私も迷子の子猫ちゃんだったですよ~。
こちらこそ、ありがとうございます。

霊能力者がそう言った、って威力ありますよね。
自分には見えないものが見えてるんだろうな、と思うとなおさら。
でも、私は自分の霊性の方を信じて、間違いないと思います。
もちろん、その霊能力者の方も、その人の魂がそう言うなら、それが正解で。
いろんな人がいて、いろいろ考える機会を与えられているのかなーと思います。

越智啓子さん、チェックしてみます!
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