昨日は渋谷で化粧品の動物実験反対デモがありました。
お天気はあいにくの雨・・・あいにくの・・・?
いえいえ、これは、涙が出にくいために目に入れた薬品が流れないという理由で、
実験に使われるうさぎの、実験のためでなく、
ただ彼らの世界を見るための美しいその目が、
涙のような雨できよらに癒されますようという願いが届いたものでしょう。
でかした雨、うさぎの瞳を洗い流せ!
でも雨だと歩いてる人がやっぱり少ないかな!
来年は晴れがいいかな、頼むぞ雨!
160名ほどが集まったようです。
みなさんはりきって歩いてきましたよ。
リキリキ!
そうそう、岡本夏生さんがいらしてました。
被災地にもいかれてるんですよね、継続して。
チビチビと彼氏も参加してて、彼らに貢いでもらったウサギの耳をくっつけて歩きました。
来年も使おう、これ。
サリタさんとご一緒させていただいたのですが、サリタさんめちゃめちゃウサギ耳似合ってた・・・。
懇親会も参加しました。定員は50人で、10人ずつのグループになり、
日本での化粧品の動物実験廃止を実現するためにはどうしたらいいのか、お話をしました。
やっぱりこういう交流は実り多いですね。刺激になります。
実験してる化粧品会社に「実験しないで」と電話すると、
「国に義務付けられているから」とか言われることがあるようですが、それは違う、と。
新成分を申請するときの話ですよね、それは。
でもよく知らない状態でそう言われてしまったら、説得力があるように感じますよね。
だから、事実はどうなのか、知識を得ることは重要なんだというお話も、ほんとだよな、と思いました。
あと同じグループになった方が、
「今ツイッターでデモを検索かけてみたら、今自分たちがしたデモを見てた人が、
『実験してないものは怖い』ってツイートしてる人がいました」っておっしゃってて、
なるほど言わんとすることはすごくわかる。動物実験は安全のため、ということだものね。
でもそれも、ほんとは違うんですよね。
アメリカでの実験によると、
ラットを使った毒性試験からヒトに対する有害な作用を予測できる率は7%にすぎず、
ラットやイヌでおきないのに、ヒトにだけ起きる副作用が54%もあるそうです。
ヒトとラットでは種差があるためです。
ヒトとイヌでももちろん、同じ生きもの同士でも、異なっているのですね。
マウスは実験にものすごい数が使われていますが、
マウスには日周リズムあるため、内臓器を取り出した時間が違うだけで、実験の結果も異なるそうです。
人間にまんま当てはめるのは非常に不確実で、説得力にかけます。
そのために、殺されてしまっているのにね。
人間の培養細胞を使った実験の研究を進める方が、有意義ではないでしょうか。
倫理的な面から見ても。
動物の権利とかいうと、感情的って見られるけれど、
それだけじゃなくて、種差のことや、薬害のこと、
正直、倫理観が皆無に思われる研究者の、まったくサディズム的好奇心としか思われない実験が、
公的なお金を受け取りながら行われているとか、
知ってもらったらまた違うよね。
化粧品会社にする電話一本だって、無駄ということはない。
実際そうなんですってね、コールセンターへの電話はちゃんと集計されて、上に報告するんだそうです。
資生堂が(外部に発注してるとはいえ)、自社での実験やめたのは、
外からの働きかけがあったからだものね。
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最近、「何かを選ぶ」ことは、「選ばない何かを生む」ことなんだなあと、思っていて。
こういうね、だからなんだよってことを、立ち止まり立ち止まり、考える私。割と面倒くさいタイプ。
でも、なんか、いいやって。
そう思いました。
そもそも、完璧ってなんなのか。
外的にいうと、多分生きてる間には成し遂げないものでしょう。
そして内的に見れば、今この瞬間、心の中で得られるものでもありましょう。
ああ、この文章だけ読んでも、一体、何を言ってるのかチーモはって感じですよね、ごめんね。
具体的にどうこうじゃないんです。
いや、具体的には、動物の、こういうことを書きたいとかいろいろあるんだけど、
結局考え1つ、言葉一つにも、自分というものが必ずにじみ出ると思ったら、
自分が何かを選ぶってことが、大変なことだねこりゃ、って気になって。
生きたり、考えたりって、おもちろいね。ウフフ。
考え続けたことが、昇華されるような、思考が一瞬で止まって解放されるような、
そういう時がまた、たまらないのよね。
だって今は、自分が何かを選ぶことの一体何が、大変なことだねこりゃ、なのかわからない。
清くも汚くもなれない。
何を選んだって、チーモはチーモなんですもの。
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