みなさまおばんでございます。いかがお過ごしですか?
私はほのかに感じる湿気に、熱帯の国にいる気分。お得なタイプの女です。
ブログにアニマルのこと、嬢のこと、
先日キャッシュで衝動買いしてしまったクルーザーのこと(ウソ)、
またはヒミツの王国から招待されたヒミツの舞踏会のこと(ウソ)、
いろいろ書きたいチーモであり、書こうにも頭がとっ散らかりすぎのチーモでもあります。
春だから、って言い訳してますが、割といつもとっ散らかっておるのを思い出しました。
でも春だから。ていうかもう初夏だから。いやいやむしろ熱帯だから。
ねこまるさんの猫とヴィーガンな生活さんから、転載させていただきます。
〝見る事は知ること。そして知る事は背負うこと。〟
これは、野口健さんの言葉です。
以下は、とても辛い写真ですが、野口さんが福島第一原発の20キロ圏内で見た光景です(写真、文面から抜粋)。
●福島第一原発、20キロ圏内の世界
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html
(2011.7.30)
6月20日早朝、私は
高邑勉議員(民主党・衆院議員)と福島原発20キロ圏内(警戒区域)に向かった。
まず向かったのが豚舎。豚舎の入口に車を止め、降車したその瞬間にツーンとした臭い。豚舎から数十メートル離れているにも関わらずこの異臭。ギギギと音を立てながら開いたドア。中は薄暗くそして目が沁みるような強烈な腐敗臭。中を歩くとプチプチと音がする。足元を見ると地面は一面がウジ。そのウジを踏みつぶしながら歩いていたのだ。

豚の死骸だらけの豚舎の中

ウジだらけの豚の死骸

驚いたのは豚舎の檻の中に生きている豚がいた事だ。
そして檻の中へと目線を移すとそこは豚の死骸の山。顔面がウジだらけの豚や肉の間から肋骨などの骨が露出している豚の遺体が。多くの豚は餓死していたが、それでも生き延びている豚たちもいた。3カ月間、水も食糧も与えられずにそれでも生存してきたのは、豚が豚の死骸を食べていたからだ。糞尿にまみれ、また腐敗しドロドロになったウジだらけの死骸を食べている豚の姿に、吐き気に襲われ豚舎から出て胃液を吐きだしていた。腐敗臭が身体に染みつき臭いが離れようとしない。ここはまるで戦場だ。生き延びている豚たちがジッと我々を見つめてくる。言葉は発しないが、しかし彼らの寂しげな眼差しが「助けてほしい」と私たちに訴えかけているようだった。檻から放すわけでもなく、かといって殺処分するわけでもない。彼らが餓死するまで放置される。死を迎えるその瞬間までまさに生き地獄。なんとかならないものかと、ただただ呆然とし、言葉を失っていた。
まるで虐殺現場のようだった

餓死していた牛たち(牛舎の中にて)
そして次に向かったのが牛舎。やはり豚舎と同じで何頭もの牛が首を固定されたまま餓死し横たわっていた。乳牛は餌を与えられる時には首を固定されるのだそうだ。そのままの状態で人は避難し身動きとれないまま死んでいった牛たち。彼らの亡骸があまりに無残でありその表情から無念さが伝わってきた。

首を固定されたまま餓死死していた乳牛

痩せこけた牛が一頭、ポツンと牛舎の中で・・・何を待っているのだろうか?
牛舎を後にし、再び車移動中、豚舎や牛舎から脱走、または放されていた牛や豚を発見。車を降りたら何頭もの豚や牛達が集まってくるではないか。彼らは人間に飼われてきた動物だ。ひょっとすると人間が恋しかったのかもしれない。また餌が欲しかったのかもしれない。豚たちはシッポをプルプルと振りながら、また牛たちは我々一行を囲み頭を擦りつけてきた。

牛に囲まれて
しかし、政府は5月12日に殺処分の方針を決定。農林水産省によれば「原発が収束しても出荷できない」が理由とのこと。
それが目の前で現実の事になるとは・・・。再び次の現場へと車に乗り込み複数の牧場を視察した後、先程、豚たちと出会った広場の横を車で移動していたら防護服に身を包んだ何十人もの人たちが豚を囲み用意された囲いの中に入れていた。話を聞きにいったらこれから殺処分が始まるとのこと。つい先ほど、彼らと出会い、生きている彼らに感謝していたにも関わらず今まさに殺処分が始まろうとしていたのだ。豚を囲むのを手伝いながらも心の中で「逃げてほしい」と叫んでいた。

豚舎から逃げ出し生き延びていた豚たち。しかしこの数時間後には・・・。
最近ではこの「殺処分」という表現を「安楽死」に変えているとのこと。しかし、いくら表現を変えようとも同じ事だ。殺処分される豚を眺めながら人間とはつくづく勝手な生き物だと、本当に申し訳ない気持ちで胸が押しつぶされそうになった。
震災前、この警戒地域内には牛は約3500頭、豚は約3万頭いたが、しかし5月の調査では牛が1300頭、豚が200頭と餓死によって減少していた。そして生き残った動物達を今度は殺処分。

生き延びていた牛に「生きていて有難う!」と
今まで様々な現場に訪れてきたが、この現場は特に辛かった。正直、気持ちが折れかけた。しかし、気持が折れてもそこに意味はない。嘆いている時間とエネルギーがあるのならば、何かをしたほうがいい。
2011年7月29日 野口健
【転載 ここまで】
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目を逸らし、見ない、聞こえない、知らないふりをし続けるよりも、辛い思いをしながらも、何かをしたほうがいい。
生きものを苦しめないという選択を…
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ねこまるさんのところから、転載ここまでです。
野口さん教えてくれてありがとうございます。
ねこまるさんも、いつも色々ありがとうございます・・・!
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この記事をねこまるさんとこで見たとき、平静なつもりでした。
でも、数日後夜中に目覚めて、すんごい泣いちゃった。
こんなふうに、殺されていった動物たち。
人だって、愛する動物家族を、おいてこなきゃいけなかった人もいる。
すぐ戻れるって泣き泣き行ったのに、自分のおうちなのに帰れなくって。
迎えに行かせてもらえなくって。
自分だったら、生きていかれないかもしれない。
嬢をおいて、そもそも逃げられない。って思うのは、
ああ、一回離れたら自分ちなのに、自分の家族なのに、迎えにも帰してもらえないんだって知ったから。
どれだけの苦しみだろう。置いてきて戻れないって。
そしてそれを、味わってる人がいる。
国には犬猫でも、その人には家族だよ?なんだそりゃ。あんまりにあんまりじゃないか。
警戒区域の写真集で、
水を求めた牛が、沼に何頭も浮かんでいるのを見たときも、
餓死した猫の上にボランティアさんが手向けた花束を見たときも、
飼い主さんが作ってくれた小屋の中で、飼い主を待ったまんま死んでた犬を見たときも、
泣いてなんになる。なんになるのだ。
悲しみすぎても、自分を責めすぎてもいけない。
と、バランスをとろうとして、そう思ったのでした。
泣くの我慢って、バランスとろうとしすぎてなんだか逆にいびつな感じになってますが、
泣かない方が頑張れる時もあるよね。
そのときは、そうだったんだ。奥歯をギュッとしたんだ。
目覚めた真夜中も、バランスをとろうとして、でももう、どうしようもなかったのです。
そういう時は、泣くのがいいのです。好きなだけ泣けばいいのです。
この記事の始めの文章も、なんだかふざけてます。
不謹慎って怒られちゃうね。
でも、あ、チーモ我慢してる、我慢して変なテンションになってるバカだから・・・って、わかってくれる人もきっといる。あたし信じてるわ。
たとえみんなに怒られても大丈夫、チーモは知ってるよ、チーモちゃんのこと。(人格が分裂しちゃった)
私は、悲しい。言葉ってなんて、かんたんだろう。本当に悲しい。
動物の、飼い主さんの、わたし達の、悲しみを表す言葉は、きっとない。
誰かの大事な誰かが、こんなふうに死ぬのは嫌だ。
人間を支えるって名目でずいぶんと利用されてる子らを、こんなふうに見殺すのは嫌だ。
シンドラーのリストで、主人公が慟哭しながら後悔するシーンを思い出す。
「努力をすれば、もっと救えた。
車を売れば、10人救えた。
バッチを売れば2人、
もしかしたら1人だとしても、
人間1人だぞ。
努力すれば、もう1人救えた。
でも、それをしなかった--。」
終わった悲惨さを見つめる大事さは、重々わかるけれど、
心が痛むのが、つらくなるのが、元気をなくすのがわかっているくせに、
わざわざ見つめることないとおっしゃる御仁もありましょう。
なぜ見るのか。知ろうとするのか。
それは、終わった悲惨さではないからです。
何も解決していない、悲惨さなのです。
さらには、好き好んでみているのではないのです。
知らんふり見ないふりで生きていけるなら、どんなによかったか。
いやいや、でも、見てみぬふりに幸せがあるとは思えない。から、見るのです。
あ、ごめん、見てみぬふりをするのがいやで見てるので、
好き好んでみてるのではないけれど、結局は私、したくてそうしてるのですわ。
今は、仕方ないことと言われておりますね。動物が、特に家畜が犠牲になるのは。
奴隷が犠牲になるのは仕方なく、当然でもあるのだ、と言われた時代があったように。
いつか、必ず変わってゆく。変える気さえあれば。
そのために、こんな荷物しょえない・・・って思っても、とりあえずしょってみます。
渦中にいる当事者に比べたら、こんな荷物、こんなものあってなきが如しですよ!
とか言いつつ転んじゃうし泣いちゃうんだけど、まあベソベソしつつもその内立ち上がる。
みんなできる子。あなたもチーモもできる子。がんばる。だいすき。
わしは、白人に汽車の中から撃たれて、
そのまま大草原に放置されて腐ったバッファローの死体を何千と見た。
彼らは、生きるためにだけバッファローを殺す我々を野蛮人だと言う。
煙を吐く鉄の馬の方がずっと大切だということが
野蛮人だから理解できないのだと言う。
同胞よ、動物がいなくなって、何が人間だというのか?
もし、すべての動物が地上からいなくなってしまったら、
人間は魂のひどい孤独感で死んでしまうだろう。
動物に起こったことは、いずれ人間にも起こる。
すべての命は、つながっているのだから。
(インディアンの言葉)
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