10月27日(日曜日)は、渋谷で会おうじゃありませんか。
今回、全国でみんな歩くんだね。すてき。大阪は26日ですって。
毛皮反対デモ行進に参加しよう!毛皮フリーファッションを目指そう!チーモ、最近積極的にはパソコンのぞいてませんでした。
久々に情報収集してたら、ほんとに気分悪くなります。
犬をレイプする男、猫を手すりに打ち付けて弱ってく様子を楽しむ人たち、
動物の死体を使って芸術だとかのたまう人、
署名サイトChange.orgにリンクしてます。
ぜひサインをお願いします。
英語じゃないから、何言ってるのかくわしくわかんないよ。
英語でもわかんないけど。
どうぶつを苦しめる人にもいろんな人がいるけど、
どうぶつを虐待して芸術だっていう人たちには、チーモ正直、虫唾が走る。
上記のリンク先のは、馬の死骸を使う理由が芸術であるということだけで、
わたしにはそれって革製品や毛皮とかを使うのとあまり相違ないのですが、
もっともらしく、意味があるふうに、
犬が餓死していく様をね、展示するとかね、そういうのを芸術とする人もいるのですよね。
なんというか、人間らしい屁理屈だよね。単なる虐待なのに。
すごく腹が立って彼らの理屈を論破したいと思って、
でも論破できたとしたって、なんなんだ。
その空しさに、本当うんざりする。
一言でいうなら、「お前のオナニーショーは見たくないんだ。」に尽きるのだけど。
精神の弱さは、自分自身でしか救えない。
わたしにはそれを、自称芸術家たちが、自らで放棄しているように思える。
自分の弱さへの努力もせず他者を傷つけて、
そこに芸術をからめてくるあたり、弱者の最たるものという気がする。
それは頭でっかちで、とても不細工なフォルムをしてる。
もしも彼らに美意識というものがあるのなら、
その格好でとても芸術を語ることなど、
恥ずかしくてできないほどの。
あなたたちには、きっと芸術などはわからない。
いや、わたしもわからないが。
(芸術芸術書きすぎて、ますますわからなくなってるし。)
でもわかってないことを、知ってる。
だからこそ、土足で踏み荒らすような真似はしない。
動物虐待の作品に、芸術的な価値を見出したり、
創作の自由が~とか言うやつは、バカですよ。
なんでもありなら、何でもいいじゃん。
自分の命を使えばいいじゃん。もーそれでいいじゃん。(うんざりしてなげやりだ)
命が命であることの、美しさがわからないなんて、絶望的な審美眼のなさ。
恥を知りたまえ。
きみたちは、直ちにそのフィールドを去りたまえ。
いろんな人がいて、いろんなことがあるけれど、フー。
それでも世界は美しいと、信じるのだ。
さわやかな秋晴れの午後、
日だまりの布団で嬢がフワフワ、フガフガと眠っておりますよ。
ああ、嬢。美しい嬢。
お前の毛皮を、誰にもやらせるものか。
お前の毛皮は、お前のものだ。
世界のお友達、日本は秋です。
こんな美しい秋です。
あなたも、幸せだったらいい。祈ります。
さあ、ブログアップしたら、署名してこようっと。
そのあとはいい曲聞いて、ちょっと昼寝しよっと。
SOMEDAY
いつの日か
わたしたちがもっと賢くなって
世界がもっと大人になって
私たちが学んだなら
願わくばいつの日か 私たちは生きるのかも
生きるために 生かすために
いつの日か
生命はもっと平等になり
要求はもっと少なくなり
欲張りは損をするようになる
神は急ぎ この輝かしいミレニアムに向かわれている
待っているわ その日を
いつの日か
私たちの戦いが勝利をおさめたら
太陽のもとに立つのよ
その輝かしい午後に
その時まで
たとえ太陽が消えてしまっても
私たちはあきらめない
月に祈りをささげてでも
暗く苦しい日々もある
勝ち目はないと思えることも
でもより良い日を求め祈ること
それだけはみんなで分かち合える
いつの日か
私たちがもっと賢くなって
世界中がもっと大人になって
わたし達がもっと学んだのなら
願わくばいつの日か 私たちは生きるのかも
生きるために 生かすために
いつの日か きっと