2003年米アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞受賞。
福島原発事故があった日本で、急遽上映となり、先月から
各地の映画館で上映されていた様子。(
名古屋は無いな)
私は 見始めて…寒気がしました。
今もなお、高い放射能を出し続けている、チェルノブイリ。
自分達が作ってもいないもので、奪われ続けている
赤ちゃん~ティーンエイジャー達の青春と家族と人生。。。
チェルノブイリ事故後、子どもたちの甲状腺ガン発生率は10000倍になり、障害児の出生率は25倍
汚染地域にはまだ600万人が暮らしており、ベラルーシの国土99%は放射能に汚染されている。
脳みそが頭がい骨を圧迫して、後頭部に突き出ている子供。体が発達していなかったり、水頭症の子供。腫瘍が背中から突き出している赤ちゃん。こういうの前は「ウルルン滞在記」とかでも見た気がする。この映画は即刻、日本の ゴールデンタイムに流すべきだ。
知的障害のある子は施設で流動食を食べているので、歯にも障害が。。。
手足がまともに動かない障害がある子供が、将来何になりたい?と聞かれて、
「医者になりたい。子供達を助けたいから。」と言ったのが悲しかったです。
。
観終わって、悲観しきってはいけないけれど、まともに
子供を産んで育てる環境ではなくなってきている
日本。
名古屋にいたいけど、もっと遠くへ逃げたい気持ちになりました。
実際、海外へ行ってしまう友人もいるし。赤ちゃんにパスポートを取った人も 私の周りにはいます。
今日ラジオから、愛知県ががれき受け入れ調査費の為に、6億円を計上したとのニュースが流れてきました。
年内には受け入れようと、
知事の独断で進めている様です。
いや冗談でしょ、大村秀章知事 あんただけの愛知県じゃないんだよ。
後世の愛知県民に憎まれる、そんな歴史に名が残る知事になりたいの?
放射性物質を拡散しないように一か所に封じ込めるのは世界の常識。
(瓦礫を全国で受け入れるべきだというお考えをお持ちの皆様へ)
がれき何か受け入れてる場合じゃないそんな金があるなら
人を受け入れるべきだ。
映画冒頭には 「日本のみなさまへ」 と流れ…
トルコ人の詩人、ナジム・ヒクメットの「生きることについて」 が流れました。
「生きることについて」ナジム・ヒクメット
生きることは笑いごとではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば
生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない
生きることは笑いごとではない
あなたはそれを
大真面目にとらえなくてはならない
大真面目とは
生きることがいちばん
リアルで美しいと分かっているくせに
他人のために死ねるくらいの
顔を見たことのない人のためにさえ
死ねるくらいの
深い真面目さのことだ
真面目に生きるということはこういうことだ
たとえば人は七十歳になっても
オリーブの苗を植える
しかもそれは子供たちのためでもない
つまりは死を恐れようが信じまいが
生きることの方が重大だからだ
この地球はやがて冷たくなる
星のひとつでしかも最も小さい星 地球
青いビロードの上に光輝く一粒の塵
それがつまり
われらの偉大なる星 地球だ
この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
ましてや死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにコロコロと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ
そのことをいま 嘆かなくてはならない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」と言うつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
最後には監督から、日本のお母さん達へのメッセージがそえられていました。
「大切なのは、直観に従うことです。
自分の心に従って下さい。
「おかしい」と感じたらまずは行動を起こすべきです。
何もしないより 安全な場所に
避難する方が良いのです。
「怖がるばかりでなく、行動を起こしましょう。」
「子どもたちを守るために何でもいいから
今すぐやりましょう」」
映画の後半に入っていたもう一つのドキュメンタリー「ホワイト・ホース」は、ベランダから原発が見える
マンションに
10歳の頃住んでいた青年が、事故後
20年たって
初めて自宅に戻る様子を写していました。線量計がピーピー
言う中、ボロボロになった家を見ながら、「ずっとここに住んでいたかった。」という青年。でもこの方も
2007年に亡くなってしまったそうです
ちなみに、内部被曝に負けない食品は全て植物性 動物性は0です…
でもキノコは避けて、 野菜と玄米と、味噌を食べましょ~
是非レンタル屋で、即行 家族で借りてみて下さい
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
Natsumiさん、度々ありがとう(ペコリ)
普段だったら、鼻血出ちゃったら大喜びで誰かに報告する。
でも今回は、なんかすっごく悲しかった。
ああ、この鼻血は自分のせいだけど、
これが自分のせいじゃないのに出ちゃってたら。
自分の体が壊れつつあるって知るのって、
どんなにか怖いだろう。
どうして、こんなことをするんだろう。
身に染みたんですよね。
人が鼻血を出すときは、猫に手を突っ込まれるとか、ほじりすぎとか、
ブランコから落ちて鼻血が出たんだ、でも俺は、地面じゃなくて明日にダイブしたつもりだったとか、
そういうのがいい。そういうのでなければ、いけない。
制御するすべなく命を奪うものを使ってまで、便利さを追い求めてはいけない。
それが人間の知恵だなんて、そんな浅はかなことを言ってはいけない。
放射能で鼻血はいけない。
人間は、いけないと言わなければいけない、と思いました。
半泣きだったよ。鼻血で半泣き。絵面的にはそうとうおかしい。
でも、なんにもおかしくない。なにがおかしいものかー。