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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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いつも何度でも

この世にあるすべてのことは、もうただここに在るだけで、
それだけで愛だと感じるから、

この世で起きることに、意味があってもなくても、
思考が実現化してもしなくても、
喜びや悲しみに、意味があってもなくても、
突き詰めると、わたし本当はどっちでもいい。

神さまも、いてもいなくても、どっちでもいいんです。

こちっとしたおつむ、ペラペラの耳、真っ黒くて濡れてる鼻、
笑いながらこちらに駆けてくる、力強い足。
あなたの体も大すきだった。
でも、そうだった、わたしは、あなたの魂をなにより愛したのだった。
そしてありがたいことに、魂は、死んだりしないのだった。

つるんと体を脱いで、
楽しいかい。
もう苦しくないね。

わたしが死んだあと、BBに会えても会えなくてもいい。
虹の橋のたもとで、待っててくれなくていい。
それより自分の好きに、走り回っててくれるほうがずっといいな。
そう思ってても、きっとBBは、今も私をちゃんと見てるんだと思う。
やさしい子ちゃん。

BBの命日を覚えてない。たしか初冬のころ。
でも、誕生日は覚えてるんだ。夏生まれの女の子でした。

わたしたちは、ただ在った。
意味があってもなくても、幸せだった。
何の苦しみもなく愛はただ在るもんだって、説明なしに心から信じられるほど。


この曲、BBが死んだ時の、静かな気持ちを思い出す。
BBのあいらしい、知性と慈愛で澄んだ瞳を思い出す。
静かで涼しい、そんな気持ちになります。



呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから
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時間を過信してはいけない

終わりましたな、お盆が。とっくですか。
いやいや、ちょっと気を抜くと時間はあっという間に過ぎてしまいますぅ。
いけませんね、少年学成り難く、光陰矢のごとしなのですから。

今年の秋は、本を読む。
春も夏も読んでましたが、ほかにもすることあるのに・・・と後ろ暗い気分だったんだ。
もうためらうことなくモリモリと読みます。光陰は矢の如しだってんだから。たいへんたいへん。

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早速、秋に向けた準備運動として、マスターキートン全巻読み直します。
マンガは読書です、キリッ(凛々しく)

キートン・・・この世で1番、チーモが妻になりたい男。
二次元で、紙なことは、いやいやしながらも承知。
愛の力でなんとかなりませんかね。



今年の夏は、本当暑くて・・・去年のが暑かったってほんと?
クーラーも使わず、よく生きてたな私。
昼寝と見せかけた失神を繰り返し、なんとか生き延びました。
ここのとこ少し気温が下がって、ピチピチと生き返っております。

クーラーなしで死にそうな夏を超えると、秋が来たとき体と心に沁みます。
時間の移り変わりや、本当に四季が巡ることが、
沁み渡って細胞がブルブル震えるのです。

サウナの後の水風呂みたいなもの?
秋が好きなので、より喜ぶために夏に頑張る。
嬢も元気です。クーラー入れても、特に感慨はなさそうで、
保冷剤のあるアルミボードより、廊下の涼しいとこで転がったりしてます。

そんなわけで体力に自信のある御仁。秋が好きだというあなた。
ご一緒に「秋のロマンチックをより一層味わうためなるべくクーラー使わない会」に入りませんか。
涼しい秋の夜、一緒に目をうるうるさせて、テディベアー作りましょう。
乙女っぽいロングスカート着用、飲み物はハーブティーが付きます。
ご希望の方には、ふっくらと秋太りしたみけ猫に、引っかかれるか噛まれるかのオプションもお付けします。
だいじょぶ、甘噛みもできます。天才ねこです。


おやおや、産まれたてみたいに落ちてる子がいますね

CIMG0516.JPGぽて

CIMG0515.JPGぽてーん

味わい深い色になってしまってるピンクのひもは、おもちゃです。
どこにでも持ち運びます。
このように、寝所にまで持ち込まれます。

嬢ちゃんちっちゃい。かわいい。

CIMG0530.JPG
手と足としっぽちゃんの最終的なかたち 複雑なり
 

イライラ!

あーなんか、なんかもう!イライラする!すごくイライラする!

足の底からイライラがこみ上げて、人にやつあたりまでしそうで。

いかんいかん、冷静になりたまえ、と落ち着いて考えてみたらば蟹。

くつ下に穴が開いてて、そこから人差し指と中指がぎゅうぎゅうと顔を出していた。

ちょう、きゅうくつ。しかも両足。

そのせいで足がイライラ、その害は全身およびメンタルにまで及んでいたという。
穴を閉じたら、治りました。

へーぇ単純なのね、人間て。と、感心してしまいました。

この前のイライラは、取れかかったつけまつげが浮いており、視界が暗くなっております事件。
いつだったかの鼻のこそばゆさは、かわいいみけの毛(白)が鼻に吸い込まれておりました事件。

ささやかに見えて、威力があります。
みけの毛などは、鼻からチロッとかなり出てましたから・・・
周りに与えるインパクトも大です。反省です。

みなさんもイライラした時は、体の一部におかしなことが起きてないか点検するといいと思います。

意外と単純なことかもしれません。

本、読みます?

いろんなことを知りたくて、どんどん新しい本を読むほう?
そしてちゃんと知識を得る?
それとも、知識を得るとか期待してなくて、
好きな本を、そらんじられるほど何度も何度も読む人?あなたネクラ?私?ネクラよ。 
私は、同じ本を何度も読むほうです。そりゃあネチネチとね、ウッヒッヒ!
 
佐野洋子さんの本も、何度も読んでる。
初めて読んだのは、佐野さんの本でおそらく1番有名な「百万回生きたねこ」でした。
(どうしても「百万回死んだねこ」と言ってしまうんだ。)
幼稚園の時でした。
 
最初読んだときは、なんて残酷な話なのか、と。
猫を何度も殺しちゃって、最後はとうとう生き返らないなんて、
作者はなんて意地悪ババアなんだろう、と。
ゆるすまじ、ゆるすまじ!怒りにぶるぶる震え、憤慨する園児。
でもずっと覚えてた。
 
二十歳のころ古本屋さんで、「あ、ねこの話の人だ」と佐野さんのエッセイを買ってみて、
その文章のリズムのいいことや、文法とか時々正しくないのに、
正しい日本語より言いたいことが伝わるところ、大好きになってしまいました。
 
私は、「私毒舌だから」って簡単に言う人が好きじゃない。
そういう人は、たいてい悪口や愚痴を、毒舌と言ってしまっている人で、ぜんぜん毒舌じゃない。

なんだろ、単なる悪口が、毒舌だからって言うと許されるようなあの感じ。
なにより「私、毒舌だから」ってことで、悪口を言うって行為を、
ほんの少しでもマイルドにしようとする狡猾さに似たものを、
どこかで自分も犯してるんだろうなーって気づかされるとこが、なにより怖くて、いや。
 
ほんとの毒舌は、生まれながらの知性と、やさしさがないとできないものだと思う。
あと正直さ?
多分真実に毒舌の人は、自分が毒舌かって意識してないんじゃないだろうか。
ある時、人の目を通して気づかされることなんじゃないだろうか。
 
佐野さんは、正真正銘毒舌の人。そしてあったかい。
でも近くにいたら、この人いやだなーと思うと思う、私。
だって毒舌なんですもの。
 
佐野さん、お外に持ち運び率ダントツ1位です。
どこにでも持っていくので、文庫の表紙は、擦り切れてぼろぼろ。いとしい。
昔のエッセイが、特に好き。
 
「私はつくづく、活字なんか食わなくても、体と頭がまるごと自然に成熟するということが十八でわかった。わかってあたりを見回すと、ほとんどの女の子はごく自然に大人の女になっているのだ。
その人たちは、私がボーヴォワールを持っていようが、林芙美子を持っていようが、ひるむことなくじっと私の目を見て、「あなた子供ね」と憐れむように私を見た。人間として、いや女としても、あの憐みの目は正しい感受性というものだ、と今も私は思う。私、人間あんま、本なんか読まないほうがいいと思う。」
 
「本を読んでインテリにならずに済むというのは非常に難しい。教養というものは、凡人にとってやっかいなもので、それは教養をつき抜ける知性を持った選ばれた人にだけ役立つものである。日本中が書斎で勉強をして、それぞれが哲学書なんぞを執筆したら、国中ガタガタになって天ぷらそばだって食べられなくなる。」
 
「それにありがたい事に、凡人がいくら本を読んでも、少しも利口になぞならない。中途半端なインテリになるだけで、中途半端なインテリはとても生意気で感じが悪くて、口ばっかで、実行力がいまいちなのよね。私はそーいうものになってしまっているわけで、嫌だなと思っても、趣味というものがない私は、やっぱり活字が好きなので、はっきり言って趣味が読書という人はなまけ者と思っていい。」
 
これ読んだとき、ひざを打ちました。
は、は、は!ほんとだよ、私なまけものだもん!
本を読まずにおれない。本って楽しいだけで頭よくならないけど、
でも知ることは増えるから、男の子が本読まないっていうと、ちょっとがっかりしたりして、
そしてそれを隠すことができないので、男の子もがっかりしちゃって、
いい事なんかないよなーと思いつつ、読まずにおれないの。
 
ううん、ほんとはいいことたくさんあるのわかってるんだけど、
「ね、私本読んだからこれを得たよ」ってものを提示できないんだよね。自分以外には。
 
ああ、なまけものなんだ。やっぱりなんにもならないんだ、本読み。
読書してるのわかると、えらいねえらいね言われてきたけど、
なんもえらくない、楽しいだけ・・・とうしろめたく思ってたの、間違ってなかったんだ。
しかたない、これからもなまけながら本読むしかないんだわ、ウクク。
と後ろめたくも、なんとなく何かを決意したような気持になって、すごくうれしかった。
 
でも、頭がいいなと思う本読みの人もちゃんといますね。
2種類の本読みがいるのかもね、しっかり身にするのと、体の中をただ流れていくだけのと。
 
判別のコツは、ノンフィクションとかで文章内に出てくる数字を、
大ざっぱでなくちゃんと読んで理解してるかどうかじゃないかと、個人的に思っています・・・。
「えっ、おめぃ数字は読んでねえのかよ?!」って思ったあなた、あなたは身になってる本読みですぞ。
 
チーモは朗読好きな読み聞かせババアなので、友達にも読み聞かせる。
家族があつまってるとこにおもむろに登場、突然朗読始めたりも。
もちろん嫌がられます。
しかし朗読マンはくじけない。好きなんだ朗読。
 
好きだった男の子に「百万回生きたねこ」を朗読したとき、
読み終えると彼は「そうか、幸せな愛の話なんや」と言っていた。
そうねぇ幸せな愛の話だったのねぇ。

園児には、そんなことわからなかった。
そんなことわからない園児がずっと覚えてたんだから、
さらさら飛び出すみたいな文章で、
それが普通みたいな顔して、
佐野洋子はやっぱりすごかったんだなー。

恥ずかしながらかんぺきちゃん

つい先日、二か月ほど前でしょうか(つい?先日?)、一緒にごはんしてた友人に、
「チモ子はある部分、完璧主義よ」と言われたです。

びっくりした。
ずっと友達だった人に、「愛してる」って言われたくらいのおどろきだと思います。
そしてチモ子は気づくのよ、私も彼とおんなじ気持ちだって・・・!っていうようなしっくり具合で、
つるっと、「完璧主義、そうかも・・・」と思った。

なんつうか霧の晴れるような心持がいたしました。
生まれる!あたくしがあたらしく生まれる音が聞こえるわ!すがすがしいわ。

そうか、私、完璧主義なとこあるんだ。
知っちゃった。なんかうれしいよ。
これから調節ができる。

自分の中をしめてるのはほぼいい加減な部分で、それを自覚してもいたので、
時々、自分に愛想つかして、頬に手を当てながら、
わたしっていいかげんねーぇ・・・と小首を傾げつつもそんな自分が好きで、
だからどっちかというと、ルーズを楽しめる方だと思っておりましたよ。

でもそれって、自分にとって重要ではないことだからだったんで、
自分にとって重要なことに対しては、なるほど完璧主義かもしれない、と、
思ったんだけど、ここまで書いて、

・・・あれ?それってみんなそうじゃない?それって別に普通じゃない?と我に返りましたよ。
まあでも、それだと話が終わっちゃうので。

今は違うけど昔は、恋人が1番でした。
恋人はベストフレンドを兼ねる人だったので、友達いらなかった。
ほんとにいらなかった。恋人さえいれば誰もいらなかった。今は違うけど。

しかも言いたいことあるなら何でも言えばいいじゃない?といういやな奴だったのです。
うーん、それでいいのは、気持ちがいいのは、気が済むのは、
本人だけなんですよ、ヤング・チモ子さん!

話し合いや腹を割るって絶対に大事。
心を開いて意見を交換し合う、思いやりを持って互いをすり合わせる。
だから信頼が深まるのだし。

でも私の場合は、そんなレベルでなく、話し合って、それでお互いにずれるなら、
その人は切る方向でいいじゃん!自分が相手に切られてもいいし!という
今にして思えば非常に未熟な・・・まあ、なんて子供。

相手のこと思ったら、言うのが難しいことだって、あるじゃんね。
「ただ素直に言えばいいんだから、簡単」ってことじゃない。
正直さと、思いやりは、セットだよ。

ある友達になんか、私、
「別にあなたがともだちじゃなくなってもいい」って言ったこともある。あなたはいらないって。サイテーだな。
そりゃ恋人以外いらないのかもしれんが、
自分にとってはすがすがしいほどに正直な気持ちかもしれんが、
言うなよ。アホか。

私が言ってたのは、エゴとエゴのぶつけ合いをしようというレベルの話でした。
思いやりがなかった。正直さと、エゴを誤解してらっしゃったのね。
それがわからなかったんだよ。

今付き合ってるお友達って、恋人以外はいらない、の私が切る気満々でも、
あっちがつなぎとめてくれたものだけです。なんなの?お母さん?

友達、よく縁きらなかったなー。みんな、大人だったんだね。
もちろん、とってもみりょくてきなチーモのことが好き・・・っていうのもありましょうが。しみじみ。
(誰かこいつをひっぱたきますか、わたし押さえとくから)

友達が、なんてありがたいのかって思うようになったのは恥ずかしながらここ数年です。
人間関係を、大事にしてこなかった、という反省があります、ものすごく。
その弊害でしょうか、自分の正直さに、すごく慎重になって、
人に言葉を伝えるのが下手になりましたよ・・・。

自分がいやなヤツだって、身に染みたのねー。
でも、今の自分の方が好きだからいいんだ。
0か100か、みたいな過去と今の状態から、半々くらいになれるよう、
これから頑張る。
ああもう、これだから、人生はたのし、いとし。

友達はもう、感謝する対象だから、なにしてもいいの。
いびつなようだけど、もうそれでいいの。私、友達に頭上がらない。
いやなことされたら怒るけど、そういうんじゃなくて自分がしてきたような下劣でひどいこと、
されても全然いい。

友達とは、あなたがそう思うならそうなんじゃない、私はそう思わないけどって、
遊びの部分をもって付き合っていける。
チーモちゃんと付き合うの、もういやって言われたら、私はあなたが好きだから付き合いたいって言う。
それでも、いやって言われたら、今までありがとうって、相手の幸せを念じながら言うと思う。
そこに、完璧主義者はいない。

でも、自分が執着する対象、これに対しての自分が、なんかまだまだだなって。
友達なんてどうでもいい、というのに対して、恋人に対しては、本当、完璧主義だった。
何に何を、求めていたんだろう、わたし。

完璧って、あるんすかね。自分が生まれたこと以外で。この世界があること以外で。
完璧って、作れるもんすかね。
ここにあるものが、すでに完璧なんだって、気づくこと以外に完璧ってあるんすかね・・・。
過去のチモ子に教えてあげたい。
でも、お前さんが愚かだったから、そこからちょっとは学んだチーモがいるわけで、
あー、なんか世界って完璧だよね。

うまくまとまらない。
でもいいんだ。かんぺきじゃなくていいんだ。
ちょっとつぶやきたかったの。
私にツイッターは無理だね、つぶやき、ながいよ!って今自分に突っ込んでるもん。

なるほどベビーリーフ・・・の回

若い柿の葉って、触るとやわらかい布みたい。
ホヤホヤと、こちょばゆい毛が生えてる。

あなたってかわいいのねぇ。食べちゃいたいわ。(天ぷらで)

じんたんはどこ?・・・の回

テレビに仁丹の会社社長が出ておりました。
仁丹ってほら、銀色のつぶつぶ。
最近、仁丹って見ないわね、と思っていたら、そこに父がやってきたので、

「お父さん、仁丹ってどこに行っちゃったのかね」と言いますと、
こちらが当惑するほどに困惑した顔をして、

「え、じんたん・・・?じんたんってだれ?」

とつぶやきました。
一瞬、この人何言ってんだと思いました。

あ、誰かの名前だと思ってるっぽい・・・!
脳内でなにかわいい変換しちゃってるんでしょう、このおじさん。
(たぶんね、猫だと思ってるよ、この人。
こっちが思ってる以上に、ひっそりと猫に入れあげてるみたいだからね。)

「お、おとうさん、嬢たんとか、チーモたんとかの、たんじゃなくて、
銀色の小さい玉の、仁丹です・・・」と説明しながらも、
わーたし、もうプキョプキョ笑ってしまいました。

恥ずかしかったのでしょうね、

「わっかんないよそんなこといきなり言われても!
お父さん、仁丹の会社社長が出てるけど、仁丹ってまだありますか?とか言ってくれよ。
おとうたーん、じんたんってぇ、どこにいったのうおぅ?(アホっぽい声色で)じゃなくてさ」

とキレてました。
たまにこういうヒットを放っちゃうんだ、私の父。目がはなせません。

録画の支度してたら

番組表に「7月はジブリがいっぱいフェア!」的なことが書いてあった。
なんざます!そんなに人を喜ばせて一体そちらの目的はなんざます!?ムフームフー!

プリンセスモノノーケ・・・の回

パソコーンについたテレビで、わたくしが初めて録画機能を活用いたしますのは、
本日9時からの、もののけ姫であることをご報告いたします。

また、このパソコーンでのテレビ試聴自体、
本日のもののけ姫が最初であることも重ねてご報告させていただきますことで、

私の、はやおに対する狂おしい愛情と暑苦しい情熱を、ご想像いただければ幸いです。

早く千と千尋もやらないかな~。
おっと、ろくがの練習しなくっちゃ!
すごいよね、何度も見られちゃうなんてさ。
どういう仕組みなんだかまったく想像もつきませんな、ホクホク。

ジョリーディ・・・の回

朝は、嬢と散歩。

庭の山椒に、今年もキアゲハのお母さんが託児していったので、毎朝点呼。しばし観察。
青虫が怖くて仕方なかったですが、いまはなんかこう、母性ですわね。

でもデジカメで撮ってみたら、想像以上にクリアにはっきり撮れちゃって、
心臓が「ヒッ!」って言ったから、私の愛情にはまだ伸びしろがありそうです。

暑くないかい?と心配するも、嬢は元気。
張り切って、風の匂いをかぎ、土を味わい、草に倒れこむ。

小一時間ほどで家に上がって、だいどこに立つ。
立っているのが精いっぱい、という表情であずきを煮る。
暑い。

汗をかいたので、着替えながら、
昔インドに行ったとき、汗を大量にかいている周りの人をみて、

「みんなすごい汗!私、汗もかいてないし、そんなに暑くないなー」とか余裕かましてたら、

「チーモちゃん!Tシャツで汗が塩の結晶になってるよ!」って連れに言われたことを思い出す。

わたしったら誰よりも汗かいちゃってるじゃんか、うふふ、と思い出し笑いをして、
日焼け対策&サングラスばっちりでベランダに出る。

文庫本持って、バッカンス気分。
ここはどこ、もしかしてハワイ?
やだ、ハワイに来ちゃった?アロハオエ?
ああ、空が青いわ。

アロハオエ気分満喫してたらお腹がすいたけど、ご飯粒は食べたくない気分なので、
チーモの大事なぬか床から、おきゅうりさまを取り出しました。
この気温で、菌たちもぴちぴちと元気がよいわ。ほ、ほ、ほ。
1人ボリボリ。きゅうりボリボリ。

この後は、温度の上昇を防ぐためにカーテンを閉め切った薄暗い部屋で、
怖いマンガを読むのだ、フハハハハ。

そして夕方涼しくなったら、スタバのテラスでお茶っこかましてくる。
うちの近所のスタバすごいの。テラス席で夕焼け見てるとね、
バカンスに来たみたいなんだよー。

空見てると、ああ、あっちの方はどんなだろう、と思う。
でもそうすると、途端に休めなくなるので言い聞かせる。

そういう時、自分の心(自分の内側)じゃなく、
自分の体の周りに膜があると想定して、
その膜(自分の外側)に言い聞かせると、私には効くみたい。

「ゆっくりやすみなさい だいじょうぶ」

そんな日。

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