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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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花壇を掘った

あれ?嬢ちゃん、流行りのブーティ?


ウフフ、顔がフクロウっぽくなってるよ
子供のころ、よくそんな顔してたよね

子供のころからずーっと、嬢ちゃんはかわいいの
この先もずーっとかわいいのね

ううん、見た目だけじゃなくてね、
嬢ちゃんの中身も魂も、ずーっとチーモのプリティちゃんなのね

ウフフ!永遠はここ、今この瞬間なのね

ハッピーアニバーサリー!(ハッピーアニバーサリー!)
嬢ちゃんよ、永遠なれー!(永遠なれー!)
 
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町に出ると

今日は仕事関係のセミナーがあったのでした。
朝まですっかり忘れてて、普通に出勤のしたくしてたら、
ザワザワと胸騒ぎがしたので、思い出したのでした。

あぶない!毛玉だらけの服着てくとこだったわぁ。
急いで、イソイソと毛玉が少なめの服に着替えることができました。
(毛玉のついてない服はないのかい)

ボレロを探してたのです、最近。
でも私の行く、町の洋品店にはないものですから、
セミナー帰りにこれ幸いと、デパートをのぞいたら、
すごいのね、ファーたくさん。

知ってたはずなんですが、あんなにたくさん売られてるの見ると、
あらたにショックな感じがするってのは、不思議なことです。
知ってることと、本当に理解してることは、違うんだなーと思った。

毛皮きる人も、きっとそうなんだよね。
知らないから着られるんだ、と信じてるのだ。

一体何を思って、暮らしただろう。
どんな性格で、何をするのが好きだったろう。
一生のなかで、一番嬉しかったことはなんだろう。

いまこそ、信じるのだ。
辛いときに、信じることができれば、
大抵のことは、乗り越えられる。

いつか、

「むかし、毛皮が売られてた時があったんだって。」
「ええ!それってほんとう?
どういう人が着てたの?
だれもなにも、いわなかったの?
いったいどうして?」

って、子供たちが、言う時が来るわ。

どんなにかわいく、きれいに売られてて、 
どんなに言葉で取り繕うことができても、

この社会で暮らす私たちにとって、
毛皮は、まったく無意味で残酷なことです。

そうは思いませんか。

毛皮デモ、毎日でもしたいと思った日でした。


平和のために戦ってはいけません。

平和のために立ち上がるのです。

平和を考え、

平和を行動し、

そして平和を広めましょう。

書いて、

声を出して、

アピールするのです。


オノ・ヨーコ


ちょっとまって
あなたのコートの残りを忘れてるわよ

sophie_ellis_bextor_fur_coat.jpg


















あわわ・・・ヨーコ!
ショックのせいか、平和とは違う感じのアピールするチーモをゆるして。
 

一緒に渋谷を練り歩かないか!?

「今までなんとなく使ってきたけど、毛皮って残酷なんだ・・・」と気づきつつある、
心ある者たちよ、フハハハハ!(おごそかさを演出)

無力さに打ちひしがれるなかれ、
わたし達にできること、色々あります。

毛皮牧場に忍び込んで、動物を逃がす、という手もありますが、
なかなかこれは難しい・・・。
逮捕される覚悟も、求められます。

アニマルライツ支持者が、みんな逮捕されちゃうのは困るので、
皆が皆、逮捕覚悟で活動することはないと思うんです。
いや、当たり前ですね。

逮捕されるようなことは、いけないと言われてるので、なるべくいけません。(なるべくってあんた)
でも、人の倫理観で変化する法律や、間違った法律も存在する以上、
私の心は支持してます。その覚悟を。
実刑食らえばしばらく活動ができないとか、
制裁は、自分で受けてるわけだし。

そういう人たちが明るみにしたことで、
動物の悪環境に対して、変化が促されたという面も、
矛盾するようだけど、あるわけです。

残酷に動物を取り扱った研究者を拉致して拷問しちゃう、とかではなくてね。支持してるのは。


毎日の生活の中で、わたし達にできることは、

毛皮を買わない。
回りに現実を教える。
毛皮を取り扱うメーカーに、消費者の希望を伝える。


もっと簡単なのがこちら、

デモに参加する。です。

今年も東京で毛皮デモがあります。
10月23日(日曜)
14時~

こちらに詳しく。
アニマルライツセンター 毛皮反対デモ行進2011


デモって参加したことあります?
デモって、敷居が高い気がしませんか。なんか、本気な感じが?
やる気のある人たちが、集まってるんだろうな・・・みたいな。

でも、あなたが、毛皮っていやだなって、
どうにかならないのかなって、ちょっとでも思う人なら、
あなたも私も、すでに本気の人なのですよ~!
もちろん、いい意味でですよ~!

毛皮を使ってるお友達に、毛皮の真実を知らせるよりずっと簡単です。
電車に乗り、集合して、出発。
毛皮はんたーい!って言いながら歩く。
それだけ!

ここに集まったたくさんのこの人たちは、
毛皮に反対してる人たちなのだと、ご自分の目で見てみませんか?

なんでそんなことを言うかというと、
すごく勇気がでるんです。

もっともっと数が増えて、いろんな人が知っていって、
必ず終わる、って信じられます。

道をゆく人へのアピールだけではないんです、
自分へまでも、元気をくれるものです。

1人でも多い方がいい。
あなたも、私も、その場にいられたら、うれしい。

あら、その日は空いてるわって方、
万障繰り合わせれば何とか行けそう?って方、

お散歩気分でも、ウォーキング気分でも、気軽にひとまずこの日は街へ出て、

一緒に声を上げましょうよー!

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美しさって
他の誰かの皮を着ることじゃないわ

BY キム・ベイシンガー


 

おっきりこみ

10月・・・すごく忙しいことが、うすうす判明してましてな・・・

今月は休みの日に、この世のあまねくすべての幸せが降り注ぐがごとくの
サンルームみたいな私の部屋で、
嬢と干したてふかふかの布団に転がって、いちゃいちゃしながら、
嬢の鼻をつまんだり、嬢に甘噛みされたり、抱き合ったり、

そういうこと、してる場合じゃないみたいね?って、判明しちゃって。

茫然自失です。
心が傷つきましたよ・・・。

だもんで、心の安定を図るべく、今日の休みはおっきりこみを作ろうかな。

平たいきしめんのような、ほうとうのような、
おいしい、もちもちのおっきりこみ。
こねたり、踏んだり、寝かせたり、伸ばしたりしてるうちに、
傷ついた心も癒えるかもしれない。

そんなことをしてる間に、しなきゃいけないことをすればいいのでは、と思いますか?
わかっています、私だって!

でも、子供の心を持ち続けたいのです。
夏休みの宿題は、いつもギリギリだったあの頃の心をね・・・


今日も晴天、布団干し。
放射能がちょっぴり町に来てるっていうんだよ、フー。

誰もいなくなった町で、今まで経済を、その命を、支えてもらってたのに、
置いてかれた動物が飢え死にして、
家族で友達だった動物も、待ちくたびれて飢え死にして、

町に、花に、動物に、今も放射能が降り注いでいて、
いまよりもっともっと、降り注いでも、
身を守るすべがない、人も動物もいるだろうってことに、
びっくりしてるし、悲しい気持ちがしてる私は、
(実際、今だって私、どうにもできてないもんね、町に降ってきてても)

それでも原子力を人間のために使おうとする人に、
しみじみと驚いてるわ。

そんでほんとはどっかでしんしんと怒ってるんだけど、
汝の敵を愛することが、汝にできるかって、
そう言われたら、
ああ、今がそのときなのかって思うから、静かに、
嬢とチーモが寝る、大事な布団を干します。

気になるなら干さなきゃいいじゃないって感じだけど、干すの。
人間にとって、大事なことなの、布団干しは。(でかく出たね)

日々の労働で、疲れた体を横たえる。
太陽にふかふかにされた、あったかーい布団。
明日も頑張ろうって思える。
お日さまありがとうって、思える。
自然ってすごい。
僕たち人間は、お日さまにはかなわないやーって、謙虚に思える。
横では猫が、寝ている。
わたし達、明日が来るって信じ切って、疑いもせず、
おやすみなさい、また明日って言う。

ね、大事でしょ。布団干しって。

原発ありがとう。
悪いのは原発じゃないのにね、悪ものにしてごめんね。
いままでほんとにありがとう。
はやくさよならできますように。

共に歩こう

「皮をはがされた犬の死体が公園に放置。
捜査の結果、皮を剥がされていた時点で犬には意識があったことが確認されている。
警察は、動物虐待とみて捜査している」


というニュース。ひどい・・・だれがこんなことを・・・。よくもそんなことが・・・。

大丈夫、これはチーモタイムスのねつ造記事です。

でも、いやな気分になったよね、ねつ造してごめんね。
やさしい人ですね、あなたは。え?ウソじゃないわよ、マジだわよー。

そんなこころやさしいお友達よ、マイフレンドよ、
今年のファッションのお買いものはどんなにしましょうか。
やっぱり買い物は女の楽しみよねー、キャッキャ。
ほんとはチーモ、ファッションより本買ってる時のがイキイキしてるけどー!

素敵に見えるファッション。
心ときめく小物達。
楽しい楽しいお買いもの。

でも、お願い。
どんなに小さくても、どうか毛皮のついた商品を買わないで。


記事はねつ造だけど、事実なんです。
あれは毛皮の作り方。

犬や猫の毛皮もね、作られてます。
てことは、売られてるということです。
日本でもたくさん輸入、されてるんです。

「ファッションを求めてるんじゃないわ、
毛皮の温かさや自然さが好きなの」っていう人も、
どうかどうか、ぜひ考えてみてほしい。

目の前に、リアルファーがあるから、買うんですよね。

毛皮が流行っていない時も、どうしても毛皮でなければって、
リアルファーのついてるものをわざわざ探されましたか?

たぶん、探してないと思うんです。
その時手に入る、気に入ったものをピックアップしてるんだと思うんです。
あなたは、毛皮が必要なわけではなく、
目の前にあるから手にとっているので、
売ってなかったら、それはそれで暮してたと思うんです。
毛皮のあったかさなしでも、凍死もせずに、ちゃんと越冬してきましたよね。

その程度のものだと思うんです。
その程度のために、殺されてしまう生き物がいて、
自分の選択で、その生き物を殺さないこともできるって考えると、
あったかさの意味とか、少し変わりませんか。

ほんの数年、もしかしてワンシーズン。
ちょっぴり気張って数万円。
みんながつけてる、ファーのシュシュは何百円。

リアルでもフェイクでも、
どちらでも自由に選べる私たちの、ほんの軽い選択に、
命がかかってる生き物がいるんです。

毛皮が自然かどうかって人は、
それはまぁ・・・自然と思うなら、今日のところはそれでいいと思うんだ、おら。
長くなりそうだから。夕飯まだ食べてないんだ。グー。

「毛皮は自然、でも戦争で子供が死んでいくことは自然でない」という意見であれば、
ちょっと話を詳しく聞いてみたいけど。
私たちの人間性において、戦争より簡単に防げる残酷さだぞ。
知恵を使えば、毛皮より「モア・あったかい」も可だぞ。

毛皮にされる動物たちのために、
血の出るような努力や、たくさんのお金、手ごわい敵との攻防も、
わたし達に求められてません。
ほんの少し意識するだけで、私たちはフェイクファーを選ぶことができます。

残酷さを言葉で取り繕うのはいったんストップして、
素直に、バカみたいに単純に、残酷さのない方を選択してみない?

毛皮反対デモについて書こうと思っていたんでした。
それはまた次回聞いてくらはい。

くにえ

 低い木の下に、イモムシのしたと思われるたくさんの大きなウンティが落ちてる。
相当でかいイモムシがいそうですよ・・・これは。

どんな子か見たくて、上を向いて探してたんです。

人って、真剣になると口が開くんですよね(私だけ?)
そして、口が開きつつも、集中するから心なしかすぼまるんですよ。
必死だから、目は細まって・・・

・・・あれ、あたし、顔が田中邦衛になってる?!  

私、自慢じゃないけど、ううんほんとは自慢なんだけど、
でも誰もうらやましくないかもしれないけど、
田中邦衛の物まねが上手なんだ。

「チーモちゃん、蛍!いつでも富良野に帰ってこいよって、言って言って!」って若い女の子に言われて、
「うーん、今日は気分が乗らないからなー」とか調子こいてる時もあるんですけど、

 誰にリクエストされてもないのに、素で顔が邦衛になるとは、
物まねが上手なんじゃなくて、私、ただ単に邦衛っぽいだけなのかな・・・
それとも、私が田中邦衛だったのかしら(錯乱)

じゃあもう、今年の冬はニットの帽子とかかぶろうかな・・・(北の国からみたいなやつ)
あ、もちろんウールじゃなくて、化繊のニットだけど(かろうじて正気)

秋のせいかしら、ちょっぴりメランコリック。

あなたは何を思う



30年ぶりに太陽を見たチンパンジーたち。

ご安心を!短くて、ショッキングなシーンはまったくナッシング。
ただただ、彼らの純粋な喜びが映っています。
外に出られると知って、抱擁する2頭のチンパンジー。

彼らがこんなに喜んでいると、伝わるのがつらいと言えるかもしれません。
世界には、ここにたどりつかなかった彼らが、
どれだけいるのだと、改めて思わされます。

怒りや悲しみは、取扱要注意だけれど、
使いようでとても強いエネルギー。
だから、大切にしてるんです。
怒りも、悲しみも。

でもいまは、彼らの喜びを、ただともに感じたい。




実はこのチンパンジーたちはエイズワクチンを作る実験のために、
子どもの頃アフリカのジャングルから連れてこられたチンパンジーで、
いわば30年間人間のために生きてきたのです。
そして残酷なことに、彼らの母親は人間の手によって殺されたらしく、
もはや帰る場所も彼らにはありません。

実験のなかではエイズウイルスを体内に打たれ、
その多くが発狂もしくはそれ以上の苦しみに打ちひしがれました。
そしてついに、環境保護者マイケル・アウフハウザーさんの多大な努力などによりその閉ざされた檻での生活に終止符が打たれ、
今週の9月6日生き残っている38頭のチンパンジーが、
オーストリアの保護区域に放たれることとなったのです。

苦しい実験の日々から解放されたチンパンジーたちは、
今まで檻を通してでしか見れなかった仲間たちと触れ合えるようになり、
久しぶりの愛をその肌で感じました。
そしてついに、外の光を目にするその瞬間が来たのです。

その時の様子を捉えた動画には、外に出るドアのところで恐る恐る周りを見渡すチンパンジーたちが映し出されており、
彼らにとって外の世界がもはや「非日常」になっていることが見て取れます。
そして自分たちがついに自由の身となり、自然に帰れることに気付いたのか、
2頭のチンパンジーが喜びの抱擁をする様子がしっかりと映っています。
今回チンパンジーたちに自由を取り戻したアウフハウザーさんは、
あるチンパンジーが外に出た時の様子について次のように語っています。

「うっとりしながら、ちょうちょを見つめている1頭のチンパンジーがいました。
きっと彼は子どもの頃、ジャングルで見たことがあったのでしょう。
これから彼は、またその蝶の姿を見られるようになったのです」

そして動画を見た海外ユーザーからは
「ビデオを見ている間、かなり泣きました。動物を使った実験は残酷で、やめるべきです」、「これは本当の話ですか? ガンジーが言ったこの言葉を忘れないで下さい:『国家の偉大さとモラルの高さはその国の動物に対する扱い方で判断できる』」など様々な声が上がっており、このビデオは人々に感動だけでなく、
人間と動物のあり方などたくさんのメッセージも届けているようです。


ポーチさんより転載
http://youpouch.com/2011/09/09/110030/



空、光、風、そしてちょうちょに。

わたしたちのいとしい仲間に、HUG,HUG,HUG.
世界中に、HUG。

法律を変えるのはなんだ

パブリックコメント、業者の票もかなりありそうですかね。
おのれ、おのれ、もうゆるさんぞ、と思うのですよ。一瞬ね!ほんの一瞬よ!
でも考えたら、当然ですかね。
改正反対の意見を送れって、業界が活気づくのは。(おのれ!)

改正されて自分たちがそのまんま変わる気ないんなら
(動物売ってなりわってく気なら、それは不可能だし)
おまんまの食い上げって言うんですか、そういう人もいるんだものね。
 
5年前、一般からの200も少ないけど、業界側だって9500だよ?
それが、今回はすごく増えてるようなのです。
ものすごく、必死だったんですね。業界側も。
 
しかし・・・これは、いい流れです。来てます、来てますぞ。
5年前と、必死さが違う。
そこに注がれる視線が、熱量が、全然違う。
 
業界の組織票も増えたかもしらんが、一般の意見だって、増えたはず。
次はもっと、増えるはず。

もちろん、動物好きさんにも、好きの種類はいろいろだから、
「赤ちゃんのがかわいいから、8週以内のほしい」っていう人だっているわけだけれども、

でも、正直そんな、なんにも考えてないような人が(おっと失礼!)、
反対のために積極的にアクションを起こすとはあまり考えられないし、

そうすると、いつかは業界側に、限界が来る。
その時、また少し、世界は変わるのだ。
始まったうねりは止まない。
 
今回初めて知った、という人の中には、ここから枝分かれし、
畜産にも目を向ける人がいるかもしれない。
 
ペットと畜産って、別物のような感じがしますが
(私はしてました。変だなと思いながらも)、
いや、同じことだ。むしろもっと、残酷なことだ、と、
気づく人もいるかもしれない。
 
奥さん、人は、知ったことは忘れないんですってよ。
銭婆(千と千尋の神隠し)も言ってますよ、大好きなセリフなんですけど、
「1度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」って。
 
今回改正されなかったら、無力感を感じて、関心が薄れる人もいるかもしれない。
でも、知ったことは忘れないとしたら、ある日思い出して、
ああ、なかったことにはできない、と、
いつかこの問題に、戻ってくるかもしれない。
 
ジェフリー・M・マッソンさんも言ってます。
 

私たち自身のために、家畜化によって隷従を強いられてきた動物のために、
未来の世代のために、今こそ考えを改め、行動を見つめなおすべきだ。
人間であれ、動物であれ、隣人が筆舌に尽くしがたい苦しみの中で生きていると知った以上、彼らの苦痛が少しでも和らぐように全力を尽くさない限り、
あなたに安らかな眠りは訪れない。
安らぎに包まれたその眠りは、何物にも代えられない価値観を持っている。
苦しみから目をそらせば、その代償は破壊的なものになる。
あなたは公平で、思いやりにあふれ、分別を持った人のはずだ。
そして、それに勝るものはないのだから。

 

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豚は月夜に歌うからの抜粋です。
これは、家畜の感情世界に関する本ですが、
彼が訴えたい点に関して、
ペットと畜産動物に、垣根はないはず。
 








パブコメは投票ではないので、同じ内容をコピーした大量のコメントって
パブリックコメントの趣旨からはずれるけれど、
業者さんと国民、それぞれのコメントの質が違うってことは、審査に影響するんでは?と思ってます。
審査するのも、人だから。
国民のコメントの方が本質に近いですよね。
うーん、甘いかしら。

でもさ、黒人奴隷が解放されたのも、憤った人がいたからでしょ。
こげんたちゃんのことも、みんなが怒って訴えて。
(充分な量刑とまったく思わないけど、
今までより重い罪が課されて、前進ではあった。
何があろうと、よしとしたくはないけれど。)
 
世界がよりよく変わるとき、
その流れの1番の最初に動いたのはどこかと遡ったら、
それは人の気持ちに決まってると、おら思ってんだ。



 

グーグー

大島弓子さんと猫との生活がつづられたマンガ、グーグーだって猫である。
 
初めて読んだのは、1、2巻がブックオフで売られていて、
それをぱらっと立ち読みしたのでした。
一冊600円だったんだよ。買おうかどうしようかと思って。
 
すると、前の猫のサバを火葬したときの回想で、
「サバはケンカでその永久歯のキバを半分に折ってしまったが
火葬場でその歯が灰といっしょにそのまま出てきたので
これはサバなのだとしみじみ思った」
 
という文が目に入って、買うことにしたんでした。
その頃、BBが死んだんだよね、たしか。
だから、買うことにしたのだ。
 
応援したいとか、その人自体が好きとか、
そういう人の本は、定価で買うという私の本のルール。
ブックオフも好きだけど、うーん、
やっぱり何でもかんでも安ければいいというのは、いやだな。
作家さんがご飯食べられないと、私も困るんだ、すごく。
それまでも定価グループではあったけど、特に意識はしてなかった大島さん。
グーグー以後、定価グループ確定です。
 
最終巻の6巻では、グーグーが死んだのです。
そうか、そりゃそうか、と思いつつ、しんみり。 
心の付箋がたくさんついてます、このマンガ。
 
サバ亡き後やってきたグーグー。
 
「二度目の猫はトクである 死んだ猫の分まで大切にされる
ということは サバがグーグーを守っているのだ」

 
と、1巻に書いてあるんです。
これわからなかった。意味が。実感を伴わなかった。嬢が来るまでは。
 
死んだ後に初めて、ご飯のこと、暮らしのこと、
もっとこうしてやればよかったって出てくることってあって、
それって絶対、次の子にはちゃんとそうするんですよね。
 
BBにしてやれなかったことを、罪滅ぼしや身代わりというと、
BBにも嬢にも失礼だし、そういうつもりや感覚ではなく、
自然とそうなるんですよね。
BBに対して無知だったことを、嬢にはするまいと。
連綿と、小さなことを重ねてつながって、私たちは生きているんだなーと思います。
 
あとは、がんの手術をなさった大島さんが、
病院内の桜の花がくるくると回転しながら降り注ぐ庭を
「なんやこれ てんごくやんか そや てんごくやてんごく」と
なぜかかあいらしい大阪弁で喜びながら独り占めで散策してると、
小さな碑を見つけるのです。
それは、実験動物の慰霊碑でした。
 
「一生針が刺さったまま死んだやつもいるだろう
一生苦しい思いをして 死んだやつもいるだろう」
 
「てんごくなんか
なかった
ぢごくだねぢごく
ぢごくだったね」

 
と碑を抱きしめる絵も印象深い。
 
その後少し回復された大島さんの、
 
「いっきに超人ハルクになったような気分になったわたしは
まっしぐらに実験動物舎に走って行き
彼らのケージを壊し 針やチューブを抜き
抱きしめて解放する想像をしてた」
 

にいたっては、ね、あなた。
そうだよな、もし自分がそれをできるとしたら、絶対に抱きしめる。
抱きしめて、ごめんねと、ありがとうをその耳に吹き込んで、
そうして解放する。
 
「抱きしめて」にわたし、癒されたのです。
人の気持ちの機微をちゃんと覚えているし、それを的確に表せる人。大島さん。
 
大島さんちは、猫が次々やってきて大所帯。
どの新入りにも、やさしかったグーグー。
グーグーは、穏やかに亡くなっていきました。
大島さんを見つめ、肉球で大島さんの指を握り返し、そうして亡くなったそうです。
 
 
あんまりに普通に、幸せに亡くなっていって、
私はお風呂で読んでて、やっぱり泣きました。
 
普通。普通。穏やかに、普通。
 
たくさん愛されて、たくさん愛して、
幸せに生きて、幸せに死んで、よかったね、グーグー。
やさしいグーグー。

私のブログに足りないもの

それは、
見てくださる人への、先走る気持ちとはうらはらの、具体的な心づくしの欠如。
わかりやすさ。的な。

ブログを続けるに当たり、考えるべきこと
・「遊んで」と泣いてすがる猫をだましだましのブログ更新・・・
と見せかけてのソリティア三昧に対する罪


×××××××××××××××


猫をほおってのソリティア三昧は極刑に処すとして。

自分のブログのわかりづらさ、
「え、今ごろ気づいたのかよ」って感じです。

そうなの、わたしっておくてなの。
ウブでおぼこで困っちゃう。

いや、いいんだ。
わかりやすくやさしい、人の目をそっと開く、
すてきなアニマルライツブログは、ちゃんと世界に用意されてるから、
こういう、

できない子が、できないなりに、一生懸命何かやってるな・・・

というブログも必要だと思うんだ。

このブログを見たアニマルライターが抱く、
えー、こう書いた方がいいのに、自分だったらこう書くのに、という感想を、
ご自身のブログに反映していただく。
そういう反面教師的な役立ち方も視野に入れつつの、
このわかりにくさなのです。(うそついちゃ、やぁよやぁよ)

千里の道も一歩から。
嬢ちゃんだって体重200グラムからの成長。

毛も生えてなくて、鼻たらしで、目も腫れて。
よろよろだった嬢がねぇ・・・。
まあまあ、大きくなって・・・。
チーモ感激。泣いちゃう。

・・・え、何の話でしたっけ。
餃子?確か餃子の話でしたっけ?

今ね、餃子の皮を伸ばす用に、大理石の板がほしいんです。
あれがあれば、も少し何とか、楽ちんになる気がする。

そうなの、今日も作ってるの、餃子。
みんなに夕飯リクエスト聞いたら、厚揚げのエビチリ風って言われたので。
でも、私は餃子がよかったから。
なぜ聞いたのだ。

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