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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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猫は冬小麦粉

小麦粉300グラムほどを振るい器で、
空気を含ませるために、高いところから振るってください。
それを3回、繰り返してください。

振るい終わりましたか?
目の前にはこんもりとした小麦粉の山ができてるでしょうか?

その小山に、そっと手をうずめてください。

その感触が、ここ数日、寒さのために毛が膨らんでいる、
うちの王位継承権第一位のお姫様こと、ねこの嬢のさわり心地です。

たまりませんでしょ。

嬢、湯たんぽにぎゅーっとしがみついております。
ほんとに、手でしがみついてます。
そんな嬢を見て、鼻の下伸ばしてる変なおじさんがいました。(父)
なんだあいつ。(チーモの父)。
どこのどいつだ。(チーモさんの偉大なお父様)

今、一生懸命ブログ書いてたんだー。
サンクチュアリーのこと。
これ、これみんなに読んでほしー!とワックワクで長々と書いてたら、
一体何がどうして、つるっと、
間違って消しちゃって。ああー。
泣くもんかー、こんなことで泣くもんかー。


・・・・・・。
人生で、1番最初にショックを受けた記憶って覚えてる?
私は、3歳か4歳で、1人でいるときに初めて画びょうを踏んだこと・・・かな。

安全と信じてる自分の家で、疑いもせず踏み出した次の一歩で、
ミニチーモの足の裏に、容赦なく刺さった画びょうの衝撃は、
世界を信じ切った子供に、「こういうことも、この世界では起こり得るのか!」と、
インパクトを与えるに十分な出来事でした。

と、そんなことを思い出すほど、
ブログ消失事件はショックな出来事だったんだね。

もう寝る・・・。

みなさまおやちゅみなさい。
みなさんが怖い夢を見ませんように。
でも見ても大丈夫、それ夢だからね。ただの夢だから。
だいじょぶだいじょぶよ。おやすみなさい。

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嬢ちゃんはバイリンガル


ねこって猫同士では、あんまり鳴き合わないって本当でしょうか。

ねこが人に声をかけるのは、
「猫同士とは違う、人に対するコミュニケーションをしてるからなんだって」と
聞いたことがあります。

母子は別だよね。
もう・・・母さん求めてピャーピャーピャーピャー鳴いてますよ、子らは。
(かわいくてキュンキュン・キューン)

 
嬢はね、とにかくおしゃべりちゃんです。ふふ。
 
ペラペラペラペラ、ようしゃべります。
ふんふん、そうかそうなの、おじょうちゃんはそうなのか、って聞いてます。
幸せって、こんな形をしているのね。
 
それはさておきまして、
嬢、今朝、

「マーム!」

と言いながら、抱きついてきたのよ。
チーモの目がテン度数、100パーセント。
あの、あのかわいいあんにゃろう!

まーむってあなた・・・いつの間に英語を。
和系かと思っていたけど、そうかぁ、嬢ちゃんはそっち系か~。(どっち系だ)

被災家畜は

緊急時避難準備区域の家畜たち
ねこまるさんの記事でございます。

こちらを読みまして、
それが必要な時もあると思うけど、目をそらすって、すごく簡単なことだよな、と。
そして、目をそらしたまま逃げ続けるのって、しんどいことだよなーと、
人生にも投影してみたりして。



言葉は、使うためにあるのだと思います。

ほんとうの気持ちを伝えるために、
真実を伝えるために、
勇気を贈り合うために、
愛を伝え合うために、
物事を、人生を、よりよくするためにこそ、使うものです。

言葉には、多くの人の勇気を奮い起こし、歴史を変えてきた面と、
真実から離れ、あいまいにしてしまい、
事実が事実として、ストレートに伝わらない側面が、確かにあるようです。

事実であるのは言葉ではなく、1番に見つめるべきは、その事柄そのものではないかしら。

言葉を使うことで、故意にではなくても、
事実から少し、遠くなっているかもしれません。
自分の目が、事実をとらえられているか、たまに確認してみませんか。

いわく、弱肉強食。
いわく、感謝して。
いわく、安楽死。


言葉は、使うためにある。
言葉に、操られてはいけない。
と、思うのです。
あたいも気を付けます。はい。

以下転載

「安楽とは思えません。
ロープで手足を縛り付けられ、洗剤が体内を巡り、目・口から、穴という穴から・・・・・。
苦しさに舌を大きく出し、口からも目からも、洗剤の泡を噴いた状態で亡くなっています。
内蔵が泡とともにおしりから出ています。

睡眠導入剤や麻酔が使用されているようには考えられません。
手足をロープで縛られ、完全に動き
を封じられてから、…。

安楽死とは、どうしても思えないのです。

農家さんへの説明は「安楽死」でした。

書面にもありますが、今回行政の言う「安楽死」が、
手順からきちんとした安楽死であることを説明できず、透明性が非常に低い状態の今、

現場で何が起きているか所有者の方すらわからない今、

農家さんや国際的な世論に与える不信感を払拭し、
人道的責任を問われるような殺処分方法を改善するために、

安楽死の一時中止を強く求めます。」

福島原発20キロ圏内の被災家畜を助ける会よりここまで転載
http://helpcow.net/site/satsusyobun

(殺処分された家畜たちの画像は、リンク先にあります。)
 



家畜の殺処分には、洗剤を注射するのだそうです。
口蹄疫のときもそうでした。

安楽かどうかは、写真を見れば、すぐにわかるではないでしょうか。
食用に殺処分される方が、いっそ苦しみは少なかったでしょう。

一体何ができるのかと、もうほんとにしびれてしまいますが、
泣くのは、自分が死んだあとでもできるわ。
そしてそのころには、なんも泣くことないって、思ってる、
それより、踏ん張れって思うと思う。

できることは、微々たるものです。

関係ないけど、バリバリと活動されてる方が、
「私とあなたで、違うのは覚悟だけです」って、
「あなたがしない覚悟を、私はしてるだけです」って、
そうおっしゃってて、ほんとだなーと思いました。
そうなんだよね。

たとえ、バリバリする覚悟が持てないとしても、
微々たるとしても、

それでも、
しないよりはまし。しなかったら、ゼロです。
ゼロは、何にもないのです。

生きてもないし、死んでもない。
そいつがゼロです。
なんてこった。空しいより、空しい気がする。

なので、偉そうにふんぞり返ることもありませんけれども、
小さな力だって、力なんだよ。

生きてさえいれば、たとえ1ですらなく、0.0001位だとしても、
それは生なのです。そうでしょ。

この地球で、私もあなたも、生きてても死んでても、正直何も変わらないですよね。
わあ、なんだか開き直りみたいになってるけど。

実際問題、経済にわかりやすく影響が波及するわけでなし。
目に見える変化なんて、なにも。

じゃ、ジョブスさんくらいだったら・・・とかそういうことじゃなくってー。
ジョブスさんだって、地球がいつか消滅すること考えたら、
いま、チーモの目の前にある嬢の毛くらいのもんですよ。ふけば飛ぶよな、ですよ。

(ちなみにチーモは、ジョブス嫌いじゃないです。
大学の卒業式で、彼がゲストとして贈ったスピーチをプリントアウトしたの持ち歩いてて、
年に数回取り出して読む程度ですけどネ!)
(おやおや、それって相当チーモはジョブスにアッチッチなんじゃないの。)

この意味のなさったら、わたし達は、0.0001です。あら、人類ひとくくりに断言ごめんなさい、
とりあえずチーモは0.0001ですよ。でも、ゼロじゃないんです。

生きてても死んでても、別に地球は変わらないから、
手を抜いて生きるかって、そんなことない。
間違ったり、うれしかったり、
他人を自分を愛して、まじめに一生懸命、
みんな、毎日生きてるでしょ。

それぞれに独立してる私たちの、
誰かが言った一言が、誰かに届いて、新たな変化を促すこともあって、
そこからまた、水紋を描くように、誰かに届いて。

自分の体の細胞分裂に日々気づかずに暮らしてるけれど、
確かに細胞は営み続けてるから、私たちは生きているので、
見えようと見えまいと、そこには確かに、エネルギーが動いているわけですよね。

まるで、わたしたちそのものです。

私が死んでも、あなたが死んでも、生きた以上、
細胞は分裂を続けたのだし、
水紋は誰かに届き続けるわけですよ。

意味がないなんて、誰が言いましたか、誰にも言わせませんよ!キッ!(自分で言ったんでしょ)

0.0001を精いっぱい生きるのです。
意味は、自分が決めましょう。
心を込めましょう、0.0001に思えることにだって。
私は、生きます。
あなたも、生きましょう、「微々たる」を精いっぱい。

家畜をお助け隊さんのブログに、署名などあります。
ぜひ。

かまきりとたわむれる

カマキリちゃん、スター性ばっちりのカメラ目線カマキリちゃん、ファンサービスも旺盛


アニマルコミュニケーションって、ご存知ですか。
見たことございますかしら、テレビで動物と話せるっていう人。
あれですあれです、話すのです、動物と、テレパシーを使って。

テレビ出てる人は、相当高い精度を持ったコミュニケーターさんですが、
誰でもできるんですよ。ほんとに。
あらー、こう言うと、「キミ!重度のファンシー病で、強制入院!」って感じでしょうか。うふふ。

でも、虫の知らせや、勘とか、視線に気づくとかも一緒で、
現代社会では必要ないから、その能力が退化して行ったけれど、
人間にはもともと備わってるんだそうですよ。

アボリジニは、テレパシーが使えるそうですが、
それはやっぱり、必要だからなんですって。
アボリジニ、帰るコールをテレパシーでするんですって。

チーモは、ACに関する本を読んだりクラスに参加したりしてみました。
面白かったですよ。

虫にも話は伝わります。
ハエやカメムシとか部屋にいて困るって時は、話しかけて指に止まってもらって、
外に連れてったりします。

このカマキリはノリノリでした。
ダッシュで走ってきた。

あっち向いてこっち向いてのカメラ撮影に、
きちんと視線をくれるにとどまらず、モリモリとチーモに乗りたがる。
かわいい。
嬢がジェラって大変でしたわ、ほほほ、モテちゃってモテちゃって!

チーモってやばい人って思われたあなた、
大丈夫、チーモは大丈夫ですぞ。
あなた、やさしいひとだ。
え、別に心配してない?チェ、してくれよ!愛してよ、あの時のように!

チーモは大丈夫、服着て出かけるし、1人で買い物もして、
お釣りもちゃんと確認します。
歯の裏もていねいにみがくし、星空を眺める時はロマンチックな表情です。

たまーにシャツを裏表に着てて、脱ぐときに気づいて、
「やだ、1日裏だったよ~」って言いながら見れば、
キャミソールも裏だった程度のやばさです。
かわいいもんですよ、ハッハッハ。

チモ子の半日クッキング♪

♪テレッテッテッテッテッテ
♪テレッテッテッテッテッテ
♪テレッテッテッテッテッテッテッテッテッテ・テンッテン(チューピー3分クッキング)


ティンクさんがリクエストしてくださった、
餃子の作り方をお知らせさせていただきます!リキリキ!

そうはいっても、このチーモ、人にわかりやすく伝える能力に自信がありません。
ミリリットルとか、ミリグラムとか、よくわかりません。

いつもザッパに作っているので、
お知らせするに当たり、なるべく具体的な数字を上げつつも、
やはり曖昧なとこをお許しください。

餃子(120個分)

皮の材料:

強力粉(薄力粉でも作れます) 300グラム
塩 ひとつまみ
熱湯 160CC
オリーブオイル 大さじ1


上記の分量が最小値です。大体40枚できます。
我が家は、これの3倍で作ります。
そうすると、下に載せた具の分量と、とんとんくらいになります。
ぜひ、各ご家庭で調整してみてください。
(1日で食べるわけではなく!うちはみな働いているので、一気に作ってチョビチョビ食べます。
・・・うん、でもチーモ、すごい大食いなんだ・・・すいません)

皮の作り方

1.ボールに入れた小麦粉に塩を入れ、菜箸でかき混ぜる

2.熱湯を回しいれ、菜箸でかき混ぜる

3、手でこねられそうな温度になったら、オリーブオイルを入れて、  手で5分ほどゴネゴネ。

4.4分の1ずつラップで包み、座布団に挟むなどして、30分ほど寝かす。
  この時、子守唄はうたわなくても大丈夫ですが、うたってもいいと思います。

5.片栗粉で打ち粉をしながら、40等分にして、成形。
  平らなところで、麺棒を使い、伸ばしていきます。

形がいびつでも大丈夫です、チーモの作る皮は、丸いのがありません。
みんな変な形です。


具の材料:

木綿豆腐 5丁

玉ねぎ 中2~3個
キャベツ 8分の1~6分の1
シイタケ 5~10個
しめじ 1~2房
ニラ 1束
ネギ 1本
ショウガ・にんにく 親指の第一関節くらい(なんか怖いたとえでごめんなさい・・・)
小麦粉 かるーく一掴み
しょう油 適量
みりん 適量 
酒 適量
塩コショウ 適量
オリーブオイルまたはごま油 50ミリリットルくらい


適量・・・うーん、中華鍋の上でさっと回しかける感じなのです。



下ごしらえ

木綿豆腐の水切り


うちは、1丁ずつさらしで固く包み、まな板2枚ではさみ、
水を8リットルの水を乗せてます。
4時間くらい放置。ぺったんこになります。

他には、冷凍庫で凍らせ、その後解凍。
木綿さらしで包み固く絞るという方法もあります。

具の作り方

1.材料は細かいみじん切り ショウガ・にんにくはすりおろす

2.中華鍋に油をひき、玉ねぎを炒める

3.玉ねぎが茶色になったら、キャベツ投入

4.全体にかさが半分以下に減ってしんなりしたら、きのこ類投入

5.完全に火が通るまで炒めたら、火を止めて調味料を入れる

6.ショウガ、ネギ、ニラ、オリーブオイルorごま油 投入

7.小麦粉1にぎりを中華鍋全体に散らし、
  水切りした豆腐を手で細かくつぶしながら、よく混ぜる

 具の完成!

コツは、豆腐をとにかく本気で水切りすること。
ショウガ・にんにくは入れすぎないこと。
昆布出汁の素や、ベジ中華の素的なものを、混ぜる前に
振り掛けてもいいと思います。サラサラー。

我が家の場合、皮の枚数によって変動する具の中身は、玉ねぎキャベツきのこ類で、
ネギとニラ、にんにくショウガは、具の分量が少なめでも変動せず使っています。
にんにくは、無くても平気です。
ベジ餃子には、強すぎるみたい。



これを包みまして焼くのでございます。

ほんとは鉄のがいいんですが、結構難しいので、
餃子焼き、うちはテフロンのフライパンを使っています。

火にかける前に軽ーく油をひき、餃子を並べ、中火で焼き色を軽ーくつける。

熱湯を餃子の半分くらいまで注ぎ、すぐふたをして蒸し焼き。火は強めで。

水分が無くなったら、ごま油を餃子の間のフライパンを埋めてくように
ちょびっとずつ入れていき、全体に回す。

中火で、しっかりと焼く。

フライパン返しでちょっと剥がして焼き色を見て、
きつめ色にあがってたら、お皿に取る。

完成!

CIMG0342.JPG途中で包み飽きて、適当に包まれた子たち(前方の栗型)






CIMG0340.JPG





 







ずっと前に撮った写真で、ところどころに付着してる、茶色い薄皮が気になりますが、
でもピカピカしててかわいい。
皮がもちもちなんです、ゴクリ。

酢醤油とちょっぴりのラー油でいただくのが、ゴクリ、好きです。
さあ、出来たてを早く!ハフハフ!

お口に入れる前、お肉の餃子を想像すると、
出来上がったこれは、うーん餃子じゃないなーって感じがあるかもしれません。
ベジベジ星で教わった、ベジベジ一族に伝わる郷土料理を一度作ってみる、
みたいな気持ちで作ってみると、新しい感じがあるかも・・・。

ティンクさん、いかがでしょうか?
ぜひぜひ一度お試しください!

 

気持ちを伝えましょ

ねこまるさんのところで知りました。
三重県みどり町の自治会が、
猫を捕獲して保健所に持ち込む、という旨の回覧をまわしていたということなのですね。
ネット上で、中止の要請を呼びかけられていました。

虐待法にはあたらない、敷地内に毒餌を撒くのも効果的、
猫は容赦なく駆除するに限るなどの文面が。

三重県亀山市みどり町の猫は、保護団体が引き取ることになったのですが、
(上記のリンク先のねこまるさんの記事でくわしくお知らせしてくださっています)

これ、ほんとに回覧で回ったなら、書いた人は色んな認識がだいぶアレだなーと思っていたのですが、
今朝管轄の鈴鹿保健所に電話で確認したところ、
私がお話した方は最初警戒する風情でしたが、(理不尽な罵倒などもされてるのでしょうか)
丁寧に熱心にお話してくださいました。
やはりねこまるさんのところでお知らせしてくださっている通りでした。

まず野良猫がいるのは事実なこと。
捕獲の予定を知らせる回覧が回ったのも事実。
しかし、毒餌云々に関しては、そういう意見もあるという例として、
二度目の回覧として、回したとのこと。


自治会の意見ではない、ということなんだと思いますが、しかし軽率です。
誤解でした、で済まないですよ、実行する人が現れなかったとも限りません。

鈴鹿保健所としては、これらを知ったのは二度の回覧が回された後であったこと。
事実確認後、自治会に静粛を求めたこと。
どうもこの文面は、猫を虐待しようという趣旨の集まり(?)が言っている内容と非常に似ていることから、そういった団体(?)から流れたものではないか。ということでした。


そして、職員さんは、
「こうなる前に自分たちにできることもあったと思います」とポツリとおっしゃいました。

私は、

殺処分以外の道を拓かれた、熊本の保健所のことはご存じだと思います。
あれは殺してもらって、それでおしまい。というわからない人に、
こんこんとお話をされた職員さんなどの大変な努力によるところが大きいと思うんです。

今回、こうした形で保護団体に引き取られることになりましたが、
こうして明るみに出なければ、毒餌云々というのはなかったとしても、
捕獲されるのは事実である以上、結局保健所で殺処分という形を迎えることになってたわけですよね。

本当に大変なことだとは思いますが、そういった形でない道を、
どうか作っていただけるよう、頑張ってくださいお願いします、と伝えました。


どんな形であろうと、
迷惑な生き物がいなくなればそれでいいのだ、と思うなら、
それを許すなら、

いうまでもなく、私たちは、駆除を企画した人の言うところの
「獣」にすら遠く及びません。

人が人であるのは、その叡智によってではないでしょうか。

こういったときは、お電話しましょう。お手紙ファックス、したためましょう。
声をあげましょう。

自分は社会の認識の一端であるという、認識を持ち、
あなたがお感じになったこと、それを伝えましょう。

「自分よくわかんないすけど、ひどくないですかね」、とかでもいいんです。
正直、じゃあどのように具体的に形作っていくのか、って意見は専門家に丸投げでもいいんです。

できないんだったら言うなっていうのは、
専門的な知識や実行力がなかったら、意見できないことになってしまいます。

国民みんながみんな、政治家でなくてもいいんです、
実行力じゃなくて、意見を提供する人だって必要ですもの。

私たちが人間であるように、相手も人間なので、なるべくこちらの気持ちがそのまま伝わるように、
話し合いの土台を自ら壊すことないよう、
心を配りながら、訴えましょう。

迷子も旅路の一つ

私、方向音痴の人にも驚かれるほどの方向音痴なので、
知らないところに車で行くときは、
昼間のうちに、必ず誰かを助手席に乗せて行くんです。

車のナビを使ったうえで、助手席にもナビしてもらい、
私の心のメンテナンスや応援などを担当してもらい、
そうしてやっと、独り立ちができるのです。

そんな私が、今日の夜、通りなれた大きな道沿いにあるショッピングモールにふと、寄ってみました。
みなさんにはきっと、なんでもないことでしょう。おうらやましい。
わたしは、魔が差したとしか・・・。

確かに道沿いなんだ、通いなれた道なんだ。

しかしモール内の駐車場をクルクル回らされたら、もういけません。
方向音痴に回転はご法度なのに。

ペイッと道路に出されたら、もうそこは一体どこなのか。
ちょっとした軽い外国。私、異邦人。

ところでナビのついてない車で、どこへでも行く人いますよね。かっこいい。
助手席から見てて、
(はっはーん、道路の上に出てる、
右は○○、左は××って青色の標識を見てるんだな)ってこと、
うすうす気づいていたのです。
これさえ見てたら、どこへでも行けるんだなって。
もしかしたら、世界中の人が知ってることかもしれないけど。

それをやってみたい、いえ、やってみなくてはいけないのでは?
いつまでも方向音痴でいいの?という
使命感にも似たものがこみ上げるのを、止められなかったチーモの秋。

ナビらず、ドキドキしながら発進。

途中まではよかった。
チーモが住まう町の、隣となり町の行き先(ここまで来られればわかる)へは、
まっすぐお進みと、青色看板は教えてくれたので、
ほっとして、まっすぐ走らせてました。

でもずっとずっとずーっと走って、すごく不安になってたら、
やっと現れた標識が、「直進・成田」と示しているのを見て、
戦慄するチーモ。

このままだと「え」「え」って言ってるうちに、
確実に機上の人になってる・・・ゴクリ。
「オゥ、オウランジジュース、プリーズ」って巻き舌でお願いしてる自分が目に浮かぶ。

すぐにナビして泣きながら帰路につきました。(あきらめ早い)
ショック。青色の表示は、魔法の表示じゃなかったの・・・。

ナビがなかったら、私どうなるの。
あまりのショックで、帰る道すがら、いろんなことが頭をよぎったわ。
そういや10代のころ、ATMからお金を出すチーモを見て、当時の彼がものすごい感動してたな。
「チーモはATM使えたんだねー・・・!」

まあまあこの人は何を言うのかしら、と思ったけれど・・・ふ、なるほど・・・。
私って、そんなかんじだったのか。
もしかして、ずっとそのままで来ちゃったのかな。しょぼん。

インドに初めて行く時も、ずっと行きたかったインドに、
いきなりバックパックはさすがに無謀って自分でもわかってて、ツアーで行ったの。
私としては、生意気にも、慣らし運転みたいな気分でした。
次はバックパックよ、と。

久々の海外に緊張するあまり、成田ではほんとに1分に1度の割合で、
パスポートとチケットをチェック。

そのたび、
カバンを開けてー、
厳重にしまったチケットたちを出してー、
確認してー、
私のチケットを狙ってる人が回りにいないかきょろきょろしてー、
また厳重にしまってー。

とかやっていたので、
実質は30秒に1度のチェックだったことでしょう。

そこまでしたチケットが、出国するときのゲート(たぶん)で、
なかったんですよ・・・。

なにこれ悪夢?それともドッキリ?

茫然とするチーモ。
もう。なんなのこの人。

出国できなくて、家に帰ったら、お父さんとお母さんが、悲しむだろうな・・・
チケットを無くしました、なんて・・・と、胸がえぐれていたその時、

女神が後ろから、後ろから現れたのです。
「チケット落としましたよ」と。

その時、悟ったのです。
バックパックは君には無理だよ、と、神様が教えてくれてるんだ、と。

そうでしょ?インドにつく前に、危機に陥ってますもの。
あんだけ念入りに確認しといて。
てか、いま気づいたら、日本すら出てないじゃないですか。

でもね、逆に気が引き締まってよかった。
ふんどしをぎりっと締め上げたくらいの気合が入って、
おかげさまで、無事帰宅できました。
自分を知る旅でした。(日本国内ですでに達成されてます)

でも、うっかりしすぎだよねー。

そうそう、企画した知人はインドに何度も行ってるので、
色々アドバイスをしてもらった。

着るものは何を持っていったらいいの、とか。
そしたら、「部屋着みたいなものでいい」っておっしゃるので、
チーモはほんとに部屋着を、っていうか、
パジャマみたいな服を着て行ってしまったんですよね。
いや、パジャマにもなる部屋着的な・・・(それはパジャマでしょ)

トランクの中も、ほとんどパジャマ系でした。
普通のパジャマ系に紛れて入ってる、
ちょっとおしゃれなパジャマ系の存在が、今思えばじんわりとおかしい。
おしゃれな服を用意するつもりなら、お願い、パジャマからいったん離れて。

そしたらその人(カジュアルな、でもちゃんとした格好)、
チーモのファッション見て、(パ、パジャマ着てきやがった!)みたいな顔してて、
私も(え!部屋着って言ったから!)って思ったんですが、
うふふ、バカだな、ほんと。

私は自分のこういうとこ好きなんですが、
いやいや、それはまずいよって言ってくれる人が回りにいるので、
無事生きております。ありがとう。

でもこのときは、他に相談せず、独断で支度しちゃったんだ。
何でも相談した方がいいね。
ああ、独断でタコ糸とかも持っていきました。洗濯干しに便利でしたよ。

ちなみに、飛行機は快適でしたよ、なんてったってほら、パジャマだから。うふふ。

ああ、楽しくなってきちゃった。
無事帰宅して、家族に涙ながらに恐怖を訴えて、
嬢のせな毛(背中の毛)で涙を拭いて、こうしてブログしてたら、
方向音痴のことなんて、忘れちゃいそうです。

さあ、ご飯食べて寝ましょう。
方向音痴やもろもろの苦手は、ゆっくり直せばいいわ。
準備をすれば大丈夫だし、
それで助かってることもあるのよ。(自分を慰めてる)

迷子も旅路の一つかもね。
無事帰れてよかった。神さまありがとう。

レースほおずき


レースほおずきって、かわいいの。
ae41b810.jpeg

CIMG0632.JPG自然になってました。












ちょうちんみたい。
森の小動物が月夜の晩に使うんだわ、きっと。

img004.jpg





こちらは、はんこのレースほおずき
です。
フムー、赤い実が下にいっちゃった。
 

やさしいけがわ

実は、毛皮を肯定する毛皮好きの方々が喜びそうで、
お知らせしたくなかったんですが・・・
 
アニマルウェルフェアにのっとって管理され、最善の注意を払われて、
苦しみなきよう毛皮製造への工程を踏む、毛皮のための動物を飼育されてる施設が、
世界には、あることはあるのです。
 
(アニマルライツは動物の権利自体を訴えるものですが、
アニマルウェルフェアは、搾取されることが前提といえ、
苦痛がないよう扱われるべきであるという、動物福祉のことです。)
 
そんな先進的な施設の、一部です。

fox.jpg










アニマルウェルフェアにのっとり、大切にされた動物たち。

アニマルウェルフェアとか、意味ありますかね・・・。
 
いや!意味がないことはもちろんありません。
極論を言うのは避けましょう。
チーモったらいけません、結論を急いだり、わかりやすい極論を求めては。
 
でも。
この画像を見てのアニマルウェルフェアって、
あなたにとって、どんな意味を持たれましたか?

どんなに大切に、思いやりを持って育てられたとしたって、
そもそもが私たちに、なんの必要もない毛皮のために。
彼らは、殺されなきゃならなかったんでしょうか。

見た瞬間のあなたの心の動きを、忘れないでほしいんです。
覚えておいてほしいんです。

以上、チモッキタイムスがお送りしました。
ということは、もちろんねつ造です・・・。
(画像は本物です。)
 
何度もねつ造しやがってこの恥知らずが、と、
どうか私をののしってください。
 
しかも、こんなひどい画像まで載せやがって!とおっしゃる?
おっと、それについては、こちらにも異論がありますぞ。
 
こんな画像、わたしだって載せたくないよ!
 
・・・・・・・・・シーン。
 
うそです。私は、載せたかった。
 
見てほしかった。
 
言葉では届かないもので、
あなたの心に、何かを訴えてくれると思ったのです。
 
ちなみにアニマルウェルフェアにのっとった毛皮工場の存在を、
未だかつて、一度も聞いたことがありません。
非常に残酷なことですが、存在しないと思います。


 
私は、どんな生きものにも生きててほしいです。できる限り。
 
生きものを包む山が、生きものを抱く海が、
生きものを放つ空が、わたし達とともにある。
お日さまが、やわらかく輝いてる。
私たちのほほに風が吹いて、大地では花が揺れてますよ。
 
こんな素晴らしい世界で、生まれた以上、
死はいつか、誰にでも平等に、ちゃんと訪れるのだから、
 
少しでも、それぞれの生を楽しめるように、
お互いの生を思いやって、
助け合いながら生きられる方が、
私はずっとずっと、いい世界だと思うんです。
  
世界を形作ってる「替わりがあろうとなかろうと、奪うことは罪じゃない」という言葉が先行して、
時々わからなくなってしまうことがあるけれど、
心の奥底で私たちは、ほんとはちゃんと、知ってるんだと思う。

わたし達の幸せが、どんな形をしているかを。

より遠い未来について考えれば考えるほど、
それを実現するためのより良い決断を、今、下すことができるのです。

ブライアン・トレイシー

シルバーバーチかく語りき

え?シルバーバーチってなに?
ちなみにシルバーアクセサリーのブランドじゃないですよ(チーモはそう思っていた)
 
「 シルバーバーチ (Silver Birch) は、1920年にイギリスにおいてイギリス人青年モーリス・バーバネル(Maurice Barbanell、1902-1981、当時18歳)に憑依して語った霊とされているものの名である。」

なんです。
ウィキペディアったら、わかりやすいですね。

イギリスは、スピリチュアリズム研究の歴史が深いのですよね、たしか・・・うん(うろ覚え)。
その中で、3大霊訓のうちの1つが、シルバーバーチの言葉だったと、
記憶しているような・・・すいません。(さっぱり要領を得ない情報で)

人はどう生きるべきか、とかいうわけです。
動物に関しても、言及してるんです、シルバーバーチは。

シルバーバーチは、こう言うんです。

 
「自分たちで勝手に動物を殺しておいて、
神がそうせざるを得なくしているかにお考えになってはいけません。
どちらにするかは、あなた方が決めることです。
動物を殺さないと生きて行けないというものではありません。
が、いずれにせよ、答えは簡単です。
そうした問題をどう処理していくかによって人類の進化が決まるということです。
自分たちのやっていることに疑問を感じるようになれば、その時、
あなたの良心が次の答えを出します。」

 


「私が常々申し上げているのは、“殺害”の概念がつきまとう食品は
なるべくなら摂取しない方がよいということです。
殺すということは絶対にいけないことです。
ただし、その動機を考慮しなければならない場合があることは認めます。

霊的向上を望む者は、いかなる犠牲を払っても
大自然の摂理と調和して生きる覚悟ができていなければなりません。その摂理は霊的なのです。
霊が発揮すべき側面はいつの時代も同じです。愛と慈悲と寛容と同情と協調です。
こうした原理にしたがって考えれば食すべきものを食し、飲むべきものを飲み、
正しい生き方に導かれます。
しかし最終的に選択するのはあなた自身です。
そのために神は自由意志というものを与えになっているのです。」

 

こういう話は、おぞ気が来る方もおられることでしょう。
どうか、おとぎ話気分で聞いてください。
共感する人は、一緒に共感しましょう。ね、プルプル。
 
私、シルバーバーチが送ったメッセージの、
何もかもすべてに同意してるのではないのです。が。

でも、
理がわかってる人が、この世界を見るときに、人間的な側面だけを見るとは思えない。
すべての命を内包するだろうこの世の理を語るとき、
動物の現状が無視されたり、軽視されるとも思えない。

シルバーバーチは動物実験にも言及してるんです。
「感謝しましょう」ではなく、「いけません」と言っているんです。
これってけっこう珍しいことではないですかね。そんなことない?

だから、これを知った時はうれしかった。
読みながら胸がフルフルしました。
 
私は霊的なことって、普通にあると思ってます。
今はスピリチュアルとか言われて、それってパワーストーンや霊能力とかで、
本来から変質してる感じがあって、
「えー・・・」って感じられますわね。
私も「えー・・・」って思ってました。
誰かが言ったことを、よくそんなに信じられるなーって。

でも、「虫の知らせ」や「勘が働く」とか、「ピン!とくる直観」とか含めて、
目には見えない、人間がまだ知らないことも、たくさんあると思うんだ。

そういうのが苦手な人も、たぶん普通に受け入れてることと、
地続きなんですよね。

スピリチュアルどうのこうのって、うわぁ、と正直、思ってたけど、
今は、私にとってスピリチュアルって、単なる思いやりとか、
人生いかに楽しみや優しさ、愛情を表して、自分と人を愛すかと、そういう感じで、
そういう理解の仕方をしてます。

チーモが全面的に信じる神さまは、チーモの中にある。嬢の中にある。
父の中に、母の中に、彼らの命が私に繋がってきたことの中にある。
今まで自分が生きてきたすべてに、言葉を持たずに存在してます。
これからもそうだと思う。

だから、そういうことに精通してる誰かの意見すべてに、同意するということはあんまりありません。

こういう話は、それでいいと思います。なるほど、そうかー、と思えるところは取り入れる。
真剣に、かつ遊びの部分を持っとくのが、大事なことなんではないかな、と。
1番は、自分の中の声なんだ。
 
あの・・・チーモに言われるまでもないことだと思うんですが、
霊的な話や力で、自分を誇示しようとしたり、怖い人もいるみたいですから、
関心のある方、気を付けましょうね。
 
チーモなんか、いっつも服のどこかに、
畑で付いたと思われるネギ坊主のかけらがくっついてるようなうぶっ娘(こ)ですから、
誰かにだます気で近づかれたら、コロリだと思うの。
だから、結婚詐欺師とかにも気をつけてるよ、ほんと。(思いつめた顔で)
皆さんも気をつけてね、結婚詐欺師じゃなくてもね。

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