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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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秋の桜もち祭り

ねこまるさんが、「あんこはみ出た桜もちな嬢の肉球を見たい」とおっしゃってくださったので、
ここ数日、嬢をファインダー越しに狙っていました。

しかし・・・敵もさるもの、ガードが固い。CIMG0618.JPGa3a1923a.jpegCIMG0609.JPGCIMG0608.JPGCIMG0607.JPG
さらけだすのは、後ろ足の玉ばかり。

人間の限りある想像力では、その用途がやや不明な、

44b68d26.jpeg前足のちっちゃい球は見えるけれど・・・
CIMG0614.JPGグイ・・・グイ・・・(横に倒そうとしてる)
CIMG0615.JPG「何かご用ですか?」・・・いえ、別に」

チーモの思惑も知らずに・・・
CIMG0594.JPG知的に思想する嬢・・・

やった、手を出してる・・・と思ったら、


CIMG0617.JPGあんこのない方の、右手で。

CIMG0561.JPGあ、左手!でも遠い。

そんなのしてたら、気づいた嬢に襲われちゃって。

CIMG0565.JPG鼻!

ちゃんと素直に頼むことにしました。
「にくきゅう、みーせーて」

img002.jpgホイ。

CIMG0564.JPG

見えるでしょうか、はみ出あんこ。




CIMG0563.JPG







このように。






一見、単なる模様、それかおこげのようですが、あんこなのです。
その証拠に、よくペロペロしてるのを見かけるのです。
あんなに夢中になるのを見ると、相当に腕のいい職人がこしらえたあんこなのだと思われます。
CIMG0616.JPGこのような。

img003.jpgより詳しく。


きっと嬢は、秋らしく、風雅にこんなことをしながらも、
img001.jpg食べるのはやっぱり桜もちなんだろうなあと思います。


ねこまるさーん、ありがとうございました^^

もっとツッヤツヤでプリップリで、
よだれの出るような肉球を撮りたかったのですが、
どうもボヤーとしていますね。
写真が下手でごめんなさい・・・!

書いてる私はノリノリで、とても楽しかったです。
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パエトーン

ねこまるさんのところで、ご紹介されていた本
415H9YBRVBL__SL500_AA300_.jpg












 
欲しいものリストにチェック。
欲しいものたくさん。動物の解放もほしい。グーグーだって猫であるの最終巻も出る。

こちらのねこまるさんの記事で、内容が少し読めます。
すっごくわかりやすいです。 

「ー私の書いたいちばん長い手紙」とありますが、まさに手紙みたいです。
伝わりますようにと、心を込めて書かれたんだろうな。

知ることって大事だなーと年を追うごとに思います。
自分が何にも知らないんだってことも、年を追うほど思います。
 
自分でも、これはたくさんの人に知ってほしいってことを、伝えようとするとき、
実際、細かいことうるさいなーって言われることもあるし(ヒャア)、
思われてるだろうなと思うけど。
(実際うるさいなーと思うものね、自分でも。てへへ)
 
これは私、大人の責任だと思ってるのです。
大人がうるさくて、何が悪いのか。
大人が黙ってたら、誰が子供を守りますのか。

私、子供ぜんぜん好きじゃないんだけれども!むしろ、苦手なんだけれども!
うるさいし、バカだし、すぐ調子のるし・・・
おお、いやだわ。その汚い手で私のドレスに触らないでちょうだい。つーん。

しかし、私もそんな子供だったわけですよ・・・!
うるさく、バカで、すぐ調子に乗り、しかも鼻たれで。
そして、色々、一生懸命考えてた。
きっと今の子たちもそうでしょう。
 
原発もほかのいろんなことも、いろんな人がいろんなことを言うし、
でも、先に誰かにとって都合のいい結論があって、そこにたどり着くために、
理論を肉付けするのはまずいと思います。

子どものころから知ってたんだよ。パエトーン読んだし。
でも、安全って言うんだから、安全なんだ、よね?と思ってた。
しかたないんだ、よね?と。

子供ながらに信じてたんだよ。
今胸がきゅんとしたわ。そう、信じてたんだよ。

地震が想定外って言うなら、何を想定してたのか。
戦争でミサイルぶっつけられることも、想定してるんだと思ってた。
それでも大丈夫って言ってるんだと。

・・・私アホでしょ。でも、そう思った私が、アホな子供だったのか。
ほんとに、アホは私だったのか。
 
今回の原発の後で、福島の子が、広島で被爆した経験を持つ人の講演を聞いて、
「30歳を過ぎても、生きられるかもしれないと思って安心しました」って、
感想を言ってたという子がいたそうで、なんていうか、もう。
ほんと、言葉もありません。
ああ。勉強しないと、いろんなこと。まずは大人が。
 
無知は罪ではないけれど、
問題があると気づきつつ、無知でいようとすることは、罪だと思う。

・・・じゃないかな、どうかな。
「ハッ、偉そうに言えるほど、私勉強してないじゃないか、いろんなこと」って、我に返って急に謙虚。
 
山岸涼子さんのパエトーン、無料公開しております。マンガです。読んでみてみて。
 

B級ごちそうナイト

♪ヘイヘイ、ソウルでジャンクなやろうども!
ブッキュキュッ、キュッキュッキュー(レコードをスクラッチしてる)
 
 ここにおわすは ミスターお好み焼き&レディ・ベジ餃子
栄養バランス完全無視の粉ものパーティ・ナイト ヘイ!
 
 ウィ・ニード・揚げ玉(コーラス)
ウィ・ニード・ラー油(コーラス)
ゲゲフー!
 
お夕飯、がんばったわー。
餃子とお好み焼き、夢のようでした。
お好み焼きはいい。切って混ぜるだけで簡単。

しかし、問題はあの子よ。餃子ちゃんよ。
・・・こねたり、伸ばしたりしながら思いましたよ。
 
わたしのような天才餃子職人のもとには、
いつか風のうわさを聞きつけたスカウトが、訪ねてくると思うんです。
いえ、仕方ないことです、才能っていうのはね・・・(遠い目)。
 
でも、きっぱりと断ろう、と思いました。
毎日やってたら、死んじゃうと思う。
今すでに、フラフラします。
自分が食べられると思うから、がんばれるので・・・
食べられない餃子の皮をこねるって、つらいと思う。
 
人さまのためにとか、食欲の前には・・・。
そもそもそんな理性的なら、ご飯の写真載せたいのに、
気づくのがいつも食べ終わった後、なんて事態にはならないと思うんだよ。

マスターキートン

マスターキートン大好きです。
心地よい秋風に吹かれながら再読中。

日本人の父とイギリス人の母を持つ、平賀=KEATON・太一は、
大学で考古学の講師をしながら、保険のオプ(調査員)をしている。
また、英国軍のSAS(英国特殊空挺部隊)で、サバイバル術の教官をしていたという経歴を持つ。
そんなキートンの夢は、考古学者として、幻のドナウ文明を発掘すること。
異色の探偵、ここに登場!!


だそうです。アマゾンの説明はわかりやすいなー。

何度このマンガに、涙を搾り取られたことか。
ほんと「ンガー・・・」って言って泣いちゃう。
いつか好きなセリフランキングとかやりたい。
ご存知の人もたくさんいると思いますが、今回もしびれたセリフの一つ。2巻から。
 
「いいえ、ウサギだって追いつめられれば勇敢に戦うのよ」

(こんな仕事をして自分は虫けらだって気づいたのよ、と自分の仕事を嫌って、
マフィアから逃げた娼婦が、
「すぐに狩られちまうウサギは哀れな生き物だ」という潜伏先の宿屋の主人に、
物語の最後で言うセリフ)

あーん、これだけだと、ずいぶん強気で明瞭な物語なのかって印象ですが、
そんなことなくってですね、中盤に、
この娼婦を助けようとする軍隊学校の元教官(キートンの教官だった)の、

「子供のころ、よく狩りに行った。最初の獲物はウサギだった。
私の撃った弾はウサギの後ろ足にあたった。
ウサギは足を引きずって逃げて行った。
走れなくなったウサギは、生きているより不幸だ。

だが、私は何もしなかった。

手当をすべきだったのか・・・
とどめを刺すべきだったのか・・・

未だにわからない」


というセリフがあったりするんです。

教官のセリフを先に読んでるからこそ、
最後の娼婦のセリフも、弱さも失敗も持ち合わせた人が胸に抱く、
立ち向かおうとする強さが、にじんで見えませんか。
私には、ウック、見えるんです・・・ヒック。
 
経歴は華やかなのに、気弱でさえない大学講師。
おそらく見限られる格好でバツイチ。
考古学をやりたいけれど仕事がなく、バイトで始めた保険の調査員で、
様々な事件に巻き込まれるも、軍隊にいた経験と元々のサバイバルスキルが生かされて大活躍。
でも、本人は不本意。
 
キートンに憧れる甥が「順調にいっていたのに、なぜ除隊したのか」ってキートンに問うと、
キートンは「軍隊はあまりに現実すぎた」って。
強いのに、キートン強いのに。キュンキューン。
 
男の人のマンガによくある「力の強さ賛美」じゃなくて、
そこに力だけで説き伏せることを恥じる知力があるとこが、
このマンガに流れる奥深い魅力ではないでしょうか?
とろけきっておりますこのチーモは、一体全体どうしたらいいんでしょう。
 
キートン・・・結婚したいでございます。
(2次元と3次元が限りなく近い世界で生きている、
私を自由なティンカーベルって呼んでもいいですよ。ほらつかまえて)
 
男性に関して、弱さと優しさの違いが時々わからなくなり、
またこのことに関して感じる自分の心の内を、
言葉で説明するのは大変な困難を伴います。難しいよね?
 
佐野洋子さんも、「やさしいって優柔不断なのよ。「優しい」がなんなのかわかるのに、
一生かかる」って書いてた。
 
でも、マスターキートンが、やさしいってことはわかる。
弱くってやさしくって、タフ。
ふー、人間かくありたいものだ。

チモ子のベジベジ相談室

と思ったら、アップできたよ。
ブログの精ったら、きまぐれね。

はい、こんにちは。
チモ子のベジベジ相談室にこんなご相談が寄せられたんでございますよ。

「チモ子さん、こんにちは。

彼氏とアニマルライツについて、罵り合いになりました。
(んまぁまぁ、いきなりですね。チモ子びっくりよ)

その後、彼氏が歩み寄ってくれたのですが、
やはり今後、私が直接情報を提示すると、おそらく感情的な反応があるように思います。
何か映像を見て、二人で学ぶという形をとって、
理解してもらうのがいいでしょうか。
その場合、おすすめの映像はありますか?」

これはチャンスですね、素晴らしい好機ですね。

彼氏はもちろん、彼女も
きっかけさえあればヴィーガンになる人だから。

それ言ったら世界中の誰もがそうだけど、
そうじゃなくて、本人は知らないだろうけど、
もうすでに、きっと準備ができてる人だから。

アニマルライツに関心が高いのです、彼女。
でも、ヴィーガンになるには一歩が踏み込めないみたい。

ネットもせず、本も読まず。
そういう情報なしで、私のつたない呼びかけだけで、
アニマルライツの感覚にしっくりきてる人なので、、
あとは、実感するだけなんだと思う。

映像は最適ですよね。

今まですすめ続け、しかし拒否されてきましたが・・・
ああ、タイム・イズ・カミングなんじゃないですか、これって。

この世にヴィーガンが、仲間が増えるかもしれない。
そう思うと、叫びたいくらいうれしい。


祝砲を上げよー!ブブー!(オナラ)
キャーッキャッキャ!(自分でうけてる)

ま、ま、ま、なるときはなるし、
ならないときはならないし、
私が力まなくていいのよ、
むしろ、我欲を出してはいけない。
落ち着くなりー、落ち着くなりー、と言い聞かせつつ。

最上の道って、どれかしらね。

やっぱり私の好きなリバー・フェニックスの弟、
ホアキン・フェニックスがナレーションを務める、
アースリングスでしょうか。


ユーチューブ貼り付けてアップしようとすると

改行ができないで、アップされる。 今日はもう寝ろってことだわねー。ファー。

イマジネーションを使う、新しいドアが開く

時々シュールな精進日和さんに、興味深い記事貼ってありましたぞ。
なるほどー。

こちらの記事。ロケットニュースだって。
「犬猫の虐待は「かわいそう」と思うのに食用の牛豚を「かわいそう」と思わない理由が判明


多くの人が肉食する限り、犬猫の虐待もおそらくなくならないだろうと、
うーん、私はそう思います。
 
なにより残念ですが、肉食という行為を通して、
わたし達は家畜を虐待しているのです。

これね、誰かがこう書いているのを
自分が最初に読んだとき、言いすぎだ、と思いました。
だーから極端なんだよなー、ベジタリアンって思いました。

虐待って。虐待なんかしてないよ、わたし動物好きなのに。
食べるためだもん、生きるためだもん、虐待じゃないよ。
そう思いました。不愉快でした。

でもね、他に食べるものがあり、それで健康に生きていける世界で、
それでも動物を殺して食べる、その理由はなんでしょう。

「今夜ぜひご馳走します。
おいしい犬が手に入ったので」


そう言われたら、肉食は弱肉強食だから。
感謝して。
いただきます。
と、わたし達言えるでしょうか。

わたし達が共に暮らす犬や猫を食べられないのは、なぜでしょう。
逆に、わたし達が、牛や豚を食べるのに、特に深く考えることがないのは、
牛や豚は、犬や猫とは違うと、きっとどこかで思っているからです。
 
そして動物を虐待する人はたぶん、
犬や猫は、人とは違うと思っているのです。
だから、虐待できるのです。

泣き、苦しみ、懇願する犬や猫を、
時には楽しんで、死に追いやることができるのです。

動物を虐待する人はさらにエスカレートして、
人間に危害を加える確率が高いことが立証されています。

ボーダーがなくなってしまうのです。
想像力と共感が、彼らにはないのです。


食べるのと虐待するのとは、違いますか。
確かに違います。全然違います。
虐待者が、動物に感謝をしているかと言ったら、たぶんしてないでしょう。
でも、感謝してたらいいでしょうか。

人が肉を食べるのは弱肉強食。
そう言われますが、弱肉強食は、肉食の是正だけではなく、
その流れがあることで、環境が破たんすることなく廻ることです。

残念ながら現代の肉食の仕組みは、
すでに弱肉強食とは言えないのです。

私たちの肉食は、環境を破壊し、飢餓を生み、
途方もない数の動物を不必要に苦しめています。

弱肉強食に、肉食が含まれるのはこの世の理で、
人がどうこうできるものではないですよね。
ですが、いかなる場合も、肉食は必ず弱肉強食だとは言えないのです。

週に一度でも、肉食をやめてみませんか。
これが本当に必要だろうかと、自分の胸に聞いてみませんか。


 多くの人は犬や猫を食べることに、抵抗を感じるその理由に、
殺される犬猫、彼らの抵抗が、苦しみが、悲しみが、
容易に想像できることだと思います。

やめてくれ、そんな必要はない、
犬や猫を、彼らを食べる必要はないと、思う人が多いはずです。

胸が痛む。それって、自然で、正常な感覚です。

そしてそれこそが、私たちが肉食は自然なことだと、本当は感じていない証です。

犬猫が食べられなくて、牛豚が食べられる。
それは当たり前なんです。
多くの人は、牛や豚に、私たちと共通するものを身近に見たことはない。

肉食は不可欠なものだと教育されていても、
そもそも、誰も積極的に見せたがらない、語りたがらない。

屠殺場はもちろん、いろんな情報さえクローズされがちで、
どこかぼんやりと、実体のつかめないことです。

この前知人がね、私が
「屠殺される牛の放血がすごい勢いで・・・」と言ったら、
「ほうけつ?ほうけつってなに?」と言いました。

説明すると、何かに思い当たったような目をして、

「そうだよね、私、殺されるのは牛って知ってるし、
床に血が流れてるのも想像できるのに、
その血が牛の首から飛び出すのが、抜け落ちてる・・・」


と言っていました。

そういう仕組みなのです。

想像ができないのです。
する必要も、なかったのです。
実感できなくて、当たり前なのです。

悪い人だから、冷たい人だから、肉を食べられるんではないんです。
ここがごっちゃになるから、
ベジVSアンチベジの間で論争になるんではないかしら。
議論が極端になりやすいというか。
個人的な悪者を必要としてしまうというか。

ぜひ、想像と共感を胸に、
家畜と言われる生き物を見てみてください。

彼らの暮しを、気持ちを、想像してみてください。
彼らの喜びを、楽しみを、苦しみを、悲しみを、恐怖を。

それを自分の愛する人に、犬に、猫に、
味わわせられるだろうかと。

味わわせることに抵抗を感じたら、
それを牛や豚にさせることは、それしか道のないことなのだろうかと。


彼らが犬や猫と、そしてわたし達とも、何も変わらない感情を持つ命で、
私たちの選択に、彼らの命がかかっていると気づいたとき。

世界を救う偉大な指導者や、
活発に活動する愛護団体や、
尊敬できる平和主義者ではなく、

家畜と同じ命、たった一つの命を持ち、
毎日を精いっぱい生きてるあなたと私の心から。
平和な世界は、そこから広がるんだと、私は思います。

最近はまってる

 植木鉢でおちっこ!
乗り切れず、猫ずり落ちるの図

室内のトイレきれいだし、どんなおしっこしたのか
見たいし嗅ぎたい。チェックしたい。

でも植木鉢だとわからないから止めてほしいんだけど、
嬢は、楽しそうだ。

1番最初に、私も喜んでしまったのが良くなかったのかしら。
だって。うける。

そのうち飽きるね。
花壇におちっこブームもいつの間にか終わってました。
 

さよなら、おぷに達

庭の山椒の木に暮らしてたぷに坊たちは、
今年も一匹もさなぎにならなかった。(ぷに坊・・・キアゲハの幼虫の総称)

最初20匹くらいがいて、成長して3センチくらいで次々と姿を消しちゃって。

今年は終わりか、と思ったら、第二弾の卵が産まれて、
しかしまたしても3センチくらいで、一気にいなくなる。

これが、3回くらい繰り返されました。

3センチじゃ、まだまだ鳥のふんみたいな模様で、
黒地に鮮やかな黄緑という、ようちゅうようちゅうした柄にはならなかった。
あれが見たかった。

神様、センス良すぎ。思いきりもよすぎ。
「うーん、もうちょっと抑えめの色にしとこっかなー」とか
神様は思わないのね、きっと。

黒地にショッキングな黄緑。
美しいじゃないか。それでいいじゃないか。

そんな感じなんだと思う。

そんなわけで・・・ちょっとしょんぼりしておりますが、
でもきっと、誰かのお腹をくちくする使命をもって、
この世に生まれたのだろうと思うと、
しょんぼりするのもね。

あの子らのおかげで、
鳥か虫かもぐらか、わからないけれど、
誰かのお腹が満ちたんだ。

自然はすごいですね。

私は、人間がいま、自然や調和から離れてしまっているようなのも、
それ故に、様々なとこに生まれる歪みみたいなものを目にして、
息苦しさや憤りを感じる人がいるのも、(自分を含め)

私たちが望むところにいつか、ちゃんとたどりつくためにも、
ある流れの中では、必要な、必須なことだと思うので、

自分が人間社会にいることを、欺瞞だとか虚構だとは思わないし、
世界から人間さえいなくなれば、とも思わない。
想像することはあるけれど、望みはしない。

でも彼らが、
ある時は、食べるのだし、
ある時は、食べられるのだし、

ただ生きて、死ぬときは死に、
自分も相手も、生も死も、平等なフィールドに立ってるのを思うとき、


死を遠ざけて、生をよいものとして、
自分たちは、ほかの動物がいるところとはちょっと違うとこに立ち位置を構えながら、
生きるために、いや、ただ暮すためにさえ、
他の種族にそこまでしちゃいますか、みたいなこの社会で暮らす私は、

時々、虫が、植物が、動物が、たまらなくうらやましい。


そんなことをいいながらも、我が家は今夜、ごぼうのフライでして、
楽しみで胸がフルフルしてるんですがね。

蹂躙されることなく、尊重されてる動物の世界と、
ガス引いて、火使って、ごぼうのフライ揚げてる世界とが、
自然に融和してる世界にはやくなりますように、と思います。

ちなみに最近はまってるごぼうのフライ、
すごく簡単なのでご紹介!

好みの長さに切ったごぼう(私は5センチくらい)を
四つ割りにします。お好みで。
水にさらしてあく抜きはしません。めんどうなので!

醤油みりん酒を、お好み量で振り掛けて味を染ませといたのを、
クミンシード、コリアンダー、ターメリックをちょぴっと入れた小麦粉を水で溶いて、揚げる。
スパイスはなくてもいいと思います。

結構じっくり揚げます。
最後は高温でカリッと。

好みで塩を振ってください。
これだけ!

熱々を食べてね~、
カリカリ、ほふほふ、ああ、しあわせ!
おつまみにもいいですよ~!

ニャンコ先生

私はムーミンを愛しているのですが、
ストラップつけようとか、ぬいぐるみ集めようとか、
そういう気持ちではないのです。
生活に、キャラクターものがあるのがあまり好きでなくて。

む、むしろ行きたい、ムーミン谷に。
なりたい、ムーミンママに。
憧れの女性の1人。

ムーミンママって、すごいんです。

パパが似合わない帽子をかぶって「似合うかね?」とママに聞いてきたとき(ムチャぶり!)、
明らかに変なのに、

「あらまぁ、なかなかすてきね、新鮮ね」とじっくりじっくり見て、

「ふーむ、どうもあなたは帽子をかぶらないほうが、
うんと重みがあるように感じるわ」

って言ったの。

パパも納得。
パパを傷つけず、プライドを尊重しながら、正しい道へ導くママ。

どうですか!
私なら、「変だよ」って言っちゃう。
さらには、「センス悪いよね」って、追加することも考えられる。
それで相手がむっとしたら、私もむっとすると思う。ヒー。

エプロンいっちょで良妻賢母なママ。
私はついつい、ママがエプロンいっちょなことに、こだわってしまうけど、
ムーミンの世界では、慎み深いともいえるのかもしれませんね。
ほかのトロール族はみんな、全裸だし。

とにかくもう、人の幅や深みが私とは違うっていうか・・・
すごい女ですよ、ママは。(嘆息)

それはおいといて。
 
なので今これがかわいいんだーってマスコットなどのストラップつけたりする人を、
距離を持った気持で眺めつつ、
同時に、自分の気持ちに素直で若いんだな・・・という
うらやましさとがごっちゃになった気持ちを抱いていました。
 
そんな私が、こころ奪われたキャラクター。
 
ニャンコ先生
nyanko.JPG










 
ヤフーの広告に出てたのです。
笑ってるような目に、手足がどこにあるのやら、な体つき。
ニャンコ先生見た瞬間心を持ってかれました。
 
え、マンガなの?とさっそく調べると少女マンガでした。

あ、ニャンコ先生は、主人公じゃなかったんだ・・・と、ちょっぴりがっかり。

気分がくじけて(弱すぎだな)、ニャンコ先生とお近づきになるのをあきらめて数日過ごしていたのですが、
寝る前までニャンコ先生の体のフォルムがちらつくようになってしまいました。
それは・・・恋だね。完全に。
 
ニャンコ先生の、体つきや目つきなど、たまらなくツボです。
 
 うーん、しかしこの絵はかわいすぎる。もっとブサでないと。
いちばん最初に見た広告の、気持ち悪くて丸っこいニャンコ先生が一番かわいかった。
 ちょっと気持ち悪いぐらいの甘くなさが、かわいいんだ。
ニャンコ先生のにじみ出るかわいさを引き立てるのだ。
  
7巻まで借りてみました。お話の面白さとかより、とにかくニャンコ先生をコピーしたい、と思って。
ここまで書いてもう、自分に驚きました、コピーって。そんなにニャンコ先生のことを・・・。
コピーしてどうするつもりなのだ。まったくわからないけれども。
カバンに入れて、たまに取り出して眺めるんじゃないかな。
 
お話は、私の若く瑞々しかった、きらめきの感性はやや退化し気味ですので(加齢により)、
心を持ってかれることはなかったんですが、思ったより面白かったです。

友達は「面白いねぇ」って言ってた。
たぶん私の目が、ニャンコ先生をひたすら追っていたから、集中できなかったんだと思います。
お話に集中できたら、もっと面白かった。
だってさー・・・ほら、ニャンコ先生が愛らしすぎるから!夢中よ、コマの隅々までニャンコ先生探しに。
 
妖(あやかし)、つまり妖怪やお化けが見えてしまう男の子の話で、
ニャンコ先生は、男の子の用心棒でした。
用心棒て・・・あーた、そんな丸っこい体してもう。
 
主人公とツバメの妖の

「人を 嫌いにならないでくれてありがとう」
 
「やさしいものは好きです
 あたたかいものも好きです
 だから 人が好きです」
 
という会話や、
 
ハッピーエンドで終わるお話の、主人公の最後のモノローグ、
 
「そうだね
僕も
人が 好きだよ
 
優しいのも
あたたかいのも
 
人も
獣も
もののけも皆、
 
魅かれ合う何かを求めて
懸命に生きる
心が好きだよ」
 
なんて、泣いちゃったわ。
 
しかし、ニャンコ先生が足りない、もっとニャンコ先生を・・・と思っていたら、
5巻では、なんとニャンコ先生の書き方が指南されているという。
なんてかゆいとこに手が届く仕様でしょう。
 
嬢の頭頂部の模様は、少しニャンコ先生に似てますねぇ。


動物好きな人へ、お願い。

どうかお願い。毛皮を買わないでください。

なぜって??

日本で売られている毛皮の多くは、中国で生産されています。
毛皮にされる生き物は、わたし達が想像する以上に劣悪な環境で飼育されており、
感電死や水死、首の骨を折られたり、
あるいは、殴られ、地面にたたきつけられ、生きたままでも毛皮を剥がされて、
そうして日本に売られているのです。

タヌキ、ウサギ、キツネなど、それに猫、犬もなのです。

華やかなファッションのイメージとは真逆の、おそろしく残酷で、悲惨な生産過程。

20110522_2.jpgわたし達が買わなければ
殺されないのです。
どうか毛皮に「NO」を。

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