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チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

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ルームブーツその後

ネットで写真見て、チッ、フリースかよ無印め!と思った無印のブーツ、
普通にふわふわのやつだった。つまり、自分が好んだタイプそのままの。
私の好きな、白のブーツがないだけで。

せっかち勘違い野郎は、損をする。
これ今年の教訓ね。よぅーく自分の心に刻むのだよピシーッ!(ムチ)
トホホ。

仕方ない、この前かったのは母に献上して、新しく買いますわ、無印ブーツ。
だって愛してるんですもの。はきごこちも全然違うのね。

ちなみに無印、化粧品も動物実験してないのよ!(フォロー?)
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新しいルームブーツの話を

聞いてくれ、あんまりよくないんだよーウッウッ!

前のルームブーツは、すっぽりとはいた瞬間、
すべての存在が肯定され、世界はあたたかく光り輝く・・・という感じで、
本当に幸せな気分で暮らしたものでしたが、

今回のは、はいた瞬間、なじまない!って感じがしたのでした。
嫌な予感もしたの。はいた瞬間から、すきま風を感じて。はいてるのに・・・。

1時間ほどはいてるのですが、どうも足がしけっぽくなるの。
しけっぽいと、冷えるんだよね。ムムム。
チーモが何のために、ブーツをはくかってそれは冷えを防ぎたいという気持ちからなのにぃ。

・・・ああー!
やっぱり高級品(無印のブーツ2000円。破れるまではいた)になじんだ足には、
安いの(1500円。送料込)ではダメだったんだわぁ・・・

無印のブーツ、一生使おうと思ってたらリニューアルしちゃったんだ。
返して、あなたにささげたあたしの決意を返してよ!(無印の胸を叩きながら)

今年のはフリースみたいのになってたのよ。(言いつけ口調)
ボアのがいいのに、あったかいしかわいいのに。
ボアのが好きだったんですのに・・・。

いやぁ、残念だわ。

いらなきゃ捨てればいいわ。使い捨てでいいじゃない。って昔は思ってたけど、
捨てないって、大切にするって、豊かなんだよね。
最近すごくそう思う私。

繕って一生使えるルームブーツが欲しい。
毎年ごとに、しみじみと愛しちゃうようなブーツをはいて暮らしたい。

オランダの木靴って、一生使えそうよね。
(一生ものに目がくらんで、足を温める目的から外れている)

もらってあげる ゆずってもらう

「もらってやるのに、金払えって?」

上記は、愛護団体や個人ボラさんから犬猫を譲渡される際、
ワクチン代などを請求されることについて、チーモが聞いたことのある発言でございます。

これはびっきるしましたが、
(びっくりしすぎて思わず誤字。そ、そんなにびっくりしたんですな。)

しかしなるほど、これも人の感覚というものかもしれない、と思ったのだった。

でも、なぜお金を請求するのか、その理由などの話を聞けば、
「なるほど」って納得する人が多いと思います。

でも考えたら、自分も最初驚いたんでした。あ、タダじゃないんだって。
理由を考えて納得。同時に、自分の浅慮を知りました。
無料じゃないの?って人にびっくりしてるけど(なにをぬけぬけと)、
もらってやるとかはもちろん思いませんが、
自分もそうだったんだね。

ワクチン代をもらうのは、もちろん資金不足を補う意味もありましょうが、
それ以上に状況改善に効果的だと思うのは、人々の認識を底上げする働きをするから。

ワクチン代を払うのは、大事な伴侶動物となる子の命を
守って預かってもらってたのだから当たり前だ、という意識があれば、
自然に了承できることですよね。
(あ、でも、そういう善良な人の心理を突いて、多額に請求する詐欺もあるそうです。
まったくもう。気を付けましょうね。)

タダだからもらおうって人には、もらってもらわない方がいい。とすら思う。
ワクチン代はお願いした方がいいと思う。
でも、難しい面ありますよね。団体でもなかなかで、個人ならなおさら。

まして里親審査なんてね。
「へーぇ、そちらさんずいぶんお高いのね?」みたいな目で、
見られてしまうこともまだまだあるんだろうなーとも。

何もなくいい人にもらわれていったっていうのは、ラッキーなことだと思います。
多くの場合は、幸せになるのだと思います。

でも残念だけれど、実際に事件は起こってるわけです。

いえ、「疑え!里親は疑ってかかれ!いーや、いじめるつもりに決まってる!」って
目で見るべきだってんでは、全然ないのですよ。

けれど、辛い目に合う子が出る可能性がわずかでもあるのなら、
どんなに少ないパーセンテージであろうと、無視できることでも、していいことでもないです。

それでも犬猫は、ちょっと厳しいと何様のつもりかって言われやすくて。

人間の子は、里親になるのに、条件付けられて、どれだけ審査されるか。
でも、誰も厳しすぎるなんて言わない。

ほんとは、おんなじことなんだよね。
そして残念だけれど、これって今すぐ解決できることではないんですよね。

ぽそぽそ書いてきましたが、
なんか、保護主さんが「現実も知らずに何を」ってチーモを憎んだらどうしましょって今思ってる。
憎まれるのはいいけど、憎ませるのはつらいわ。

チーモも里子に出した子が数にゃんおるので、託す決断や、
信じることとか、祈ることとか、現実がすごく大変なのは、わかってるつもり、つもり・・・。
「それならアホタンクがなおさらえらそうにきさま」って思われたらどうしましょ。

チーモってアホタンクって思われるのはまったく事実なのでいいとして、
「私だって頑張ってるのよ!」って、悲しい思いをさせちゃったら、そしたらほんとにごめんね。

つい先日川崎で、里子の子が殺されてしまった事件が起きましたが、
これは、もちろん保護主さんが悪いんではないと思います。
保護主さんがどんなに心を痛めてるかと思うと、言葉もない。

犯人に関しては、思うこと色々あるけれど、
ほんっとにほんっとの奥底では、しみじみとかわいそうだな、と思います。
かわいそうなのは猫たちだろって、おっしゃる通りなんだけど。

猫たちがあった悲しみ苦しみとは、違う種類の悲しみ苦しみを、この人は抱えてるのでしょう。
だってさ、あなた猫殺せる?殺せないでしょ?でも、この人はそれができるんだよ。
救われるといいね、罪を実感させてくれる、よい出会いがあるといいね。
祈ります。

けれども殺されたミスティくんたちは帰らないので。
厳罰な処罰を望みます。
そんなことは許されないぞって認識の楔を、社会にハッキリと打ち込むために。
犯人憎さにじゃなくて。
いや、感ずるものはあるのだけど。憎いっていうか、なんだろね。

「ゆるすことができるのは強者の特質」って、ほんとだよね。
私は、何でも許せるほど強くないのです。
力は、違うものから取りだすことに決めてるのだ。

自分に生まれるマイナスの感情や言葉を、一つ一つ取り出して眺めたりしない。
それをせずとも浄化する明るい力を、わたし達は持ってる。

ここ数日、ミスティくんのこと。
その他の子のこと。かんがえる。
今回のことは、なんだろう、今回の事件だけを検分しても、解決策って多分ない気がします。

犬猫譲渡にも厳しい審査が当たり前。(まずは団体さんからでも)
その認識が広く浸透したら。どうだろうか。

おそらく審査では、防げない。

たとえどんなに厳しい審査をしようと、
本気でだます気になって近づかれたら、誰でもだまされると思う。
私も信じると思うよ、この子を幸せにしてくれるって。

それでも犬猫が簡単に譲られたりしていいものではないって、
(問題ない人だけでなく、命を預かる実感のない人、
危害を加えるつもり、もしくはその可能性のある人を含めた場合の認識という意味で)

それが自然と当たり前に受け入れられる認識が広まった時、
自分の回りにいる動物に対する視線も違ってくると思う。

そしてそれが、犬猫の譲渡にも、必ず影響する。

そうして少しづつ少しづつ、私たちの意識が変わっていくんだと思うんです。
でも、受け皿も整備されないとね。


ああ、ほんと、うまくまとまりません。
モンモンと考えておりました。

そしてこちらのイギリス在住で様々な情報を発信してくださった、
ノーマンテイラー邦子さんの、私に何の関係があるというのだブログ、
犬をもらうのに適切な姿勢を見直して、この。

しかしレスキューセンターにとって死守しなければならないのはただひとつ。
「この猫たちが確実に幸せになれる場所を見極める」ことである。



胸を打たれる。
言葉はいい。人間はいい。
まこと、清く尊いものであります。

同時に、このようにアニマルライツの感心が高い国に住む、
アニマルライツに関心が高い人でさえも、
そういう言葉を拝借すると「お客様的」な認識があったというのだから、

わたし達にはまだまだ、伸びしろがある。希望がある。と。悶々としながらも。

生きてる間、おそらくこの悶々は続く。それでいいのだ。


「私たちがある理想を実現させようとする場合、
ただ、「そうなるといいなぁ」と思っていても、実現しません。
「実現させなさい」と、誰かに命令して実現するものではありません。
どうすれば実現するのか、実現させるための道筋を
作らなければならないのです。」


「世の中を変え、少しでも良くして行くためには、まず現実をよく知ることです。
そのうえで、様々な人たちの意見を聞きましょう。
他人の言葉に耳を傾けることで、他人の気持ちや考えが理解できます。
他人を理解して初めて、その人に働きかける方法が見つかるはずです。
中にはほかの人の話を聞いて、自分が説得されてしまうかもしれませんね。
「自分が考えていたのは、実はとても心が狭いことだった」と
反省するかもしれません。
それでいいのだと私は思います。」

ー池上彰ー

アフィリエイトを通ろう

おさむうございますね。

ルームブーツを注文しました。長いの。

注文した直後に、ア、アフィリエイトってのを・・・
えーとアレ、なんていうか、通過?すればよかった!と床に転がる。

あれってちょっぴりバックするんでしょ?
それを動物のための資金にしてくださる方々が、いるんですよね、
アフィリエイトをね。ブログとかに貼っててね。
あなたアフィリエイト知ってる?あ、そう?知ってるのね。
みんな知っているのかしら?常識かしら?わたし、しんぱいだわ。
だってわたし知らなかったから!

ほほぅー素敵な仕組みだわ、これはしっかり通りたいものだわ、と感心。
しかしどうも忘れがちでね・・・。
アフィリエイトを通るって言い方も、なんか違ってるんだろうな!と思いつつ。

今日もはじめましてのお庭の子

今日もはじめましての子が。
なんだろう、この初めての子率の高さ。

ミケネコ小町と名高いうちの嬢の美貌が評判に?

それともハーネス着用時の嬢の尻が、
まるっと女王蜂みたいで滑稽だって?

CIMG0590.JPG


日傘の陰で一休み中の
デカ尻さんこと、優美な嬢。
ハーネスには、住所と名前が
でかでかと書いてございます。






今日の子は茶トラさん。
img006.jpg





「なになに、
何やってんのあなたたち」





と、やはり目を見開いて。



嬢は、ズバババ!と追っていました。
でも、間に合わないのだった。
おうちがあるんだろうか。
ご飯をもらってるんだろうか。
どこのおうちだろうか。(ストーカーですか)


今日は、シェルターの日でした。
一休みしてたら、永住飼育の白猫さんが「抱っこしてチョ」って。ムフゥ、至福。

のどをマッサージしてしばし過ごし、
さ、そろそろ行かなきゃって立ち上がったら、
白猫さんも立ち上がって、「もっともっと、抱っこしてチョ!」ってよじ登って首にしがみついてもう。
チーモはシェルター行くとき、ポケットの小さい服を着ていくの。
こういう子、ポッケにつめて帰りたくなっちゃうから。
(はみだすから。ちゃんと正規の手段でもらおうよ!)

あと今日はね、永住飼育だった子が亡くなったと聞きました。
ずっと具合悪そうだったんだ。
なつこくてかわいいミケちゃんだった。

終わったんだね。おつかれさま。
やさしい、いい子。ほんとうにかわいかったよ。
いってらっしゃい。


 

お庭でこんにちはの初めての子

朝、庭で嬢と日課の散歩をしていた我々。
はっと気づくと、すぐ近くにいた、見知らぬ子にものすごい凝視されていました。

かつら風の前髪で、顔が横に楕円だった。横に、楕円だった。横に。すごい楕円。

img005.jpg


「誰だい?僕の庭で何してるんだい?」







と、目を見開いていました。(上の図は見開いた状態です)(推測)

初めて見る子。若い。
ご飯はきちんと食べてそう。
首輪の有無を確認しようとしたら、ぽっちゃりサンなのでできませんでした。
首輪っぽい感じがあったけど、彼自身のお肉かも。
男子っぽいので、おちんたまを確認しようと(いやいや趣味じゃなくてネ、去勢の有無よ)、
そっと近づきましたが、さっと逃げられました。

味のある顔をしておりました。

フムー、人間の家族はいるんかの。
また会えるかの。

ちなみに嬢はぜんぜん気づいておらず、
地面の匂いをかぐのに夢中でした。

たまーに、うちの子アホなのかなって思う。
ちょっと心配になる。
そして、そんなとこもたまらなくかわいいのであります。

最近の嬢は、夜になるとさむーい廊下にわざわざ出て、じっと待っております。
迎えに来てもらって抱っこされて、
ベッドまで連れてかれるのが目的みたいです。

何かを確認してるんだと思う。
探されて、抱き上げられて、あったかいベッドに連れてかれること。
たぶんそれって、愛されてるってこと。
嬢は甘えべたちゃんね。

だから、おおげさに、
「あら!かわいい子がこんなところにいるわ!連れってちゃお連れてっちゃお!」って騒いで、
チュッチュ、チュッチュしながら連れてきます。
くんにゃりと抱かれて、グフフー・・・っていう嬢。
ちくしょー、ほんっとに愛らしい。(涙目)

この前は、おそらく1時間ほども待たせてしまいました。
寒すぎて、ふっくらとした大福のような姿に。
ご、ごめん。

福島からの言葉

9・19 さようなら原発5万人集会での、
ハイロアクション福島・武藤類子さんのスピーチをご紹介します。
ぜひ、読んでみてください。



みなさんこんにちは。福島から参りました。

今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と
一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、
声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。

はじめに申し上げたい事があります。

3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできた
みなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。

それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、
様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、
若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、
心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

皆さん、福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。
桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。
猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。
そのむこうを深い山々がふちどっています。
山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、
私たちはヒバクシャとなりました。

大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。

すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、
引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、
どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 
毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?
食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?
子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?
なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。

そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

・真実は隠されるのだ

・国は国民を守らないのだ

・事故はいまだに終わらないのだ

・福島県民は核の実験材料にされるのだ

・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ

・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ

・私たちは棄てられたのだ


私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

でも口をついて出てくる言葉は、
「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。

・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、 
 労働者たちが・・・

・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・

・ひとりひとりの市民が・・・ 国と東電の責任を問い続けています。

そして、原発はもういらないと声をあげています。

私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。


私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、
苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。
私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。

政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。
そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。
今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
私たちを助けてください。
どうか福島を忘れないでください。

もうひとつ、お話したいことがあります。

それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 
私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。
原発はその向こうにあるのです。 
人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 
私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、
工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。

どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。
誰にも明確な答えはわかりません。
できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、
本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、
自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。
ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。

私たちは誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自信を取り戻しましょう。

そして、つながること。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、
限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。


たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。
怒りと涙を許しあいましょう。
今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、
道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、
軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。



原発は、わたし達の世界の一部を鏡のように写したその姿を、
ほんの少し、見せてくれたのだと思うのです。

恩恵を受けるのは義務であり、権利であり、当たり前のことで、
わたし達は気づくことも、想像することすらせずに過ごしたきたけれど、
本当はずっとそこにあったつながりのほんの一部を。

そんなつもりはなかったけれど、残念なことだけれど、
自分達の選択が影響を与え合う事実を、
わたし達は、あまりに軽んじてきてしまいましたよね。

わたしはあなたを、大事に思うか。
あなたはわたしを、大事に思ってくれるか。

わたしはあなたの子供とあなたの親を、大事に思うか。
あなたはわたしの子共とわたしの親を、大事に思ってくれるか。

わたしたちは、遠く離れて暮らし一生会うこともない人のことを。
わたしたちは、生きようが死のうが、わたしたちに何の影響もないと思うこともできる、
サバンナの、南極の、ジャングルの、路上の、動物たちのことを。

そのつながりを、大事に思うか。

シンプルに、そういうことなのかもしれません。

もしかしたらあなたは、
関係ないと、そんなことまで考えていては社会は成り立たないと、
誰かに、思わされたこともあるかもしれない。
今もそう思っているかもしれない。
それでも、わたしは知っている。

わたし達が、わたし達とつながっている彼らを大事に思っていることを、
ほんとはちゃんと知ってます。絶対です。

大事に思うからこそたった今、選べる選択が、あると思うのです。

そして私は原発だけでなく、肉食に関しても同じ思いを抱いています。

原発が問題なのではなく、いえ、原発は問題ですが、
原発単体ではなくて、大局的な目でもって、
わたしたち自身の選択について、わたし達自身が、
自分以外を含めたことも私たち自身のこととして、
考える時期が来てるんでは、という気がします。

電気のこと、食事のこと。社会のこと、お金のこと。
人のこと、動物のこと。

今までと、変わっていいんですよね。
今までと、違うやり方だっていいんですよね。

わたしと、あなたと、互いの愛する人と、動物と、
もちろん、「こんなひと愛せないわ~」って人ともすべてと、
愛のコネクションでつながっていると、
そのためにこれを選ぶのだ、とはっきり自覚して選択できる、
そんな関係の世界だって、作っていけますわよね。

ワンネス。
わたしたちは、この世界のすべてと繋がり合ってるんだって。
ほんとにそうだと思うよ。


「人間はこれまでずっと肉を食べて来たんだと言う人は多い。
まるでそう言えば、この慣行を続けることを正当化できるかの様に。
この論
理に従えば私達は誰かが人を殺そうとしても、それを邪魔するべきではないという事になるだろう。
この慣行は有史以来ずっと続いて来たものなのだから。」

アイザック・B・シンガー(1902-1991)

「私は、人間の権利と同様に、動物の権利も支持している。
そしてそれこそは、すべての人類が進むべき道である。」

エイブラハム・リンカーン(1809-1865)



 

本日お休みデイ

お昼寝から目覚めて、嬢を布団内に1人残したまま這い出してきて、
お夕飯何にしようかなって、ボンヤリしてるとこです。

嬢ちゃん、チーモが布団から出ると、一緒に出てきてしまうので、
自分が出る前に「嬢ちゃんは寝てていいんだよ、ゆっくり寝てな。そこあったかいでしょう」って言ってから
出るのです。そうするといつまでも寝てるのです。
毛皮がシメーっと、なんだかしっとりするまで寝てるのです。かわいいのです。

そうねぇ今日の夕飯は、オニオンフライにしましょう。
ナスもあったからあれもフライにしましょ。
揚げ物多くてね、ほんとすいません・・・(誰に申し開いてるのかしら)
でも、昨日はレンコンの炒め物と、小松菜と油揚げの煮びたしなどの副菜がメインだったので、ゆるしてほしい。
 
昨日の夕飯で一番おいしかったのは、茨城のみっこちゃんからもらったお米で炊いたご飯でした。
(みっこちゃんは、母の友人です。)
 
あまりのおいしさに、キャー!って後ろにひっくり返っちゃいましたよ。
お米がピッカピッカしてて、モチモチモチー。みずみずしー。
3杯食べました。食欲のあきね、フゥ。
 菊のおひたしの、えぐみとまたよく合うこと!(そうそう、菊のおひたしもあったわ)

お米には7人の神さまがいるって、すごくわかるねハフハフ。
 
そして大豆には、おじいちゃんみたいな神さまが1人でいる感じ。
ポワンポワンポワーン(想像の膨らむ音)
 
農家の人が着るきちんとした作業着を着てて、色はうすいベージュなの。
なんで1人かっていうと、小豆の神さまも1人でおばあちゃんなんだけど、実は2人は夫婦なのね。
7人いると、色々と大変だから。7人ていうのは、やっぱりお米が特別なのね。
あ、おばあちゃんはモンペをはいてて、色はもちろんアズキ色よ。
あたまはどう?そうよね、もちろん手ぬぐいよね。
手ぬぐいの下には、ややしっかりしたパーマがあてられているわ。

そんな2人はなかなか一緒になることはないんだけど、でもいいんだって。
お互いの場所で一生懸命働いてるって思うと頑張れるんだって。
なかなか会えないけど幸せなんだって。
でもお正月は、やっぱりうれしいみたいね。
おもちを介して、あんこときなこのトッピングとして一緒になれるから。
うんうん・・・。(自分の作り話に、なにか深く満足してる)
 
あーあ、今度はあったかいおしるこが欲しくなっちゃったわ。
甘酒もいいわね~。
あとでお夕飯の下ごしらえしたら買い物行って、酒粕買ってきましょう。

ハリーポッター読み返してて、今、6巻で佳境なの。
夕飯食べたら、読みながら飲もうっと、うふふ!
食べた後で飲む!(田中邦衛っぽく)

いつまでも覚えられない

母「ブラピが日本に来てるんだよ・・・」
チーモ「そうだね」
母「奥さん、アンジェリー・ジョリーナ?」
チ「いや、アンジェリーナ・ジョリーだね」
母「え、アンジェリーナ・ジョリーナ?」
チ「・・・いや、アンジェリーナ・ジョリーだね」

なぜそんなに「ナ」を移動したり増やしたりしてしまうのか。

この会話、過去にも交わされてるんです。

こたつと冬

そろそろこたつの季節ですね。
動物と暮す皆様にとっても、うっひょー♪なシーズンではございませんかウッヒッヒ。

冬でこたつで、あったかい生き物を撫ぜる。
あったかいかわいい子が、こっちを見て。指先を、ハミッとやさしく噛む。

ああ、いきてるなぁ、かわいいなぁ。
この子がずっと、こうしてあったかくしていられますように。
平凡で、涙が出るような幸せが、そこにあります。

私、自室では、ずっと暖房器具を使わずに越冬してたんです。
あ、もちろん好きでやってたのですよ、暖房レスライフ。
さらに太陽がどれだけあったかいかって、よくわかってすごくいいの。

具体的には、
昔の日本兵みたいに、ネル生地を足首にクリクリ巻きにしてから靴下はくとすごくいいの。

あとはんてん。正直なめてたね、はんてんのやつを。
こーんな袖口ががばっと開いて空気がスース-しそうなやつに、
あたしをあっためられんのかい?と。
いやいやいや・・・はんてんに包まれて、
あたしに必要なのは、あんたみたいに朴訥だけど、あったかい人だったんだね、と、
素直になるあ・た・し。

胸元ガバチョのセクシースタイルがいっとうあたくしを美しく見せるわね・・・
とチーモは、誰に言われてもない上、さらにペチャパイなのに自分で勝手に思ってますが、
ペチャパイがなによ、ケイトモスだってペチャパイだけどトップモデルじゃん、
そういやジョニーデップの好みって、元カノも奥さんも共通するのは、
ファニーフェイスとペチャパイだよねとか、全然自分のペチャを救わない
そんなゴシップはおいといて、
とにかく家では、首・手首、足首の、3大首をあっためます。

合言葉はね「厚着を恐れるな」ですよ。

(わたし中学の時、好きで1日1リットルくらい牛乳飲んでました。でもずっとペチャよ。
むしろ胸の大きさ変わらないのね。痩せたのに。
てことは、比率で言えばヴィーガン時のがボインちゃんですわね。
だからべつにヴィーガンだからペチャなんじゃないのよ!
誤解しないでよね!?)

嬢には湯たんぽをあてがい、キャッキャと楽しく暮しておりましたが、
ある日ふと、自分を喜ばせてみようと思い立ちました。

嬢がうれしいと私もうれしいから、そうだ、嬢にこたつを買おう、と。
そして私も使わせてもらえば、一石二鳥ではないか、と。

嬢、見慣れぬものには警戒心をむき出しまくりの子なんですが、
前の晩から「あした、嬢にこたつを買ってくるよ、プレゼントだよ」

朝出かける前も、「今から嬢のこたつを買いにゆくよ。待っててね」

と、お知らせしていたので、

えっちらおっちら買って帰って、組み立ててる間も、
ズデデデデーっと出たり入ったり出たり入ったり、
「わたしの、わたしのこたつ!」って大はしゃぎでした。
かわいかった。今思い出してもかわいかった。

しかしそんななごやかさは続かず、
嬢ったらツルリッと入ったきり、出てきやしないのですよ。

ほんとにほんとに、2日くらい入ってた時あって、(ご飯とトイレは、いやいやダッシュで済ましてた)
あの時ほんとに病院連れてこうかと。

電源は、入れても1日のうち計3時間くらい、
あとはこたつ内に置いた湯たんぽが熱源。
そこで、この世の春を満喫する嬢なんでした。
こたつ内引きこもりなんですよ。

ふとんをめくると満足そうな顔して湯たんぽ抱いてるから、
あら、かなり時間たってるけどまだあったかいのかな・・・って湯たんぽに触ってみると、
湯たんぽ冷え切ってるんですよ。水たんぽです。意味ないですよ。

もう、戦慄しました。
呪われてる、と。
この猫、こたつに呪いをかけられてる・・・と。

「ヒエッヒエじゃん!外のがあったかいよ!」って言っても、だめなの。
幸せそうな嬢から水たんぽを取り上げて、
ホッカホカの湯たんぽをまたこたつに仕込む私。
あら、こたつ布団に落ちたのは・・・私の涙?

すっかり布団にも入ってこなくなって・・・
のびのび寝返りも打てるけれど、さみしくって・・・。

1人寝のさみしさから、
「涙でぬれた枕って、ほんとに冷たいのね、くす・・・」と、こたつに向かってつぶやいてみるわたし。
全然無反応なこたつ(内の猫)。
完全に無視されるわたし。
がんばれわたし。強くなるんだ。

そんな、冬がまた来るのか・・・。

私はきんっきんに寒いのが好きなんですよ。
でも外で過ごす子思うと、あったかいといいな、と毎年思います。
しかしあったかすぎたらそれはそれで、北極と南極がちょっとね。心配でね。

ことしは特に、あったかい冬だといい。
春みたいな冬だといい。
祈らずにおれません。
いや、この問題は気候や温度じゃないんだって、知りつつも。


毛皮デモのあとで、
何か言いたいことある希望者はメガホンを通じて告知できる機会が設けられているのですが、
福島にも入られてる方がおっしゃった、
「福島は全然終わってません」の声が、今も響き続けてます。

鶏はほぼ全滅、
牛豚はガリガリになりつつも生存している個体もあり、
猫と犬も、かなりの数が頑張って生き残ってる。
けれど、冬が来るのです。

アニマルエイドさん、ほんとに頑張ってくださってるそうです。
国が決断してくれたら、すぐにでも解決することを、
この人たち、あきらめないでやってくださってます。
助けようとしてるのも、人間なんだ、と思います。

この状況で頑張ってるところはたくさんあるから、
たくさんのお金をあげてたら、続かない。
私もちょびっとですが、送ります。
1万円とか無理だから、なんて気おくれする方もおられるんでは。
あああ、もったいない。その奥ゆかしさ!わたし、奥ゆかしい人大好きだけど!
もう、千円とかでもいいと思うんです。
それは千円だけではなく、応援してるという意味やエネルギーも伝わると思うから。

おやつのケーキ3日分くらい、そっちにまわすわ!ってお方、ぜひ。

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