忍者ブログ

チモッキ

思ったり、感じたり、言ったりしたこと

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

もらってあげる ゆずってもらう

「もらってやるのに、金払えって?」

上記は、愛護団体や個人ボラさんから犬猫を譲渡される際、
ワクチン代などを請求されることについて、チーモが聞いたことのある発言でございます。

これはびっきるしましたが、
(びっくりしすぎて思わず誤字。そ、そんなにびっくりしたんですな。)

しかしなるほど、これも人の感覚というものかもしれない、と思ったのだった。

でも、なぜお金を請求するのか、その理由などの話を聞けば、
「なるほど」って納得する人が多いと思います。

でも考えたら、自分も最初驚いたんでした。あ、タダじゃないんだって。
理由を考えて納得。同時に、自分の浅慮を知りました。
無料じゃないの?って人にびっくりしてるけど(なにをぬけぬけと)、
もらってやるとかはもちろん思いませんが、
自分もそうだったんだね。

ワクチン代をもらうのは、もちろん資金不足を補う意味もありましょうが、
それ以上に状況改善に効果的だと思うのは、人々の認識を底上げする働きをするから。

ワクチン代を払うのは、大事な伴侶動物となる子の命を
守って預かってもらってたのだから当たり前だ、という意識があれば、
自然に了承できることですよね。
(あ、でも、そういう善良な人の心理を突いて、多額に請求する詐欺もあるそうです。
まったくもう。気を付けましょうね。)

タダだからもらおうって人には、もらってもらわない方がいい。とすら思う。
ワクチン代はお願いした方がいいと思う。
でも、難しい面ありますよね。団体でもなかなかで、個人ならなおさら。

まして里親審査なんてね。
「へーぇ、そちらさんずいぶんお高いのね?」みたいな目で、
見られてしまうこともまだまだあるんだろうなーとも。

何もなくいい人にもらわれていったっていうのは、ラッキーなことだと思います。
多くの場合は、幸せになるのだと思います。

でも残念だけれど、実際に事件は起こってるわけです。

いえ、「疑え!里親は疑ってかかれ!いーや、いじめるつもりに決まってる!」って
目で見るべきだってんでは、全然ないのですよ。

けれど、辛い目に合う子が出る可能性がわずかでもあるのなら、
どんなに少ないパーセンテージであろうと、無視できることでも、していいことでもないです。

それでも犬猫は、ちょっと厳しいと何様のつもりかって言われやすくて。

人間の子は、里親になるのに、条件付けられて、どれだけ審査されるか。
でも、誰も厳しすぎるなんて言わない。

ほんとは、おんなじことなんだよね。
そして残念だけれど、これって今すぐ解決できることではないんですよね。

ぽそぽそ書いてきましたが、
なんか、保護主さんが「現実も知らずに何を」ってチーモを憎んだらどうしましょって今思ってる。
憎まれるのはいいけど、憎ませるのはつらいわ。

チーモも里子に出した子が数にゃんおるので、託す決断や、
信じることとか、祈ることとか、現実がすごく大変なのは、わかってるつもり、つもり・・・。
「それならアホタンクがなおさらえらそうにきさま」って思われたらどうしましょ。

チーモってアホタンクって思われるのはまったく事実なのでいいとして、
「私だって頑張ってるのよ!」って、悲しい思いをさせちゃったら、そしたらほんとにごめんね。

つい先日川崎で、里子の子が殺されてしまった事件が起きましたが、
これは、もちろん保護主さんが悪いんではないと思います。
保護主さんがどんなに心を痛めてるかと思うと、言葉もない。

犯人に関しては、思うこと色々あるけれど、
ほんっとにほんっとの奥底では、しみじみとかわいそうだな、と思います。
かわいそうなのは猫たちだろって、おっしゃる通りなんだけど。

猫たちがあった悲しみ苦しみとは、違う種類の悲しみ苦しみを、この人は抱えてるのでしょう。
だってさ、あなた猫殺せる?殺せないでしょ?でも、この人はそれができるんだよ。
救われるといいね、罪を実感させてくれる、よい出会いがあるといいね。
祈ります。

けれども殺されたミスティくんたちは帰らないので。
厳罰な処罰を望みます。
そんなことは許されないぞって認識の楔を、社会にハッキリと打ち込むために。
犯人憎さにじゃなくて。
いや、感ずるものはあるのだけど。憎いっていうか、なんだろね。

「ゆるすことができるのは強者の特質」って、ほんとだよね。
私は、何でも許せるほど強くないのです。
力は、違うものから取りだすことに決めてるのだ。

自分に生まれるマイナスの感情や言葉を、一つ一つ取り出して眺めたりしない。
それをせずとも浄化する明るい力を、わたし達は持ってる。

ここ数日、ミスティくんのこと。
その他の子のこと。かんがえる。
今回のことは、なんだろう、今回の事件だけを検分しても、解決策って多分ない気がします。

犬猫譲渡にも厳しい審査が当たり前。(まずは団体さんからでも)
その認識が広く浸透したら。どうだろうか。

おそらく審査では、防げない。

たとえどんなに厳しい審査をしようと、
本気でだます気になって近づかれたら、誰でもだまされると思う。
私も信じると思うよ、この子を幸せにしてくれるって。

それでも犬猫が簡単に譲られたりしていいものではないって、
(問題ない人だけでなく、命を預かる実感のない人、
危害を加えるつもり、もしくはその可能性のある人を含めた場合の認識という意味で)

それが自然と当たり前に受け入れられる認識が広まった時、
自分の回りにいる動物に対する視線も違ってくると思う。

そしてそれが、犬猫の譲渡にも、必ず影響する。

そうして少しづつ少しづつ、私たちの意識が変わっていくんだと思うんです。
でも、受け皿も整備されないとね。


ああ、ほんと、うまくまとまりません。
モンモンと考えておりました。

そしてこちらのイギリス在住で様々な情報を発信してくださった、
ノーマンテイラー邦子さんの、私に何の関係があるというのだブログ、
犬をもらうのに適切な姿勢を見直して、この。

しかしレスキューセンターにとって死守しなければならないのはただひとつ。
「この猫たちが確実に幸せになれる場所を見極める」ことである。



胸を打たれる。
言葉はいい。人間はいい。
まこと、清く尊いものであります。

同時に、このようにアニマルライツの感心が高い国に住む、
アニマルライツに関心が高い人でさえも、
そういう言葉を拝借すると「お客様的」な認識があったというのだから、

わたし達にはまだまだ、伸びしろがある。希望がある。と。悶々としながらも。

生きてる間、おそらくこの悶々は続く。それでいいのだ。


「私たちがある理想を実現させようとする場合、
ただ、「そうなるといいなぁ」と思っていても、実現しません。
「実現させなさい」と、誰かに命令して実現するものではありません。
どうすれば実現するのか、実現させるための道筋を
作らなければならないのです。」


「世の中を変え、少しでも良くして行くためには、まず現実をよく知ることです。
そのうえで、様々な人たちの意見を聞きましょう。
他人の言葉に耳を傾けることで、他人の気持ちや考えが理解できます。
他人を理解して初めて、その人に働きかける方法が見つかるはずです。
中にはほかの人の話を聞いて、自分が説得されてしまうかもしれませんね。
「自分が考えていたのは、実はとても心が狭いことだった」と
反省するかもしれません。
それでいいのだと私は思います。」

ー池上彰ー
PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Copyright © チモッキ : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]