嬢のトイレを発掘してたら、かわいいウンティが出てきました。
しかし驚いたのはその形です。これは・・・勾玉・・・?
邪馬台国はまさか、奈良でも、九州でもなく・・・ゴクリ。
もしや卑弥呼は死んでなどいなくて、さらには人ではなく・・・ゴクリ。
後ろから「おまえ、気づいてしまったのかい?」という猫の視線を感じながら、
チーモは素知らぬ顔でトイレ掃除を終えました。
だ、誰にも言えない。(ブログはしちゃってるけど)
・読売新聞の『8時以降展示禁止「猫は夜行性なのに」猫カフェ困惑』の記事に、私も困惑する。
まあね、チーモだってわかってますよ、現状ではたしかに困っちゃうだろうなってのは。
でもなんか、夜行性の猫への対策に、今まで特に何をしていたとも思われないのですが、
展示がだめとなると「夜行性なのに」ってのに、ピクッとしました。
え、じゃあ昼間は寝かせてたの・・・?夜行性だから夜は電気を消していたの・・・?
あと記事内の猫カフェの著作もあるという方のコメント、
「疲れた猫ばかりだと猫好きは抗議するだろうし、動物虐待に近いような店は自然淘汰されていくはずだ」みたいなコメントにも、ピクッとする。
人の善性を信じながら行動することと、
人の善性を信じるだけですべてがうまくいくというのは、違うと思うので、
このコメント、理解はできるけど、同意できない。
抗議する人もいるかもしれない、でもいないかもしれない。
抗議されて店は改めるかもしれない、でも改めないかもしれない。
非常にあいまいで、運とタイミングに任すようなのはどうだろう。
ペットショップを利用するのは動物が欲しい、好きって人よ。
自然淘汰されるというのなら、いつまでも劣悪なペットショップが存在するのはどうしてよ。
ペットショップだってどこだって、出会ったら運命なんだよ。
でも、その運命が肯定されることと、だからペットショップも肯定すべきだってのは、イコールではないですからね。
ペットショップから動物を買うことが、経済を担ういみや、運命的にも、肯定的にとらえられている限り、
保健所はなくならない。
必ず保健所はなくなると信じながら、ペットショップから動物を買ってたら、保健所はなくなる?
いくら信じても行動しなかったら、なくならない。
ペットショップでも法律でもない。
保健所を存在させてる一番の理由は、わたし達の現状に対する認識のレベルです。
と思いました。なんだか必要以上にプリッとして思いました。
・最近はご飯は必ずおかわり、食べすぎでやや胃が痛んでおります。
ちょっと元気が出なくて、ああー、ストレスを感じてる時のご飯の食べ方よねー。よくないわー。
こういう時はヨガよね!って思うけど、満腹でゲフーって寝ちゃって、
夢でヨガしてました、一応。(何が一応)
こんな感じの数日、やや疲れ気味であります。
私の牛がハンバーガーになるまで、図書館で借りたけれど、
読み切れずに返却しちゃった。次は買うことにします。
今度の休みも、1日お仕事の勉強会があります。
あたしの・・・やすみ・・・シェルター行こうと思ってたに・・・ガクリ。
でもでも場所は東京駅だから、T‘Sたんたん寄ろうって、
坦々麺食べようって、楽しみにしております。ウクク!
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