私の経験だと、肉を止めたとき以上に、
乳製品を止めたときが、精神面へも影響を感じました。
そして、乳製品への執着、お肉より強くありました。
乳製品好きだったのです、すごく。
でもどう作られてるかを知って、前と同じようには楽しめなくなっているわけですわ。
この世から、私がおいしく食べられる乳製品が、なくなったのね。
たまにお付き合いなどで口にする機会もあって、
そうすると不思議なことに、味覚的には変化ないようでも、
(実際は、心の味覚が、ああ、牛の乳・・・と思ってるから、以前と同じではないのだけど)
以前は感じなかった生臭みのようなもの、
口の中に違和感、とか、その後の体に違和感、とかを徐々に覚えるうちに、
乳製品に対する執着も、自然となくなっていきました。
毎日とってる時は、わからなかったけれども、乳製品てすごくヘビーだったんだなあと感じる。
むしろそのヘビーさを求めていたというか。
そしてそのヘビーさは、中毒性を帯びているというか。
感覚的であれですが、エネルギー的にも、重い感じがする。
逆に言うと、パワフルなのかもしれません。
現代では、過剰、という感じがあります。
ホルモン剤を打たれた牛から得る乳が、自然とも思えない。
だんだんと慣れて、ある日軽いことに気づくのよね。
体だけなじゃくて、なんだろう、心だけとも違う、腹の中、というか・・・。
でもやっぱり、たまに食べたくなります。
なんていうか、乙女の証かなって思ってる。うんうん。
そういう時はホラ、ソイクリームのケーキを作ってみたり。
ベジになるに当たり、不安だったのは人生における幸せが減るんじゃないかってこと。
だいじょぶだった、幸せは減らなかった。
形を変えて、むしろ増えていました。
それは時々、たとえばベジケーキという形で姿を現します。
出来上がったケーキを前に、わたしはすごくうれしい。
ベジケーキが目の前にあるってことで、世界を祝福して、自分も祝福されてる気がする。
大げさ?言いすぎ?いやだ、ジャロに電話しないで。
あんまり大げさっぽいと信用されないかと思って、クールにハードボイルドに、
「ベジケーキ?そうだな、まあまあのお味だぜ」って低燃費な感じでいきたくもあるんですけど、
感激しちゃうんですもの。
生まれてきてよかったなあと思う。ケーキで思う。子供か。
暴力を望まないすべての人を肯定するように、
誰かの手によって生み出されたケーキ。
ケーキを作る人は、ケーキだけを作ってるんじゃない。
私はそこに、希望や平和を見ます。
「必要な犠牲」という概念を超えて作られる製品すべてに、いつも感激する。
皆さん、ほんとにありがとう。
豆乳で作るチーズみたいなものが、もっと身近になるといいなあ。
パーティやちょっと華やかなテーブル用に使える材料が増えるの大歓迎です。
種類は増えてきたみたいですね。
モッツァレラもあるみたいよ、ちょっとー、すごいよねえ。
心拍数が上昇しちゃうわ。ドキドキ。
あー、早くピザーラで頼める日が来ないかな!
多分あと少しだと思うんだ。楽しみね。
PR