ハァイ、チーモです!
皆さん、お元気でやってますかな。
5月病とか大丈夫なんですかな。
もう6月ですがな、いやいや、気をつけてくださいましね。
チーモは最近ね、ちょっとぐったりしてたのよね。
こまごましたこと。でも全然流せないこと。
動物虐待を笑って話せる人に、私何を言えるんだろう、とか。
何を言えるじゃなくて、わたし自身が何を言いたいのか。なんだよね。
何も言いたくなかった。もう、何も言いたくなかった。
あとさ、電車の人身事故って、すごくいっぱいあるんだね。
この前朝の5時にあったみたいで、その早朝5時って時間が、
ズドンと、胸に来ちゃって。
なんで夜じゃなかったんだろね。
朝が始まって、電車遅れてみんな文句を言うけど、でもすぐに忘れて、
夜になったころには、生きてる皆には皆の、変わらない1日が終わるじゃない。
夜にして、生々しい記憶でみんなの一日の終わりに思われるより、
朝のうちに消えちゃいたくて、忘れられちゃいたかったのかとか、
まあ、決行した人はそんなこと考えてないかもだけど、
何かこう。ね。
人身事故で電車遅れると、確かにほんとに困るんだけど、
でも、「死ぬならよそで死ね。」とかいう人がけっこういて、
わたしは一体何が切ないのか、時々わからなくなるのです。
って、いま、べそっとしてたら、嬢がすごいなぐさめてくれたですよ。
はあ、生きている。はいいものですね。
自分で死んじゃった人に対して、
死んじゃだめだったとか、あたしゃ言いませんよ。
死なないでほしかったけど、もう、がんばりきったんだよね。
わたしの喉の奥はすごくキュンと苦しい悲しい感じですけど、
あなたはがんばったんだよね。
死んでもいいよって言われたい人には、
死んでもいいよって言います。
でも、明日までは生きててね。
明日になったらまた、死んでもいいよって、
でも明日まで生きてねって、言う。
ほんとは死んじゃだめって当たり前のことを、
辛くても受け止めて立ち向かってもらうのが一番いい。
でも、生きていくことが、どうしようもなくつらくなったとき、
死んではいけないって言われるのは、つらいこと。
希望を持つ力がないときに、明るい方を見ろと言われるのは、つらいこと。
死んでもいいよ。の言葉に救われるくらい、
辛い思いをした人って、けっこういる。
もちろんこの言葉は、諸刃の刃ね。
死ぬの選択も、あなたはできるし、それで楽になるのかもしれない。
でも、生きるの選択もできて、とりあえず今は、
その選択を、明日までしてほしい。
死ななくてよかったって思える日まで、
一生生きるのか今死ぬのか、どっちか決めなくていいから、
心が死んでてもいいから、とりあえず生きててほしい。
とかね、言うのもね、本心ですし、
でもやっぱり、死んじゃだめね。
終わったことは、すべてが、是。
でも今生きてる子たちは、死んじゃだめなのよ。
生きててほしいのよ。
矛盾してるって思うかもだけど、
人間だって矛盾してて、でも矛盾してることがいけないんじゃなくて、
大事なのは、心の羅針盤の方向というか、
理屈の通らない正しさというものは、あると思います。
とにかくそういうのが日々ちょっとずつ胸に詰まって、いっぱいになっちゃって。
あれ、これが5月病ってやつとか思いながら。元気ではあるんだけど。
同時に、
猫の母さんのもとにいった亡き愛猫への愛情が、
かけらになって零れ落ちるような美しい言葉を目にして、
心を救われるような気持ちになったり、
動物への愛が、形になって表れてる人の言葉を目にしたり、
お年寄りに席を譲ってニコッとしてる笑顔とか、
悲しみと同じように、この世でかたちになって存在しているもののなかに、
どれだけ美しく、ちからづよいものがあるか、実感した日々でもありました。
悲しみの数を言い尽くすより、同じ唇でそっと歌おう。って
チーモとBBのテーマソングでも歌ってます。
悲しみは、日々生まれてく。
それなら日々喜びを、やさしさを、生み出していく選択をしたいのです。
「わたしはそちらを選択する」と、決意するのです。
(わたし今ここ)
(でもまたいつか悲しみに胸が詰まる)
(でもまた何度も決意する)
そこに、明るい力が宿るから。
★★★
そんなわけで。
生きながら犬に食べられた馬のためにアクションを!犬も飢えさせられてて、どこにぶつければいいのか、
行き場のない怒りがこみ上げます。
わたしたちは、怒り続けられる。
呪い、ののしり続けることができる。
さらに、辛さに忘れ去ることも、目をそむけることも、
このような動物たちへの残酷さを、理屈で正当化することだって、
わたしたちはできる。
そしてこのエネルギーを、明るい力に変えようと決意する選択も、
わたしたちにはできる。
できるんです。どうか、アクションを。
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