『米国関連会社における家畜への不適切な取り扱いについて』
今般、米国にて養豚事業を行なう当社関連会社ワイオミング・プレミアム・ファーム(以下、WPF)において、一部従業員による家畜の不適切な取り扱いが判明しました。本件は誠に遺憾であり、関係各位に多大なるご迷惑とご心配をおかけしておりますことを心より深くお詫び申し上げます。
WPFは、豚の生育環境において致死性の高いPRRSウィルスを発生させたことのない、米国でも数少ない清浄性の高い農場のひとつであり、さらに日頃より全従業員に対し、家畜の適正な取り扱いについて定期的に教育・研修・指導を行ってまいりました。しかしながら、このたび米国の動物愛護団体のホームページ上で、WPFの一部従業員による家畜の不適切な取り扱いがあったとの内容が掲出されました。
当社ではこの報告を受け、直ちにWPFに対して徹底的な事実解明および再発防止策の策定を指示し、さらに第三者の専門家を加えた内部調査のため今月中旬、当社社員2名も現地に派遣しております。
前述のホームページ上で掲出された家畜の取り扱い行為は、WPFが定めている家畜の取り扱いに関する方針や規則に違反している内容であり、当社といたしましても、全く許容できるものではございません。
全社員の聴き取りなど第一段階の調査でこの事実が確認できましたので、WPFは当該従業員を含め5名を解雇いたしました。
WPFは今後も徹底的な内部調査を進めるとともに、全米豚肉委員会から推薦をいただいた専門家による独立的立場からの客観性の高い監査を受け、問題点の抽出と実効性の高い改善策・再発防止策を提言していただくことにしております。
当社といたしましては、内部調査の結果および、専門家の提言に基づき、WPFに運営の更なる改善と再発防止のために必要なあらゆる施策を確実に実行させてまいります。
ご返信が遅くなりましたこと、心より深くお詫び申し上げます。
以上
伊藤ハム株式会社
清浄性が高い農場の一つ・・・って言葉、違和感でぞっとします。
あれ見たら、とてもそうは思えないと思うのですが。説得力もないのですが。
定期的に教育・研修・指導してあれなら、一体何を教育・研修・指導してたのかって話ですよ。
それなのに、そう言えてしまうのか。うすら寒い。
何かが乖離してる感じをうけます。
※伊藤ハムへは、引き続き、今後の具体的な防止策などについて聞いてみたり意見を送ってください。
どういった対策をとられるのですか?その情報を開示してくれますか?とか、
ショックです、とか、とにかく何かを届けるのがいいと思います。
ああ、消費者は見てるんだなって、伝わると思います。
<意見送り先>
https://www2.itoham.co.jp/contact/top_customer.html
ケイ&リルさんの この世界のためにhttp://blog.goo.ne.jp/grandemperor/e/dcd4341636523eb8a45a3b14734f092b
ブログで紹介してくださってる画像より
後輩をさせようとした職員が子宮でなく直腸に入れたため、肛門脱出と子宮脱出を引き起こした。
主任はこの話を潜入調査員に笑いながら語った。
ということでしたが、ひどい状態です。
死んでいる子豚。頭が引っかかっている子がいます。下は糞尿のたまったプール。
以下ねこまるさんの
猫とヴィーガンな生活より転載させていただきます。
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もう、辛いというのを通り越しています。
どうしてこんなことが起こっているのか・・・・・悲しすぎます。
ピーター・コックスの『ぼくが肉を食べないわけ』という本に、「
秘密にされる豚の生活」の中で、豚がどのような扱いを受けているか、書かれてあります。「
この農場は飼育家と屠場に毎年何千頭もの豚を供給し、いつも省の検査官から最高点をマークされている、これが、今まであなたが読んだなかで、最も正確な豚の秘密の生活であるのは確かである」として・・・・。
それがどんなものか、読むのもおぞましいものです。恐ろしいものです。雌豚が妊娠させられる説明を読んでいて、正気ではおれません。
「サービスハウス」
子どもを生んだ雌豚が、さらなるサービスを受けるのが可能かどうかチェックされる場所。何匹も一緒に入れられ、お互い慣れておらず、子どもと引き裂かれて混乱し、喧嘩し合う。同時に子どもたちを呼んで遠吠えして悲鳴を上げる。この状態は一日か二日続くという。ここで作業員は押したり背中に乗ったりして彼女らの外陰部を調べ、サービス受け入れ可能と決めると外に連れ出し、雄豚と引き合わせる小屋に入れる・・・・・
「交尾」ではなく「レイプ」の方が適した言葉であろう……
ピーター・コックス『ぼくが肉を食べないわけ』p.153より
どうして、こんな目にあわされなくてはいけないのだろう・・・
今我々がしなければならないのは、これら野蛮性と直面したとき感じる心からの不快感を、
信念を持って信じることである。
あなたが、我々の食品生産過程での罪のない犠牲者に同情を感じたとき、
あなたはすべての生き物に対する基本的な類似性を肯定している。
あなたが、商売の名のもとに非常に辛くも利用されているあの母親たちに同情を感じるとき、
あらゆる種に存在する子どもたちとその母親とのつながりの神聖さをあなたは肯定している。
そして、非難すべきシステムから生まれた産物の消費をやめたとき、
―そして他人にも同じようにそうするように勧めたとき―
あなたは、ものごとをより良くするであろう長旅に出発している。
『ぼくが肉を食べないわけ』ピーター・コックスp.156~157より抜粋
まだ知らされていないことが、たくさんあります。
私たちは、何も知らされずに取り残されたままです。
でも、知ろうとすれば、いくらでも知ることができるでしょう。
私たちが、真実に対して誠実であるならば・・・・・
結局のところは真実は必ずその姿を現わすであろう。人に知られることが禁止されていた情報が、もはや秘密ではなくなるときがくる。私は、それが遅すぎないことを切望している。
『ぼくが肉を食べないわけ』ピーター・コックスp.59より
どうか、多くの方が、野蛮性と直面したとき感じる心からの不快感に、
正直であり続けて下さいますように…
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(転載ここまで)
もう、転載させていただいたこと、すべてその通りだと感じます。
ポジティブな物を見よう、考えよう、っていろんな場面で言われてて、私もまったくそのとおりと思います。
すごくいい流れだと思う。明るさを信じるって。
でもそれって、目を背けることとは違いますよね。
かなしみを見つめることや、それにまつわることを知ることは、ネガティブなこと?
わたしはそうは思いません。
本当のネガティブは、目の前の誰かの悲しみに心を痛めながらも見送り続け、
そうすることで自分の心が悲鳴をあげてることにさえ耳をふさぎ、
この問題に対峙すれば、自分は悲しみに押しつぶされてしまうだろうと思い込み、
目をふさいでいればきっと、何もかもいつかすべてがうまくいくと自分に言い聞かせ、
わたし達は、パワフルな存在なのにまったくそうとは信じず、
自分の力を過小評価することではないでしょうか。
「良心が求める答えに至るまでの間に、
どれだけの悲しみを目にしようと、わたしは歩を進めよう」と人に決意させるのは、
ポジティブ以外の何だといえるでしょう。
(あ、画像を見られないことや人を、ネガティブだと言っているのではないですよ!
「見られない」(指がこわばって、どうしても動画の再生クリックができない、とかね)、と思うことと、
「見る必要はない」と思うことには、大きな違いがあるのでは、と言いたいのです。
悲しくてつらくて、どうしても見られない時があるってのも、もちろんわかります。
見る必要はないって思い込んで、人は自分を守ることがあるのも。
そうゆうときはどうかご自分を責めず、カモミールテーなど飲んでゆっくりしましょうね。)
それにしても、見たくないですよね、こういう画像。
だけどそれは、一体なぜですか。
わたしはこう思います。
わたしたちの誠実な良心が、素直なちいさな子供のように慟哭するからだと。
その泣き声は、わたし達をどうしようもなくつらくさせるのです。
あんまりにつらいから、泣かさないようにするのです、
そのために見ないようにするのです、きっと。
しかたないのよ、しかたないのよと言い聞かせながら。
けれどわたし達は、自分で知ることができる。自分で選ぶことができる。
自分が、必要のない痛みを他者に強いて、それで幸福でいられるかどうか、
たぶんもう、よぅくわかってる。
一歩踏み出してみませんか。
思っているよりも、ずっと簡単なことです。
今のあなたが想像する以上の幸福に包まれながら、
あなたはきっと、自分は一体何を怖がっていたのかと、そう感じると思います。
ベジタリアン!になりませんか。
この地上で暮らす仲間に、親しい視線を注いで生きるあなたの心のために、
同じ心を持ちながら、肉として扱われる彼らの命のために。
あまねくすべてのいきものは
感じる心を持っている
思いやりを選ぼう
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