私のかわいい、かわいいの子、嬢ちゃん。
元々少ない食欲が、夏でちょっぴり落ち気味でした。
嬢ちゃんは真性肉食獣という種類なので、生肉を食べて暮らしています。
与えているのは、ベジタリアンの私です。
ここら辺は考えるとこでもありますが、
野生じゃなくて、彼女は人間社会の中で飼われているわけで、
そしたらベジタリアンキャットフードとか、あるわけですが(あるんですよ)、
どこまでが野生で、どこまでが人間社会的な感じで
管理(管理?)をして生活を営んでいくのか、となった時に、
私の線引きは、彼女には生肉を食べさせる。というところです。
これは同じベジでも、そのご家庭によって違うよね。
うちの嬢は、どんなに品質がいいとされているものでも、
ドライフードを食べさせるとおしっこに結晶が出るんです。
以前暮らしていたBBは、ドッグフードアレルギーでずいぶん苦しませてしまいました。
なるべく自然な方。
なるべく、ひずみの出ない(と自分が思う)方。
最初は正直しんどかったです。
肉を買うという行為が。
嬢と暮らすことは、私にとってほんとにありがたい事です。
ふわふわの毛皮とか、ぷにぷにのにくだまとか、
彼女の笑顔とかやさしさ、ジョークして私を笑かすとこも。
そしてそれだけでなく、
肉を食べるように体が作られている生きものと暮らすというのは、
ベジタリアンの私にとって、非常に大切なことです。
世の中のことわりって、ほんとはきっと、とてもシンプルなことだけれど、
肉食が悪。肉食が善。
そういう勧善懲悪で、私たちが生まれてきたこの世界を見ることはできない、と
彼女はその体でもって、私に教えてくれます。
なぜ肉食しかできない生き物がいるのか。
なぜ菜食しかできない生き物がいるのか。
なぜ人は、肉も食べられ、また植物だけでも生きていけるのか。
そう考えたとき、
当たり前ですが、「肉食」自体が問題なんではない、と思うのです。
私の肉食と、嬢の肉食は全然意味が違うんですよね。
嬢は、それがなければ死ぬのです。
でも、私たちは肉を食べなくても死んだりしません。
体がそうできているのです。
そこには、他者への思いやりを差し込むことのできる隙間があるんです。
最初から、誰もがみんな、草だけ食べて生きられるようにすれば
わかりやすくてよかったのに神さま、と思ったこともありますが、
それじゃだめなんです、きっと。
真性肉食獣の彼らが肉を食べることを、
私たちの肉食も、同じ弱肉強食の証明とするのでなく、
様々な違いがある世界で、他に選択肢のある人間が、
我々と同じく感情や痛みを有する動物を殺して肉を食べるという、
この行いに対してのそれぞれの思考が、
選択が与えられている意味が、
自分の意思で何を選ぶかの結果が、
世界にとって、重層的に深い意味を持つんじゃないかなーと思います。
それぞれが違いながら、私たちが一つの世界で生きてることの意味を思うとき、
しびれるような衝撃を受けます。
複雑でありながら、実はシンプル。
シンプルの根っこは、私たち自身の心。
ただ、望む世界を、自分ができる範囲で体現すれば、
世界もその姿を映すのです、きっと。いや絶対。
ガンジーの言った、
理想とする世界の変化に、まずは自分がなりなさい
ほんとにほんとだと思う。
それだけなんだと思う。
ほんとはね、嬢、外に行きたければ出せればいいし、
私がご飯を提供しなくても、彼女が自分でどこかでねずみやモグラを食べてくればいい。
それで病気になっても、嬢が獣医に行きたくなかったら行かなければいいし、
死ぬときは、顔を嬢が私に見せてくれるのだったら、見せて欲しいし、
1人で死にたかったら、そうしてほしい。
そうできる、環境で暮らしたい。
でも、私たちは今の文明を、生活を、間違いを犯しつつ一生懸命に作ってきたので、
そしてそこに、私たちは生まれてきたので、反省こそすれ、
文句だけを言うわけにはいきますまい。
ああ、ちょっとずれちゃった、と気づいたら、
また一生懸命に方向を転換していけばいいんですよね。
原発へも、食肉へも、環境へも、飢餓へも、暴力へも。
一瞬一瞬を真剣に、心を込めて、行うだけなんですよね。
この世界にあるものすべては、みんな生きてる。
動物も植物も、鉱物も、海も山も空も、死んでいった魂も。
そして、この世でする仕事もたくさんある。
たくさん笑顔が増えるように。
わたしたち、なんて美しい世界に生まれてきたんでしょうね。
わたしほんとに、そう思います。
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