忙しの魔法(いそがしいそがし言ってる内に訳が分からなくなる恐ろしい魔法)にかかっちゃって、図書館で借りた本も読み切れず、返却。
借りたのは、コーラ・ダイアモンドさんの「どうぶつの命と哲学」。
これを読むには、まず最初にクッツェーさんて人の書いた小説、
「どうぶつの命」を読んどいたほうがいい、と前書きにかいてありました。
チェーおいおいおい、早くお言いー!
表紙に書いとけよー、ブゥブゥ!
でもだいじょぶ。ちゃんと一緒に借りてある。
賢い人。チーモはほんとに賢い人!(褒め言葉を自給自足)
「どうぶつの命と哲学」、すごい難解でした。
どのくらいかってあーた、
読んでる最中、鼻から何か出てきちゃって、なんだろと思ったら、
脳の許容量を越え、鼻から出てきてしまった文字でした。
でも、おもしろかったんです。買おうと思います。
この前、ハンズで、毛皮が大量に売られているのを見たの。
ハンドメイドの材料としてね。
全身そのままのきつね、うさぎ。たぬきのしっぽ。
それらを見て、「どうぶつの命」の中で、
「人間は、死をひとつの死として理解する。
我々は、数を100万まで数えることができるが、
100万の死というのは、理解することができない」
と書かれていたのを思い出しました。
なるほど、どうぶつが好きか嫌いかはどうでもよくって、
確かにこれらを、「100万の毛皮」じゃなく、
「ひとつの死」が「100万」と認識出来たら、
こんな風に大量に並んでるそれの前を平然と
人が通り過ぎることはないだろうな、と思いました。
何かを作り出すっていう素敵な楽しい行い、
綿から作り出すのでは、だめかしら。
どうしても毛皮じゃないとだめかしら。
うさぎの姿を残して逆さにぶらーっと陳列された毛皮は、
どこでどんなお母さんから生まれて、
何を思ってどんなふうに暮らし、
最後に何があって、今ここで売られているんだろうね。
彼か彼女か、とにかくもう、
この毛皮は何にも言わないように見えますが、
でも、耳を澄ましさえすれば、ほんとは聞こえるのです。
毛皮は語ります。それは饒舌に。
「何も言えない」という形を持って。
おトイレ掃除しながら、そう考えていました。
師走ですね。
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